家事育児を丸投げで妻を見下す夫→その後、夫が謝罪したワケ

私は保育園に通う1歳の娘と、夫との3人暮らしです。夫と同じ職場で働いています。時短勤務とはいえ、共働きでの仕事と家事、育児に追われ続ける毎日。夫は家事も育児もほとんど私任せでした。
ある日、床に置きっぱなしになっていた服やおもちゃを見て、夫が声を荒らげました。
「なんだよこれ! 家が汚い! 家事くらいちゃんとやれよ!」
「パートなんか正直息抜き程度の遊びみたいなもんだろ。責任ある俺の仕事とは比べ物にならない」
その言葉を聞くたび、胸の奥が静かに冷えていくのを感じていました。
「じゃあ、交換する?」
本当は言い返したい気持ちでいっぱいでした。でも、そのたびに飲み込んで、なかったことにしてきたのです。
そんな日々が続いていたころ、夫の仕事に変化がありました。長く続いていた大型案件が一区切りつき、部署全体で業務の見直しが入ったのです。残業が続いていた社員を中心に、一時的に勤務時間を調整する動きが出ていました。
「当面は時短でいけそうだ」
そう言う夫に、私は思い切って相談することにしました。
「それなら、その間、家のことをやってみない?」
「私、正社員として働く話が進んでるの」
夫は少し驚いた顔をしてから、軽く笑いました。
「まあ、時間が空くなら、それでいいか」
「どうせ家のことなんて、やろうと思えばできるだろ」
その言葉に、胸の奥がざわつきましたが、私は何も言いませんでした。
幸い、私たちが働く会社は部署異動や雇用形態の調整が可能で、話し合いの末、私は正社員としてフルタイムで働くことに。夫は、期間限定で時短勤務に切り替わりました。
楽勝のはずが、現実は…
始まってみると、現実は想像と違ったようです。
最初の朝、パンは焦げ、目玉焼きは形を失っていました。
保育園の準備、連絡帳の記入、体温測定……一つひとつに手間取り、時間だけが過ぎていきます。
「……これ、思ったより時間かかるな」
その声には、余裕がありませんでした。
私は正社員としての勤務が始まり、帰宅時間が19時半を過ぎるようになると、夫は子どもの保育園送迎、洗濯、掃除、買い出し、夕食作り、入浴、娘の寝かしつけ……慣れないワンオペに疲れ切った様子。
「休む時間、ほとんどないんだな」
その言葉を聞いて、私は初めて、自分の大変さを分かってもらえた気がしました。
初めて聞いた「ごめん」
2週間ほど経つと、夫は何度もため息をつくようになり、ある晩、夫は静かに言いました。
「俺、今まで、こんなに大変だって分かってなかった」
「自分は仕事だけしていればいいと思ってた。全部任せてごめん」
私は、これまで抱えてきた気持ちを、少しずつ言葉にしました。
子どもが生まれてから今まで、ずっとしんどかったこと。
一人で家庭を回している感覚がつらかったこと。
「手伝ってほしかったんじゃない。一緒にやってほしかっただけ」
夫は黙って、何度もうなずいていました。
少しずつ、同じ目線で
すべてが一気に変わったわけではありませんが、夫がフルタイム勤務に戻った今では、家事も育児も「どちらかの役割」ではなく、「二人で担うもの」になりました。
お風呂の時間、夫が娘の髪を乾かしながら言いました。
「明日、保育園の準備どこまでやっとく?」
「じゃあ、私は連絡帳書いておくね」
そう答えながら、「頼まれてから動く」関係じゃなくなったことに気づきます。
◇ ◇ ◇
一緒に回している感覚が、ちゃんとある。家事も育児も、“手伝う・任せる”じゃなくて、“やっておいたよ”が行き交うようになり、私たちはやっと同じ場所に立てたのだと思いました。この家は、今、二人で支えています。あのとき、何も言わずに耐え続けなくてよかったと、今では思っています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、「パートなんだから黙ってろ」と妻を見下し、自分の方が上だと言わんばかりの態度を取る夫が登場します。家事や家庭を支えていても、その努力を当然のように扱い、妻の気持ちを軽く見る夫。積み重なる我慢の先で、妻は夫に現実を突きつけることとなったのでした。
続く2つ目のエピソードでは、「俺が稼いでいるんだから」と偉そうな態度を取り、妻を下に見続ける夫が登場します。自分が優位だと思い込み、平気で妻を裏切っていた夫でしたが、その態度がやがて思わぬ形で自分へ返ってくることに……。
「俺の稼ぎでやってきたのに!」専業主婦の私を見下す夫→離婚後に元夫が泣きついてきたワケ

私は専業主婦で、夫と2人暮らし。1人息子はすでに独立しています。私は外で働く夫を支えることが自分の役目だと信じて、家のことはすべて引き受けてきました。
「来週の懇親会の店、予約しておいてくれ」
夕食の支度をしていた私に、夫は当然のようにそう言いました。手を洗うこともなく、コートも脱がないまま――それが、いつもの光景でした。
