「誰も引き取らないの?」親族全員が目をそらす天涯孤独の少女→私が差し出した手の先にあった未来とは

私と1歳違いのいとこが、突然この世を去りました。仕事中に倒れ、そのまま帰らぬ人になったと連絡を受けたとき、頭が真っ白になったのを覚えています。
いとこは幼いころに両親が離婚し、その後は母親と2人で暮らしていました。しかし、その母もすでに他界しており、近しい家族はいませんでした。いとこである私のもとに連絡が来たのは、そうした事情があったからです。
子どものころはよく一緒に遊んでいましたが、大人になってからはすっかり疎遠になっていたため、このときに初めて、「いとこに娘がいた」という事実を知ったのです……。
いとこの葬儀場に駆けつけたとき、ひとりの女の子の姿が目に入りました。
それが、いとこの娘でした。
いとこの訃報と残された娘
当時、いとこの娘は10歳。母親を突然失い、頼れる大人もいない状況でした。
後から聞いた話では、いとこは結婚せず、ひとりで娘を育ててきたそうです。周囲に頼ることなく、必死に生活してきたことを思うと、胸が締めつけられました。
葬儀の最中、親族の間では自然と「この子をどうするのか」という話になりました。しかし、誰も積極的に引き取りを申し出る人はいません。
児童相談所を通じて施設に入る可能性が高い――そんな現実的な話が淡々と進んでいくのを、私は黙って聞いていることしかできませんでした。
私の迷いと決断
当時の私は独身で、イラストレーターになりたいという夢を追いながら、アルバイトで生計を立てていました。正直に言えば、余裕のある生活ではありませんでした。
子どもを引き取れば、生活費や教育費など現実的な負担も大きくなります。さらに、正式な養育者として認められるには、児童相談所との面談や家庭状況の確認など、いくつもの手続きが必要になることも、後になって知りました。
それでも、あの子をこのままひとりぼっちにしてしまうことだけは、どうしてもできませんでした。
そこで、私は勇気を出して、その子に声をかけたのです。
「私でよければ……」
「もしよかったら、うちに来ない?」
その言葉が、いとこの娘だけでなく、私自身の人生をも大きく変えることになるとは、そのときはまだわかっていませんでした。
同居生活の始まり
児童相談所と相談しながら、まずは「親族里親」という形で、私たちの同居生活が始まりました。
最初のころは、お互いに遠慮ばかりで、会話もほとんどありませんでした。私も人見知りで、どう接すればいいのかわからず、ぎこちない時間が続いていたのです。
少しでも距離を縮めたくて、一緒にテレビを見たり、音楽を聞いたりもしてみました。しかし、彼女の反応は薄く、うまくいかないもどかしさを感じていました。
そんなある日、学校に迎えに行ったときのことです。
校庭の端で、その子が鳥を追いかけながら、無邪気に笑っている姿を見かけました。その笑顔を見たとき、「ああ、この子はちゃんと笑えるんだ」と、胸の奥がじんわり温かくなったのを覚えています。
帰宅後、私はその光景を絵にして渡しました。すると、それまであまり感情を見せなかったその子が、初めて笑ってくれたのです。
それをきっかけに、少しずつ会話が増え、距離も縮まっていきました。その後、家庭裁判所での手続きを経て、私はその子を正式に娘として迎え入れることになったのです。
子育てを通じて学んだもの
一緒に暮らし始めてから、私は初めて「誰かのために生きる」という感覚を知りました。娘の何気ない一言や表情が、私の創作にも大きな影響を与えてくれるのです。
やがて私は、娘をモデルにした絵日記を描くようになりました。何気ない日常を残しておきたくて。
それを見せたとき、娘はこう言ってくれました。
「なんだか、心があったかくなった」
「お母さんの絵、たくさんの人に見てもらいたいな」
その言葉に背中を押され、私はその絵日記をSNSに投稿するように。ささいな日常の出来事なので、大きくバズることはありませんでしたが、次第に「いいね」や温かいコメントをいただくことが増えていきました。
また、SNSをきっかけに、イラストの依頼をいただくことも。初めての依頼が来たときには、娘と手を取り合って喜びました。
