ようやく見つけた町工場
当時30歳だった私は、家電メーカーの資材調達チームを率いていました。あるとき、新商品に特殊なネジが必要になりましたが、求める仕様で製造できる会社がなかなか見つかりません。
調べ続けてようやくたどり着いたのが、地方にある昔ながらの町工場でした。私は女性の部下・H田さんと工場へ出向き、工場長に頭を下げました。
「お願いします! どうしても、こちらのネジが必要なんです!」
断られるかと思いましたが、工場長は「どうしても必要なんて言われたら、うれしくて困るだろ」と笑い、契約の話を進めてくれました。
H田さんは3年前に入社した私の部下で、人懐っこく、細かな気づかいのできる人でした。工場長の好物がようかんだと事前に調べて手土産に用意するなど、仕事でも何度も助けられていました。
一方で、不思議なこともありました。私がラーメンのチャーシューを最初に食べることや、モツや焼酎が好きなことなど、話した覚えのないことまで知っていたのです。
一緒に仕事をするようになって3年がたち、H田さんは誰よりも安心して仕事を任せられる存在になっていました。そして私自身、いつの間にか彼女のことが気になるようになっていました。
「あんな古い工場はいらねー」
町工場から戻った日は、会社の親睦会がありました。そこには、私が憧れていた世界的な家電デザイナーのI田さんも参加していました。
I田さんは部長の伯父でもあります。部長はことあるごとにその関係を誇っていましたが、仕事ぶりについては部下たちからあまり評価されていませんでした。
その席でI田さんは、以前私が探した資材のおかげで良い商品ができたと褒め、さらに自宅へ招いてくれました。H田さんも私の好きな酒を注文してくれ、楽しそうに話していました。
そんな様子を見ていた部長は、なぜか不機嫌そうでした。
それから1週間後、私は突然呼び出されました。
「お前が架空出張に行ったことはわかってるんだ!」
部長は、町工場への出張を自分は指示していないと言い、さらに「女性社員を無理やり同行させたという話もある」と主張しました。
私は「H田さん本人に確認してください」と訴えましたが、まともに取り合ってもらえません。
部署へ戻り、改めて部長を問い詰めると、H田さんも驚いていました。しかし部長は聞く耳を持たず、
「あんな古い工場とかいらねー」
「お前はクビ! お疲れさん」
と言い放ったのです。
その場で正式な処分が決まったわけではありませんでしたが、私は会社に失望しました。このままでは町工場にも迷惑がかかると思い、工場長に事情を説明しました。
すると工場長は、「そんな扱いをされるくらいなら、こっちから断る」と言いました。まだ正式な量産発注前だったため、取引の話は白紙になりました。
その後、私は会社を退職することにしました。
退職後、会社で起きた異変
ちょうどそのころ、町工場では社員数人がぎっくり腰になり、人手不足になっていました。私は迷惑をかけたお詫びも兼ねて働かせてほしいと頼み、そのまま町工場へ転職しました。
それから2週間ほどたったころ、以前の会社では新商品の製造が止まり、大騒ぎになっていたそうです。原因は、例の特殊なネジでした。
私が調べた限り、そのネジを製造できるのはあの町工場だけ。事態を知ったI田さんも、部長に「ネジがないとは、どういうことだね!?」と問いただしたそうです。
一方、私は町工場で出荷管理や採用を任され、ホームページを作って求人を出しました。
すると、その直後に事務所の呼び鈴が鳴りました。ドアを開けると、そこに立っていたのはH田さんでした。
「私を雇ってください!」
しかも、
「会社を辞めてきました!」
と言うのです。
「O栗さんのもとで働きたいんです」と言われ、私は驚きました。工場長は事情を聞くと、あっさり「採用!」。こうして再びH田さんと一緒に働くことになりました。
その後、以前の会社の部長が「契約してあげる」と横柄な態度でネジを求めに来ました。しかし大量のネジの中から目的のものを見分けられず、結局、何もできずに帰っていきました。
数日後にはI田さん自身が工場を訪れ、部長の行動を謝罪。部長を担当から外したうえで、改めて契約してほしいと申し出ました。工場長に判断を任された私は、契約を受けることにしました。
15年前から続いていた縁
その後、私はI田さんに工場のネジを見てもらいました。すると、工場長が趣味で作ったネジを見て、「これを探しているデザイナーを知っている」と言うのです。
紹介された相手との商談は成立し、それをきっかけに新しい取引先も増えていきました。
そしてある日、H田さんが私について妙に詳しかった理由もわかりました。
実はH田さんの両親は、昔、私の実家の工場で働いていました。15年ほど前、私は従業員の子どもたちとよく遊んでおり、その中に幼いH田さんもいたのです。
私も彼女のことを覚えていましたが、向こうが覚えているかわからず、言い出せずにいました。
さらにH田さんは、今でも私の母と連絡を取っていたそうです。
私が「本当に気づかいがじょうずだね」と言うと、H田さんは、
「……特別ですよ?」
「O栗さんが、私にとって特別だから……」
と打ち明けてくれました。
それをきっかけに私たちは交際を始め、2年後に結婚。転職から5年後には新しい工場を建てられるほど仕事も増え、今では娘と3人で暮らしています。
まとめ
会社を辞めようと決めたときは、積み重ねてきた仕事まで否定されたようで悔しく感じました。しかし、取引先や仲間を大切にしてきたことが、新しい仕事や人との縁につながりました。環境が変わっても、誠実に向き合ってきた経験は無駄にならないのだと感じています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
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