私と同じく、ホテルで接客業をしていた義母。私は普通のビジネスホテルで働いていますが、格式のあるホテルに長く勤めていた義母は、「若いころに所作を叩き込まれたの」とよく笑っていました。美しい立ち居振る舞いだけでなく、仕事への姿勢や人柄も、私が心から尊敬しているところです。
親孝行な夫
夫は親孝行しようと、たびたび義実家に帰っていました。義実家はうちから車で1時間ほど。夕飯をごちそうになったり、そのまま泊まったりすることもしばしばです。私はシフト勤務で土日も出勤があるため、夫がひとりで帰ることを不思議に思ったことは一度もありませんでした。「お義母さんのおいしい手料理を食べられていいなぁ……」とのんきに思っていたのです。
そんなある日――。
私はクローゼットの奥から、見覚えのないブランドの小さな紙袋を見つけました。中には、リボンのかかったネックレスの箱が入っています。「これ何?」と夫に聞くと、「あ、それ母さんへのプレゼントなんだ」との返事。
しかし、これは義母には少し合わないような……。20代の女性向けのブランドですし、何より母の日も義母の誕生日も、すでに終わっています。
私の怪訝な顔に気づいたのでしょう。「母さんがかわいいネックレスがほしいって言ってたから買ってきたんだよ」「若いころの憧れが残ってるって聞いて、買ってあげたくなっちゃってさ」と、夫は照れくさそうに話し始めました。
若いころは仕事一筋だったらしい義母。少し意外でしたが、夫がそこまで言うなら、私の知らない義母の一面があるのかもしれないと思いました。
「お義母さんの気持ちをちゃんと聞いてあげるなんて、やさしいわね」そう言うと、「親が何かほしいって言うなら、それを叶えてあげるのは息子として当然だよ」と、夫は誇らしげに胸を張りました。
「そういえば、私たちの結婚記念日ももうすぐだね?」と切り出すと、返ってきたのは「そうだったっけ?」というそっけない一言。今まで結婚記念日をお祝いしたこともなかったので、仕方がないでしょう。
「今年は10年目だし、節目の年だからお祝いしない?気になってるお寿司屋さんがあるから、ちょっと奮発して行ってみようよ!」そう誘うと、夫も乗り気に。「予約しておくね」と言うと、「絶対残業しないで、早く帰ってくる!」と約束してくれたのでした。
お義母さんが倒れた…!?
そして、結婚記念日――。
「ごめん、今日帰れなくなった!」と夫からメッセージが。
「母さんが倒れたらしい」
この間会った時はとても元気だったのに……? 信じられない……。
すぐに電話をかけましたが、夫は出ません。代わりに、「とりあえず病院へ行ってくる」「結婚記念日なのに、お寿司屋さん行けなくてごめんな。せっかく予約してくれたのに」「今夜は実家に泊まるよ、何かわかったら連絡する!」と、メッセージだけが続けざまに届きます。父さんもひどく動揺しているから、今は直接連絡しないでほしい、とも書かれていました。
私は「今はそれどころじゃないでしょ、いいから早く行ってきて!」と返すのが精一杯でした。お店にキャンセルの電話を入れた時、自分の声が少し震えていたのを覚えています。
嘘を重ねる夫
翌朝――。
「母さん、奇跡的に意識が戻ったよ」
「もう大丈夫だから、今から帰る」
「お義母さんなら隣で泣いてるけど?」
私がそう送ると、夫から返ってきたのは、たったひと言。
「え?」
その返信を見た瞬間、夫の嘘が完全に崩れたのだとわかりました。なぜ私がそんな返信をすることになったのか。話は、その日の朝にさかのぼります。
前の晩、夫から届いた連絡によれば、義母は持病の心臓病が悪化し、夜中まで危険な状態が続いているとのことでした。ろくに眠れないまま朝を迎えた私のスマホに、義母からメッセージが入ったのはその直後です。その日は遅番だった私を昼食に誘おうと、勤務先の近くまで来ているというのです。
「お昼、一緒に食べない?」
文面も絵文字も、いつもとまったく同じ。夜中まで危険な状態だったはずの人が打ったものとは、とても思えませんでした。
