母親の知名度を持ち出す同級生
ある日、小学校時代の同級生・K原が店に現れました。K原の母親は、地元の飲食店や食品を紹介するSNSで多くのフォロワーを抱える、グルメ系のインフルエンサーです。
小学生のころから、K原は何かと私に張り合ってきました。大人になってからは疎遠になっていましたが、私がケーキ店を開いたと知り、様子を見に来たようです。
K原は店内やショーケースを見回すと、得意げに笑いました。
「実は俺も、この近くに洋菓子店を出したんだ。悪いことは言わないから、お前は早めに店を畳んだほうがいいぞ」
「どうして私が辞めなきゃいけないの?」と私が尋ねると、K原は当然のように答えました。
「うちは母さんがSNSで宣伝してくれるからな。知名度では勝負にならないだろ。客を取られてから後悔しても遅いぞ」
私は店を閉めるつもりはないと伝えましたが、K原は「そのうち現実がわかる」と言い残し、店を出ていきました。
その後、K原の店では大々的な開店セールが始まりました。K原の母親も「息子が洋菓子店を開きました」と自分のSNSで店を紹介し、連日多くの人が訪れているようでした。そうした影響もあってか、私の店を訪れるお客さまは次第に減っていきました。
しばらくして、再び店に現れたK原は、店内が空いているのを見て満足そうに笑いました。
「ほら、言った通りだろ。商売は味だけじゃないんだよ。今ならまだ、大きな損をする前に辞められるんじゃないか?」
悔しくないと言えばウソになります。私はお客さまから寄せられた意見を読み返し、商品の並べ方や包装、予約の受け付け方法などを、一つずつ見直すことにしました。
店先で困っていた年配の男性
ある雨の日、材料の仕入れを終えて店へ戻る途中、私は少し離れた場所から、K原が年配の男性に向かって何かを言っているのを見かけました。
男性は雨に濡れたまま店先に座り込んでおり、右足をさすっていました。K原は迷惑そうな表情を浮かべ、店の前から離れるよう促していました。やがて男性は立ち上がろうとしたものの、右足をかばうようなしぐさを見せ、その場に再びしゃがみ込んでしまいました。
心配になった私は、慌てて男性のもとへ駆け寄りました。
「大丈夫ですか? 何かありましたか?」
すると、K原がいら立ったように声を荒らげました。
「営業妨害だ! 店の前で座り込まれたら迷惑なんだよ。さっさと退いてくれ!」
私は思わずK原を見ましたが、男性は困ったような表情を浮かべるばかりです。事情を尋ねると、男性は近くで足を滑らせて転び、しばらく休ませてもらえないかK原に頼んだものの、断られてしまったとのことでした。さらに、スマートフォンの充電も切れてしまったらしく、家族にも連絡できずに困っているといいます。
私は救急車を呼ぶか男性に尋ねました。男性は意識がはっきりしており、「出血や強い痛みはなく、ゆっくりなら歩ける。家族の迎えを待ってから病院へ行きたい」と言いました。そこで私は、無理のないよう男性を支えながら、自分の店へ案内しました。
男性が覚えていた家族の番号に店の電話から連絡すると、迎えが来るまで少し時間がかかるとのことでした。
迎えを待つ間、男性はショーケースを眺めていました。
「せっかくだから、何か1ついただこうかな」
男性が選んだのは、店で人気のショートケーキでした。ひと口食べると、「どこか懐かしい味がするね」と目を細めました。
「小学生のころに食べたケーキの味が忘れられなくて、ケーキ屋を目指したんです」
私は、当時の記憶を頼りに試作を重ねてきたことを話しました。
男性は最後まできれいに食べると、穏やかな表情で「ケーキもおいしかったが、あなたの心づかいが何よりうれしかった。ありがとう」と言いました。
やがて家族が迎えに来ると、男性は何度も頭を下げて帰っていきました。
食品会社から届いた思いがけない依頼
数日後、店に1本の電話がかかってきました。相手は、地元で調味料や加工食品の製造・販売を手がける会社の担当者でした。スーパーでもよく商品を見かける、地域でよく知られた会社です。
「先日、弊社の社長がお世話になったそうで……」
担当者の言葉に、私は驚きました。雨の日に店で休んでもらったあの男性は、その食品会社の社長だったのです。会社の名前は知っていましたが、社長本人の顔までは知りませんでした。
その会社では、近く予定されている創立記念会に向け、菓子の発注先を検討していたそうです。社長はケーキの味だけでなく、見知らぬ自分に手を差し伸べた私の対応にも感謝し、私の店を発注先の候補に挙げてくださったとのことでした。