いつからか私は、家のことだけではなく、夫が外で安請け合いしてきた雑務まで引き受けるようになっていました。夫にとって私は、妻というより“後始末をする人”だったのだと思います。
幹事を引き受けてきた夫からの丸投げ
「6〜7人くらいだ。上司も来るから、ちゃんとした店を頼む」
そう言われても、参加者の好みやアレルギーについて尋ねると、「そんなの俺が知るわけないだろ」と返されるだけでした。
必要な情報は何ひとつないのに、「気の利いた店にしろ」とだけ言う。手配も連絡も、結局は全部私の役目でした。
「どうせ家にいるだけで暇だろ?」
その言葉に、私は何も返しませんでした。言い返すことをやめてから、もう何年も経っていました。
昨年、夫の上司の奥さまにあいさつしたとき、「主人はなかなか断るのが苦手な性格で……」「最近では健康のために揚げ物を控えて、野菜中心の食事にしているんです」と言われたことを思い出し、私は個室があり、負担の少ない和食店を選びました。
夫は何も知らなくても、店に着けば“気が利く”と評価される。そうやって私が裏で整えることが、いつの間にか当たり前になっていました。
20年分の積み重ね
予約を終えて一息つこうとしたタイミングで、今度は義母から電話がありました。
「膝が痛くてね、すぐ来てくれない?」
夕飯の買い出しなどもあったので予定があると伝えたのですが、「明日じゃ困る」と言われ、結局私は義母のもとへすぐに向かうことになりました。
病院への連絡、薬の確認、次回の通院予約。すべて終えて帰宅し、夫に伝えても返ってきたのは一言だけ。
「母さんのこと、これからもよろしくな」
そのとき、私はふと思い立って聞いてみました。
「お義母さんの通っている病院、知ってる?」
「飲んでいる薬は?」
予想通り、夫は答えられませんでした。
私はこれまで、子育て、義母の通院管理、地域の役員、引っ越しの手配、そして夫の仕事の裏方――すべてを1人で担ってきました。
別に感謝してほしくてやったことではありません。夫が仕事を頑張ってくれている分、私は私のできることをやろうと思っていたのです。
しかし、夫はいつからか私に向かってこう言うようになりました。
「俺の稼ぎでお前を養ってやってるんだからな」
「お前は俺にしっかり感謝しろよ」
夫は近くにいるはずなのに、その言葉だけが妙によそよそしく聞こえました。私がしてきたことは、夫の中では“いて当然の人間が勝手にやること”に変わっていたのでしょう。
裏切りの発覚
そのころの夫は、家のことは相変わらず私任せなのに、妙に機嫌のいい日と不機嫌な日を繰り返していました。こちらを見下すような言い方も前より露骨になっていて、私が何も言い返さないのを確かめているようにも見えました。今思えば夫は、自分から私を切るつもりではいても、私のほうが本気で離れていくとは一度も想像していなかったのだと思います。
それから数カ月後――。夫は改まった様子で話を切り出しました。
「実は、職場の女性と付き合っている。お前とはもう終わりにしたい」
言いにくそうにしているというより、どこか開き直ったような口ぶりでした。話し合いではなく、あくまで自分の都合を押し通すための通告でした。夫は、自分が私を切る側で終わるつもりだったのでしょう。まさか私のほうが冷静に離婚を受け入れ、きちんと手続きを進めようとするとは思っていなかったのだと思います。
「……そう」
夫は拍子抜けしたような顔をしました。
「……それだけか?」
帰りの遅い夜が増えていたことも、私への当たりが強くなっていたことも、気づいていなかったわけではありませんでした。
「俺の稼ぎで生きてきたくせに、偉そうに文句は言うなよ!もう離婚だ!」
そう言われ、私は静かに答えました。
「了解!」
そう言うと、夫は「え?」と戸惑った様子でした。
「何を驚いてるの。離婚するなら、順番に整理するだけよ。こちらは弁護士に相談するつもりだから、必要ならそちらも準備しておいて」
「べ、弁護士……? そんな大げさなもの」
「大げさじゃないわ。離婚届を出して終わり、という話ではないでしょう。財産のこともあるし、必要なことはきちんと整理しないと」
「慰謝料がかかるかもしれないことはわかる。でも、財産まで分けることになるのか……?」
「不貞を裏づけるものがあれば、その点も含めて相談することになると思う」
夫の顔色が変わりました。夫はそこで初めて、離婚届を出せば終わりだと思っていた自分の甘さに気づいたようでした。
「でも20年も養ってきたんだぞ」と言いかけて、言葉が止まります。
「こっちだって20年支えてきたのよ。裏切られて、何もなかったことにはできないわ」
浮気が気になり始めたころ、確信があったわけではありませんでした。ただ、万一に備えて自治体の無料相談窓口や、離婚に関する基本的なことだけは調べていました。何もできないまま不安だけ抱えているのが嫌だったのです。