◇ ◇ ◇
もちろん、ここまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。経済的な不安や、子育ての大変さに悩んだことも何度もあります。
それでも、あのときの決断を後悔したことは一度もありません。娘と出会い、一緒に暮らした日々があったからこそ、今の私があるのです。
子どもを育てるということは、同時に自分自身も成長させてもらうことなのだと、実感しています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、突然亡くなったいとこの娘を前に、女性は「この子をひとりにしたくない」という思いから、家に迎え入れる決意をしました。最初はぎこちなかった同居生活も、絵をきっかけに少しずつ心の距離が縮まり、やがて本当の親子のようなあたたかな時間へと変わっていったのでした。
続く2つ目のエピソードでは、夫の前妻が亡くなったという知らせをきっかけに、3人の子どもたちが突然やって来ます。施設で育った女性は、行き場を失う寂しさを知っているからこそ、夫とともに子どもたちを迎え入れる決意をします。しかし、新しい家族として歩み始めようとした矢先、思いもよらない事実が明らかになるのです……。
夫「亡くなった前妻の子を育てたい…」快諾した私⇒数日後、死んだはずの前妻から連絡が!?

夫とふたり暮らしだった私たち夫婦。私は施設育ちということもあり、温かい家庭を築くのが夢でした。
夫との結婚生活が始まった際「年齢的に子どもは望めないかもしれないけれど、ふたりで幸せになろう」と約束しました。しかし、そんな穏やかな日常を揺るがす1本の連絡が、ある日の夕方に入ります。
それは、夫の別れた前妻が事故で亡くなったという訃報でした。
「葬儀は終わったらしいんだけど、子どものことで話があるって言われて……」
夫の困惑した声に、私も耳を疑いました。夫と前妻の間には子どもはいないはずでした。離婚の理由は、彼女の不倫。当時、彼女は「おなかの子は不倫相手の子だ」と言い放って夫と別れたはずだったのです。
突然やってきた3人の子どもたち
翌日、夫が連れて帰ってきたのは、5歳の長男と、まだ幼い双子の3人でした。前妻の母親から「もう面倒は見きれない。長男は元旦那(夫)の子だ」と泣きつかれたそうです。
「鑑定の結果が出るまででいい。預かってくれないか」
夫の申し訳なさそうな顔を見て、私は即座に頷きました。私自身が施設育ちで、親戚をたらい回しにされた経験があったからです。
「行き場のない子どもたちの寂しさは、誰よりもわかるから」……その一心で、慣れない育児が始まりました。
仕事の合間を縫って、おむつを替え、食事を作り、子どもたちと向き合う嵐のような日々でしたが、家の中に子どもたちの声が響く毎日はどこかあたたかく、不思議な充実感に満ちていたのです。
暴かれた真実と「3人を育てる」決意
しばらくして、DNA鑑定の結果が出ました。長男は、間違いなく夫の実子でした。前妻は裕福な不倫相手と結婚するために、「あなたの子じゃない」と残酷な嘘をついて夫を追い出したのでしょう。
さらに衝撃的だったのは、その再婚相手も投資に失敗して借金を作り、実の子である双子さえ「育てられない」と育児放棄している現状でした。
「本当にごめん。自分勝手なのはわかってるけど……俺、3人を引き取りたいんだ。実子だけを引き取るなんて、あの子たちを引き離すなんて、俺にはできない」
夫は私との離婚まで覚悟して、深く頭を下げました。しかし、私の答えは最初から決まっています。「いいよ! だってその子たち、私たちの大切な家族でしょ?」
この1週間、彼らと過ごして確信したのです。子どもを持たない人生を覚悟していた私にとって、この出会いはきっと家族になるためのご縁なのだと——。
夫とふたりで「この子たちを全力で守っていこう」と誓い合いました。
死んだはずの女の声
しかし、法的な手続きの準備を進めようとした矢先、夫のスマホに信じられない相手から着信がありました。
