会社が苦しい時期に去った社員
私は、共同創業者のA子さんと一緒にアパレル会社を立ち上げ、経営全般を担当してきました。A子さんは企画やブランド戦略を中心に担ってくれています。
立ち上げ当初は勢いがあったものの、当時は市場環境の変化もあり、売上が思うように伸びない時期が続いていました。新しい施策を打ってもすぐには成果につながらず、社内にも少しずつ不安が広がっていたと思います。
そんな中、営業経験を買って中途採用したB美さんが、入社から数カ月後に突然退職を申し出ました。退職自体は個人の自由です。けれど、B美さんは社員たちの前で、会社の将来性を否定するような言葉を口にしました。
「この会社にいても先が見えないと思います。私は、もっと大きな会社で働きます」
そして私に向かって「やっぱり中卒じゃ経営者なんて無理だったんじゃないですか」と言い放ったのです。
その言葉を聞いた瞬間、私は何も言い返せませんでした。悔しさがなかったわけではありません。ただ、その場で感情的になってしまえば、残ってくれている社員たちをさらに不安にさせてしまうと思いました。
隣にいたA子さんは、私が言い返さないのを見て、後で「今は残った人たちのために立て直そう」と声をかけてくれました。
学歴だけで見られた悔しさ
私は高校を卒業していません。家庭の事情もあり、中学を卒業してから、まずは小さなアパレルショップで販売員として働き始めました。接客や品出し、在庫管理を覚え、少しずつ店づくりや仕入れにも関わるようになっていきました。その後、EC販売やブランド運営の仕事にも携わる中で、事業に必要な知識を身につけてきたのです。
それでも、学歴だけを見て私を軽く扱う人は、これまでにもいました。社長という立場になってからも、「どうせ現場上がりだから」「経営のことはわかっていないのでは」といった空気を感じることはありました。
けれど、会社を続けていく上で必要なのは、学歴だけではありません。商品を見る力、現場での判断、取引先との信頼関係。そうした積み重ねに、何度も支えられてきたと思っています。
A子さんは、私が何を言われても必要以上に反論しないことをわかっていたからこそ、「学歴だけで人を判断する人には、見えていないものがある。あなたが積み上げてきた実績まで、なかったことにはならないよ」と言ってくれました。
その言葉に救われながらも、私は会社を立て直すことに集中するしかありませんでした。
数年後、思わぬ場所で再会
それから数年後、会社は少しずつ持ち直していきました。私たちは、リサイクル素材を使った日常着のブランドづくりに力を入れました。派手な広告を打つ余裕はありませんでしたが、地道に展示会へ出展し、取引先との関係を築き直していったのです。
そんなころ、展示会で私たちのブランドに興味を持ってくれた大型商業施設の担当者から、期間限定のポップアップ出店について相談を受けました。その商業施設では、リニューアルに合わせて、環境に配慮したブランドを集めた企画を準備しているそうです。私たちのブランドは、その目玉候補として検討されていると聞きました。
最初に連絡をくれたのは、私たちとは面識のない別の担当者でした。商談の場に向かうと、最初に声をかけてくれた担当者のほかに、見覚えのある人物が同席していました。かつて私の会社を去ったB美さんだったのです。名刺を見ると、B美さんはその商業施設の運営会社に転職していました。
おそらく、社内で案件が共有された時点で、B美さんも私たちの会社だと気付いていたのでしょう。立ち上がって、「あの……ご無沙汰しております。本日はお時間をいただきありがとうございます」と言いました。そこには以前のようにこちらを見下すような態度はありませんでした。私は軽く会釈をして「よろしくお願いします」とだけ返しました。
商談では、企画内容や出店条件について説明がありました。しかし、詳しく話を聞くと、施設側が想定していた商品構成や価格帯、売り場の見せ方は、私たちが普段大切にしているブランドの方向性とは異なっていました。
私たちは、リサイクル素材を使った日常着を、無理のない価格で届けることを大切にしています。一方で、施設側が求めていたのは、話題性や見栄えを前面に出した展開だったのです。
私はA子さんと目を合わせ、静かに伝えました。
「せっかくお声がけいただきましたが、今回は見送らせてください。私たちのブランドが大切にしている方向性とは、少し異なるように感じました」
最初に声をかけてくれた担当者の方は、「えっ……どうしてですか」と驚いたように身を乗り出しました。そして、「今回の企画には、御社のようなブランドがどうしても必要なんです。条件面でしたら、もう少し調整できます」と食い下がりました。
その言葉から、施設側が本気で私たちの出店を望んでくれていたことは伝わってきました。ありがたい話だとは思いました。けれど、条件の問題だけではありませんでした。私は首を横に振りました。
「ありがとうございます。ただ、私たちは話題性よりも、日常で長く使ってもらえる服づくりを大切にしています。今回の企画では、その見せ方が少し難しいと感じました」
担当者の隣に座っていたB美さんは、何か言いたそうにしていました。けれど、かつて私の学歴を理由に、経営者として見下した相手に、今さら出店を強くお願いすることもできなかったのか、言葉を飲み込んだようでした。私は静かに「ありがたいお話ですが、今回は辞退させていただきます」と伝え、商談は終わりました。
私はB美さんへの恨みで、この話を断ったわけではありません。あくまで、私たちのブランドが大切にしている方向性と、今回の企画が合わないと判断しただけです。
それでも、かつて私の学歴を理由に会社まで見下した相手が、今は出店を打診する側として目の前にいる。その事実だけで、私には十分でした。言い返さなくても、積み重ねてきた仕事が今の自分たちを支えてくれている。そう感じられた商談でした。
まとめ
以前は、私の最終学歴だけを見て、軽く扱う人もいました。けれど今では、「中卒だから」ではなく、「あのブランドを育てた人」として見てくれる人が増えたように感じています。
大切なのは、何を学び、誰と向き合い、どんな仕事を積み重ねてきたか。私にとって会社は、学歴を証明する場所ではなく、信頼を積み重ねていく場所です。
これからも、社員やパートナー、取引先との関係を大切にしながら、私たちらしい商品を届けていきたいと思っています。あのとき悔しさを飲み込み、投げ出さずに続けてきてよかった。今は、心からそう感じています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
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