夫が言うところの“家にいるだけ”の時間で、私は少しずつ準備を進めていました。夫は、私が泣いてすがるか、せいぜい感情的に怒るくらいに思っていたのでしょう。まさか私が、離婚後の生活や手続きまで見据えて動いているとは考えていなかったようでした。
夫は、私を失うことそのものではなく、私が担っていたものを失うことを最後まで理解していなかったのだと思います。
いなくなって初めて見えたもの
離婚についての話し合いを進める前に、私は長年暮らした家を出ました。しかし別居後すぐに、夫からこんな電話がかかってきたのです。
「ごみの日っていつだ?」
思わず言葉を失いました。夫は長年住んでいた家のこと、地域のことを、何ひとつ把握していなかったのです。
しかも、それで終わりではありませんでした。義母の通院日はいつか。保険証の控えはどこにあるのか。町内会費はどうしていたのか。夫からの連絡は、その後もしばらく続きました。どれも、これまで私が黙って回していたことばかりでした。
後日、親しくしていたご近所さんから「あなたの旦那さん、うちにごみの日を聞きに来たわよ」と連絡が。迷惑をかけて申し訳ないと謝る私に、彼女は「気にしなくていいの! 離婚するんでしょ? もし力になれることがあったら言ってね」と明るく声をかけてくれました。
その言葉を聞いて、胸の奥に張りつめていたものが、少しだけほどけていくのを感じました。私が今までしてきたことは、誰にも気づかれない無意味な労力ではなかったのだと思えたのです。
義母との別れ、そして夫が失ったもの
しばらくして、義母――もうすぐ元義母になる人からも連絡がありました。
「うちの息子と離婚して……これからどうするの?」
「私のことは気になさらないでください」
「お義母さんの今後のことは、息子さんと一緒に、地域の相談窓口や医療機関と相談しながら決めていくのがいいと思います」
元義母は私に無理を言うところはありましたが、それでも私のことを気遣ってくれる人でした。
「あなたのこと、娘のように思っていたのに……」
そう言われたとき、少しだけ胸が痛みました。元義母からそんな言葉を聞いたのは初めてでした。
「今まで、お世話になりました。これからはそれぞれで考えていきましょう」
そう伝えて、私は電話を切りました。
その後――。
弁護士に相談しながら話し合いを進め、離婚は成立。財産分与を受け取り、不貞に関することについても整理がつきました。私は長年暮らした街を離れ、新しい土地で暮らし始めました。
離婚後しばらくして、元義母から一度だけ電話がありました。そのとき、「あの子も結局、思うようにはいかなかったみたいでね」と、ぽつりと言われたのです。私は詳しく聞きませんでした。ただ、そのあと夫からかかってきた電話で、十分すぎるほどわかりました。
それからしばらくして、夫から再び連絡がありました。
「家のことも母さんのことも、仕事が忙しくて無理なんだ」
「お前だって仕事が見つからなくて大変だろ? 金なら払うからやってくれよ」
私は静かに答えました。
「もう遠くへ引っ越したし、新しい仕事も決まったから」
私はご近所さんから教えてもらった仕事に応募し、在宅でできる業務を始めていました。一人で暮らしていくには十分な収入があります。採用されたことをご近所さんに伝えたときに、「あなたなら大丈夫だと思っていたわよ!」と言ってもらえたことが、何よりうれしかったのを覚えています。
さらに、遠くで働いている一人息子も「事情はわかった」「もし何かあったら僕を頼ってね」と言ってくれています。
「母さんがずっと頑張ってきたこと、僕は知ってるから」
その言葉を聞いたとき、目頭が熱くなりました。
今の生活は、とても静かです。誰かに振り回されることも、気を張り続けることもありません。離婚して初めて、自分がどれほど多くのものを背負わされていたのかを知りました。そして夫もまた、私一人を失ったのではなく、私が担っていた生活そのものを失ったのだと思います。
◇ ◇ ◇
自分のためだけに時間を使える生活が、こんなにも穏やかなものだなんて知りませんでした。これからは、誰かの都合に合わせて自分を削るのではなく、自分自身を大切にして生きていこうと思っています。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、見下される側だった妻たちが、自分を軽く見ていた夫たちに現実を突きつけていったエピソードをご紹介しました。
相手を下に見て、自分の方が上だと思い込んでいるうちは、本当に大切なものは見えないのかもしれません。当たり前のように支えられていた日々や、そばにいてくれる相手の存在は、失って初めて気づくこともあります。
妻を軽く見続けた先で、自分の小ささや未熟さを思い知ることとなった夫たちの姿が印象に残るエピソードでした。