「久しぶり! 私だよ。死んだっていうのは嘘。……あはは、驚いた?」受話器越しに響く無神経に明るい声は、間違いなく死んだはずの前妻のものでした。
彼女は自分の母親と口裏を合わせ、育児が面倒になった子どもたちを「元旦那なら断らない」と踏んで押し付け、自分は身軽になって遊び回っていたのです。
ところが、夫が起業して成功していると知るやいなや、彼女は手のひらを返しました。
「やっぱり私が育てるから返して! 長男にはそれ相応の養育費を払ってね♡」
夫もこれには激怒し、毅然と言い放ちました。
「いい加減にしろ。子どもは君の所有物じゃないんだ。もう二度と好き勝手にはさせない。法的手続きを進めて、俺たちがこの子たちを守る」
下された審判
それから半年近く、私たちは弁護士を交えて粘り強く戦いました。彼女がいかに育児を放棄し、遊びに明け暮れていたかは、子どもたちを家に取り残して児相から何度も注意を受けていた記録や、今回の「死んだことにして子どもを捨てた」という非人道的な事実からも明らかです。
当初は前妻と口裏を合わせていた義母も、事態が大きくなり、自分まで責任を問われることを恐れたのでしょう。前妻をかばうことをやめ、子どもたちを私たちに預けた経緯について、すべて話したのです。
大変な争いになるかと思っていましたが、状況は一変しました。彼氏ができた前妻はあっさり親権を手放したのです。夫は長男の親権を取り戻しました。
双子についても同様で、前妻による育児放棄の状況や私たちのもとで生活していた事実を踏まえ、裁判所は審判前の保全処分として当面の監護を私たちに認める決定を出しました。こうして、法的にも「子どもたちを育てる立場」としての土台が整ったのです。
新しい家族の形
その後、わが家は賑やかな5人家族として新たな一歩を踏み出しました。仕事との両立は想像以上にハードで、朝から晩までてんてこ舞いの毎日。それでも、引き取った当初は怯えるようによそよそしかった子どもたちが、日に日に笑顔を取り戻していく姿を見るのが、何よりの幸せです。
施設で育ち、家族の愛に飢えていた私が、今こうして3人の母として必要とされている、このご縁を大切に、夫と手を取り合って子どもたちの笑顔を守り抜いていこうと思います。
◇ ◇ ◇
子どもは親の所有物でも、都合よく利用するための「モノ」でもありません。親の勝手な都合で傷つく子どもを一人でも減らすために、大人がなすべきことは何か、考えさせられますね。
もし身の回りで育児放棄されている子どもを見かけたら、私たちには行政や専門機関などに報告する義務があります。
児童相談所全国共通ダイヤル「189(いちはやく)」
内容:子育てに関する悩み、しつけ、家庭内の困りごと、虐待かもと思ったときも含めて幅広く相談可能。
電話:189(いちはやく)または0570-783-556(お住まいの地域によっては、この番号に繋がります)
受付:24時間365日、最寄りの児童相談所につながる。
親子のための相談LINE(こども家庭庁)
内容:育児の悩みや心配をスマホから気軽に相談できる。
方法:公式サイト(https://www.mhlw.go.jp/stf/kodomo/kodomo_kosodate00001.html)からLINE追加→チャット相談。
時間:原則24時間対応(返答は時間がかかる場合あり)。
すべての子どもたちが、心から安心できる環境で健やかに成長していけることを願います。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、思いがけない形で家族が増えた女性たちが、それぞれの家族の形を築いていくエピソードをご紹介しました。
突然の別れや大人の事情によって、子どもが安心できる場所を失ってしまうこともあります。そんな中で、戸惑いや不安を抱えながらも目の前の子どもたちを受け止めようとした女性たち。その決断は、子どもたちに新しい居場所を与えるだけでなく、女性たち自身の人生にも大きな変化をもたらしました。
家族は、血のつながりや最初から決まっていた形だけでできるものではないのかもしれません。目の前の相手と向き合い、ともに笑い、ともに時間を重ねる中で、それぞれの家族の形が少しずつ育まれていくのでしょう。