ありがたい申し出に「ぜひ詳しくお話を聞きたいです」と私が言うと、後日、担当者が商品内容や対応可能な数量を確認するために来店しました。依頼したいのは、会場で切り分けるホールケーキ数台と、社員に配る焼き菓子の詰め合わせだそうです。
普段より規模の大きい注文でしたが、納品までは数週間ありました。私は通常営業に影響が出ないよう、商品の種類や数量、納品方法を担当者と相談しました。個包装する焼き菓子については、原材料名やアレルギー表示、賞味期限、保存方法なども確認しました。
その結果、焼き菓子の種類を絞り、賞味期限や保存方法を踏まえ、数日に分けて製造することで、無理なく対応できる見通しが立ちました。
後日、私は見積書を提出し、内容に合意した上で正式に注文を受けました。当日まで、仕込みや包装の手順を何度も確認し、スタッフにも協力してもらいながら準備を進めました。
そして納品後、会社の担当者から「社員にも大変好評でした。社長も『またお願いしたい』と申しております」と連絡がありました。
担当者からは、創立記念会の様子を会社の公式SNSに掲載する際、ケーキと店名も紹介してよいかと確認がありました。私が了承すると、創立記念会の写真とともに店を紹介してくれました。地域で長く親しまれている会社だったこともあり、投稿後は、そのSNSを見たという人が少しずつ店を訪れるようになりました。
公式SNSの反響を疑うK原
投稿から数週間がたつと、開店前から数人のお客さまが待ってくれる日も出てきました。SNSを見て来たという人や、食品会社の商品を普段から購入しているという人もいます。
そこへ、K原が血相を変えてやって来ました。
「どういうことだよ。あの会社に宣伝を頼んだのか?」
「公式SNSで、お前の店のケーキを紹介していただろ」
K原は、私がお金や人脈を使って宣伝してもらったと思い込んでいるようでした。その声を聞いて、店内にいたお客さまたちも不安そうにこちらを見ています。
私はスタッフにお客さまの対応を任せ、K原を店の外へ促しました。そして、これまでの経緯を説明したのです。雨の日に困っていた年配の男性を店で休ませたこと。その男性が、後日、地元の食品会社の社長だったとわかったこと。さらに、会社から正式な依頼があり、見積もりや打ち合わせを経て注文を受けたこと――。
「会社から正式に注文をいただいて、納品した商品を紹介してくださっただけ。こちらから宣伝をお願いしたわけではないよ」
私が落ち着いて答えると、K原は一瞬、言葉を失ったように目を見開きました。
「ウソだろ……あの日、店の前にいた人が?」
驚いた表情のまま、K原は信じられないというように私を見ています。
「そう。私は後から知ったの。でも、会社のほうから正式にご連絡をいただいて、依頼を受けたの」
するとK原は、悔しさをにじませながらも、なお食い下がるように「そんな都合のいい話があるかよ。小さな店に、いきなりあんな会社から注文が来るわけないだろ」と声を荒らげました。
私は冷静に、会社の投稿にも創立記念会のために注文したことが書かれていると伝えました。K原はスマートフォンでその投稿を確認すると、何か言い返しかけたものの、結局は口をつぐんでしまいました。
K原はしばらく黙り込み、そのまま自分の店へ戻っていきました。それ以降、K原が私の店に来て嫌みを言うことはなくなりました。
誠実な仕事が信頼につながった
K原の店が注目を集める一方で、自分の店の客足が落ちたときは、焦りや悔しさを感じました。知名度のある人から紹介される影響の大きさを目の当たりにし、自分の努力だけではどうにもならないのではないかと弱気になったこともあります。
しかし、今回の出来事を通して、店の良さは周囲との勝ち負けではなく、目の前のお客さまとの関わりの中で少しずつ築かれていくものなのだと感じました。
これからも開業したころの気持ちを忘れず、食べた人に喜んでもらえるケーキを、一つひとつ丁寧に作り続けていきたいです。
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知名度を生かした宣伝で勢いを増す同級生の店を前に、焦りを感じた主人公。それでも相手をおとしめることなく、商品や接客と向き合い続けた姿勢が、思いがけない信頼につながりました。話題性が注目を集めるきっかけになる一方で、店への信頼を支えるのは、目の前の人への誠実な対応と日々の積み重ねなのかもしれません。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
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