義両親&義妹「高級寿司しか価値ない」義祖母の退院祝いをドタキャン!→数年後、待っていた散々な末路

義両親と義妹は、昔から時間にルーズで約束を軽く考える人たちでした。遅刻やドタキャンは日常茶飯事で、入院していた義祖母のお見舞いにも一度も顔を出しませんでした。
代わりに、私は頼まれた荷物を病院へ届け、できるだけ義祖母が寂しい思いをしないよう娘を連れて通い続けていました。
医師から「病状は決して楽観できません」と告げられていた義祖母は、日に日にやせていき、「私はもう、あの子たちには必要とされてないのかもしれないね」と寂しそうに笑うことも……。その姿を見るたび、私は胸が締め付けられる思いでした。
そんなある日、義祖母が一時退院できることになり、娘が「ひいおばあちゃんの退院祝いをしよう!」と張り切って準備を始めました。
部屋を飾り、料理やお寿司を用意して、みんなで義祖母を迎える予定だったのですが、開始直前になって義両親と義妹からとんでもない連絡が入ったのです……。
義祖母の退院祝いを台無しにした義両親たち
「今日は行かないわ! 外食することにしたの。やっぱり高級な寿司しか食べたくないのよ〜」
「そっちのお寿司なんてスーパーの安いやつでしょ? 食べる価値ないじゃない」
義両親と義妹からそう言われた瞬間、娘は怒りで顔を真っ赤にしていました。私も悔しかったですが、それ以上に忘れられないのは、一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべた義祖母の姿です。
それでも義祖母はすぐに笑顔を作り、「あなたたちがいてくれるだけで十分幸せだよ」とやさしく言ってくれました。
怒る娘に親として伝えたこと
その日の出来事がどうしても許せなかった娘は、「何か仕返しできないかな?」と私に相談してきました。
私自身も義両親たちの行動は許せませんでしたが、親として仕返しを勧めることだけはしたくありません。
考えた末、私は娘にこう話しました。
「人にひどいことをした人は、いつか自分の行いが自分に返ってくるものだよ」
「だから私たちは、そんな人に時間を使うんじゃなくて、大切な人を大事にしよう」
娘は納得しきれていないようでしたが、それ以降は義祖母にできることを精いっぱいしようと気持ちを切り替えてくれた様子。病院へは私と一緒に通い、会えない日は手紙を書き、少しでも笑顔になってもらえるよう頑張ってくれていました。
その間も、義両親と義妹が病院へ姿を見せることは一度もありませんでした。
義祖母の最期と義両親たちのその後
数年後、義祖母は静かに息を引き取りました。
危篤と知らされたときでさえ、義母と義妹は「前からチケットを取っていたから」とアイドルのコンサートへ出かけ、義父は競馬へ。結局、義祖母の最期を看取ったのは、私たち夫婦と娘だけでした。
「最後くらいは会いに来てほしかった」
そう願っていた義祖母の気持ちを思うと、今でも胸が痛みます。
義祖母が亡くなったあと、ちょうど私たちは夫の転勤が決まり、遠方へ引っ越すことになりました。新生活が始まって慌ただしく過ごしていたある日、義両親が交通事故に遭い、大けがをして入院したという連絡が入ったのです。
入院生活では何かと家族の手助けが必要だったようですが、私たちは物理的に距離が離れてしまっていたため、必要最低限の連絡やサポートをするのが精いっぱいでした。
義妹も相変わらず約束を守らず、お見舞いや必要な荷物を届ける約束を何度も破っていたようで、義両親はかなり苦労していたと聞きました。
さらに義妹は、そのだらしない性格が原因で婚約者との信頼関係を失い、婚約は解消。仕事も無断欠勤を繰り返し、退職することになったそう。
それでも義両親は、「義祖母の遺産があるから大丈夫」と考えていたようでした。しかし、義祖母は生前に公正証書遺言を作成しており、そこには、財産の大半を生前にお世話になった人や支援先などへ遺贈し、義両親や義妹に残す財産はごくわずかとする内容が記されていました。
その内容に義両親たちは激怒しましたが、もちろん私たちが何か口出ししていたわけではありません。すべて義祖母自身が考え、決めたことだったのです。
私たちはこれからも義両親や義妹に必要以上に関わることなく、適度な距離を保って暮らしていこうと思っています。
あのとき娘に伝えたように、人への向き合い方は、やがて自分の人間関係にも表れるのだと感じています。
◇ ◇ ◇
人への思いやりは、きっと巡り巡って自分にも返ってくるもの。だからこそ、これからも目の前の大切な人を大事にして生きていきたいと思っています。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、義祖母を支え続けた女性と娘が登場します。お見舞いにも最期にも顔を出さなかった義両親たちは、のちに自分たちも周囲の支えを十分に得られず、あてにしていた遺産も思うようには残されていなかったのでした。
