彼女はこう続けました。「今日は初日だけ出社ということで、旦那様がわざわざ家まで迎えに来てくれたんですよ! そのときに、奥様のことをお聞きしたんです」
夫が、家まで? 引っかかりを覚えて口を挟もうとしましたが、その隙も与えず彼女は話し続けます。
新しい事務員、様子がおかしい?
「私、旦那様の秘書として採用されました! だから奥様にもご挨拶したほうがいいかなと思ったんです。リモートでいいと言われているので、お顔を合わせる機会もないでしょうし……」
慌てて彼女の応募書類と面接の評価シートを確認すると、たしかに事務職の一員として、夫の補助につく形で採用されていました。夫は採用業務の一部を担当しており、彼女の採用にも関わっていたとのこと。さらに、リモート勤務についても、夫が自分に権限があるかのように都合よく説明していたことがわかりました。
ただ、彼女の話には引っかかる点が多々あります。詳しく聞いてみようと思っていたところで、彼女は「これからお世話になりますね、奥様!」とだけ言い残し、電話を切ってしまいました。
夫の言い分
私はその足で、まだ院内に残っていた夫のもとへ向かいました。
「今回の中途採用、あなたが担当だったわよね? さっき、その中途採用の事務員さんから電話があったの」彼女に言われたことをすべて伝えると、夫はみるみる青ざめました。
「え、マジ……?」「彼女が不安だって言うから、仕方なく迎えに行っただけだよ。人手不足だし、大事な人材だから……」
たしかに人手は足りていません。けれど、今いるスタッフだって、それぞれ不安を抱えながら入社し、働いてくれています。彼女ひとりを特別扱いしていい理由にはなりません。
そう指摘すると、夫は声を落としてこう続けました。「実は彼女、政治家の娘なんだよ!」「コネも必要かなと思って。病院の経営を任されている君なら、喜んでくれると思ったんだけど」
たしかに私は、父からこの病院の経営を任されている身です。ですが、政治家とつながったところで、患者さんが増えるわけでも、現場の人手が足りるわけでもありません。何より私は、後ろ暗いところのない病院にしていきたいのです。
「こんなこと思いたくないけど……あなた個人の好みで選んだんじゃないわよね?」「さっき応募書類を見直したけれど、彼女より適している応募者は何人もいたよね」「政治家とのパイプなんて、後付けの理由じゃないの?」
夫はムッとした様子で、「彼女なら一生懸命働いてくれるって!」と言い返してきました。
「じゃあ、あなたの秘書ってどういうこと? あなた、秘書がつくような立場ではないでしょう」そう言うと、夫は気まずそうに目をそらしました。
そんな夫に私は「彼女の業務は、あなたの秘書ではなく、うちの事務として進めてもらいます! それに勤務態度に問題が続くようなら、試用期間中に本採用を見送ることも考えますからね」と釘を刺しておきました。
勘違い女と嘘つき男の末路
それから1カ月後、彼女の仕事ぶりは散々なものでした。仕事は覚えない、作業も遅い、欠勤も多いと、事務長から報告を受けました。事務長が、仕事に慣れるまで病院に来てほしいと言っても拒否したとのこと。
私が電話をかけて面談を申し出ると、彼女は、開口一番「出社はパスって言ったじゃないですかぁ〜」と不満そう……。
いらだちを抑えながら「仕事を覚えるためには出社も必要」と返すと、彼女は鼻で笑い「教え方が悪いんじゃないですか?」と言い、さらに「医者でも看護師でもない人が、口を出さないでくれます〜?」「私、夜は旦那さんの秘書をやってるので」と続けます。
そもそも、秘書としての採用をしたつもりはありません。具体的に何をしているのかと尋ねると、彼女はこう答えました。
「彼を癒やしたり、仕事のモチベーションが下がらないようにサポートしたり……あとは、お食事に付き合ったり、話し相手になったり、いろいろですよ!」
そして、勝ち誇ったように言い放ったのです。「実はね、お医者様の旦那様はいただいちゃいました♡ 私たち、付き合ってます」 そう言って、彼女は笑いました。「奥さま、ごめんなさぁい」
「……お医者様って、どなたのことですか?」
「え?」
「私の夫は、医者ではありませんよ。一般事務員です」
彼女は目を見開きました。
「そんなわけないじゃないですか! 彼、院長先生の跡取りで、次期院長でしょ!?」「本人がそう言っていたし!」
そこで判明したのが、彼女の大きな勘違い。
夫は、結婚を機にうちへ婿入りし、私の家の名字を名乗っています。しかし、この病院の院長は、私の実の父。経営を任されているのは夫ではなく私で、次期院長はいま海外にいる医師の兄です。
そもそも夫は3年前まで一般企業の会社員でした。人員整理で職を失い、行くあてもなくなって、うちで事務をすることになったのです。
私は彼女に、それらの真実を伝えました。
「ご実家にどんな政治家の方がいらっしゃるかは存じませんが、既婚者である夫との関係は、さすがに見過ごせません」
すると彼女は、驚いた様子を見せて言いました。「私、ごく普通の家庭の出ですけど?」「政治家なんて、親戚にひとりもいません」
心当たりのなさそうな彼女の声を聞いて、確信しました。政治家の娘という話は、夫が自分の行動を正当化するために作り上げたもの――私にまで、嘘をついていたのです。
その後――。
私はまず、彼女の勤務記録や、ふたりのやり取りについて周囲から聞き取った内容を整理しました。そのうえで、すべてを院長である父に報告。父は驚きを隠せない様子でしたが、本人たちからの聞き取りを経て、就業規則にもとづく対応を進めることになりました。
私は夫に離婚を突きつけ、双方に慰謝料も請求しています。
夫が裏切っていたという事実はショックでしたが、だまされたまま結婚生活を続けるより、本性がわかってよかったと思っています。
私は相変わらず、病院の経営に奔走する毎日です。もうすぐ兄が帰国するので、これからは兄と力を合わせて、ひとりでも多くの患者さんを救える病院の体制を整えていきたいと思っています。
♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢
見栄を張って嘘ばかりついていた夫も、ずるい考えで人のものを奪おうとした彼女も、最後は信頼も居場所もすべて失うことになりました。欲や甘い言葉に流されて誰かをだましたり横取りしたりしても、結局は全部自分に返ってくるだけです。
自分を偽らず、誠意を持って人と向き合うこと——それが巡り巡って、自分自身の暮らしを守ることにつながるのではないでしょうか。
【取材時期:2026年7月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。