昼まで待ってなどいられません。すぐに電話をかけると、義母はいつもの明るい声で出ました。私はそのまま近くの喫茶店で落ち合い、夫から聞いた話をすべて伝えたのです。
すると、「息子は滅多に実家に帰ってこない」「アクセサリーの話なんて、息子の前でしたこともない」と義母。私は夫の嘘に、すっかり騙されていたのです。
「私が甘やかしたばかりに、こんな子に育ててしまって……」
義母はハンカチを握りしめたまま、うつむいてしまいました。あんなに背筋の伸びた人が肩を震わせているところを見たのは、初めてです。
そこへ届いたのが、冒頭の2通でした。私は、目の前で泣いている義母を見ながら、震える指で返信を打ちました。
「お義母さんなら隣で泣いてるけど?」
すぐに既読がつき、返ってきたのは「え?」のひと言だけ。その短い返信だけで、夫が動揺しているのは十分に伝わりました。
「お義母さんが危篤だとか病院に行くとか、よくもそんな嘘がつけたわね。いったいどこにいたの?」
「さぞ大事な用事だったんでしょうね。10年目のお祝いをドタキャンしてまで行くほどの」
「そういえば、あんたがお義母さんのために買ったって言ってたネックレスだけど、お義母さんはそんなものが欲しいなんて一度も言ってないそうよ?」
嘘が暴かれた夫の末路
夫は最初、「事情があったんだ」「母さんのことは勘違いさせただけで、騙すつもりはなかった」と、話をそらそうとしました。ネックレスについても、「母さんが忘れているだけだよ」と言い張ります。けれど、義母は入院どころか病院にも行っていません。そのことと、贈り物の話など一度も聞いていないと本人が言っていることを伝えると、夫はしばらく黙り込んだ末に、ようやく白状しました。
「付き合ってる彼女がいるんだ……」
相手は会社の後輩だそうです。風邪を引いた不倫相手に「どうしてもそばにいてほしい」と言われ、夫は私との約束をドタキャンしたのでした。
「彼女とは別れる!もう二度と会わない!」
そんな言葉を並べられても、もう許してあげる気にはなれません。
私の隣では、義母が義父に連絡を入れていました。ひととおり事情を説明し終えると、今度は夫に電話をかけます。
「今すぐここへ来なさい。お父さんにも全部話しました。逃げずに、自分の口で説明しなさい」
普段は物腰のやわらかい義母の、聞いたことのない低い声。夫は急にしどろもどろになりました。夫は「今は仕事中だから」と言葉を濁しましたが、義母に問い詰められるうちに、その日午前休を取り、不倫相手の部屋にいたことを認めました。
「病気の母親を言い訳にして、そんなことをしていたの?」
義母の声は震えていました。夫は電話口で何度も謝りましたが、返ってきたのは「謝る相手が違うでしょう」という一言だけ。
その後――。
私は夫と離婚し、不倫相手と元夫から慰謝料を支払ってもらいました。二人は以前から同じ日に休みを取ることが多く、社内でも関係を疑う人がいたそうです。離婚をきっかけに噂は一気に広まり、元夫は周囲の目に耐えられなくなったのでしょう。しばらくして、自分から会社を辞めたと聞きました。
元義両親は、私に何度も頭を下げてくれました。こんないいご両親に謝らせるなんて、夫は最低の親不孝者です。
元義母とは、今も定期的に会う茶飲み友だちです。血のつながりも戸籍上のつながりもなくなりましたが、あの日、私の味方でいてくれたことは今でも忘れられません。元夫との結婚生活はつらい終わり方をしましたが、彼女と出会えたことだけは、私にとって大切な縁だったと思っています。
◇ ◇ ◇
身近な人の言葉だからこそ、疑うことなく信じてしまうのは無理もありません。夫の話を信じたのも、それまで夫婦として築いてきた信頼があったからでしょう。その気持ちを利用して嘘を重ねた夫の行為は、決して許されるものではありません。
夫婦の縁は終わっても、主人公と元義母の間に築かれた信頼は残りました。血縁や戸籍上のつながりがなくても、つらいときに味方でいてくれた人との縁は、大切に続いていくこともあるのですね。