続く2つ目のエピソードでは、けがをした義父と同居し、最期まで支えた夫婦が登場します。ところが、義父をないがしろにしてきた義兄夫婦は、遺された家だけを欲しがって……。
義父の他界後「遺言だから出ていって」静かに去った私たち→2年後「こんなはずじゃ…」義姉が嘆いたワケ

元料理人の義父は、退職後、小さな町で生活していました。1人暮らしということもあり、私たち夫婦も頻繁に顔を出していました。
一方、義兄夫婦は義父と疎遠でした。遊びに行くことはなく、義父の家に出向くのは、お金の無心をするときのみでした。
そんな義父がけがをしてしまいました。田舎の段差だらけの大きな家で1人で暮らすのは難しいと考え、私たち夫婦は同居を決意しました。
しかし、それを長男夫婦は気に入りませんでした。特に義姉は、義実家を私たちに取られてしまうのではないかと思い、気が気ではないようでした。
義姉は、のどかな環境と趣のある日本家屋や庭が気に入っている様子でした。いずれは長男である義兄が相続するのだから、きれいに使いなさいよと、義姉にくぎを刺されました。
義父の遺言書
同居して半年後のこと、義父が急逝しました。長男夫婦に連絡すると、旅行の予約があって葬儀には出席できないとのこと。義父への感謝が感じられないほど、あまりにあっさりした反応に、驚きを隠せませんでした。
しかし葬儀には出席しなかったものの、遺言書だけはしっかりと確認した長男夫婦。
「遺言書には、この家は長男夫婦に譲ると書いてあったの。悪いけど、ここは私たちが使うことになるから、出ていってもらえる?」と、葬儀を終えて早々に私たちを追い出したのです。私たちは「わかりました」とひと言残し、言い争うことなく、義実家を出ました。
私たち夫婦に残されたのは、1冊のレシピノート。現役時代、義父が店で出していたメニューが載っています。義母にすら教えなかった、秘伝のレシピ。それを教えてもらえるだなんて、とてもうれしい気持ちでした。
というのも、実は私たち夫婦は小さな飲食店を経営しており、夫は板前です。ですから、このノートは願ってもないものでした。
そもそも、私たちは遺産をあてにしてはいませんでした。義実家に頻繁に通ったのも、同居をして義父のお世話をしたのも、ただ単純に義父のことが好きで手助けをしたかったからなのです。
義姉は、私たちが大した遺産ももらえず、本当は悔しいはずだと思っているようでした。
電話口でもどこか勝ち誇ったような口ぶりで、私たちを気にかける様子はありませんでした。もちろん、私たち自身はそう思っていませんでしたが……。
他界して2年後の悲劇
義父が他界して2年後のこと。ある日、義姉が慌てた様子で電話をかけてきました。雨漏りがひどく、雨が降るとびしょぬれになってしまうとのこと。お風呂のドアも壊れ、今にも床が抜けそうな箇所もあるようです。
義父が生きていたころはきちんと手入れをしていたので、風格のある素敵な家でしたが、とにかく古い家なのであらゆる手入れが必要です。しかし、義姉たちはそれを怠ってしまい、とんだ結果を招いてしまいました。
「家族なんだから、しばらく泊めてほしい」「このままじゃ住めない」と、必死な様子で頼まれましたが、それは無理でした。なにせ私たちは、義実家から遠く離れた土地へ引っ越しており、今の住まいにも人を泊められる余裕はありませんでした。
それならお金で支援してほしいと頼まれましたが、きっぱり断りました。お金の無心をされ続けた義父から、彼らには絶対お金を貸してはならないと忠告されていたからです。
たしかに義父の家はとても大きな敷地に立派な家が建っています。素敵な古民家ですが、義父のように丁寧な暮らしをしてこそ保てるもの。あれほど欲しがっていた義姉も、現実を知ったようでした。
手放そうと見積もりを取っているようですが、いかんせん郊外なのであまり高値がつかず、上物である家は古すぎて値段がつかないとのこと。こんなはずじゃなかったと嘆いていました。
義兄夫婦の末路
一方、私たちにとって、あのノートは宝の山で、義父のレシピのおかげで店は連日大盛況。私たちの順調な暮らしぶりを知り、長男夫婦は「ずるい!」と騒ぎます。お店の収益は遺産の一部だと言い張りますが、そんなわけがありません。
もしかしたら、義父はこうなることを予想していたのかもしれません。「長男夫婦が家のメンテナンスができるわけがない」とにらんでいたのではないかと思わずにはいられません。
そもそも、義父の遺産が家とノートしかなかったのは、度重なる彼らの無心のためでした。
結局お金がない彼らは、家を直すことも、壊すこともできず、そのまま家を放置しているとのこと。売るにしても、名義の問題や手続き、費用の負担があり、簡単には動けない状況のようでした。今後どうするつもりかと聞くと、もういらないと言いました。
義父が大切にしていた家だったこともあり、話し合いと必要な手続きを経て、最終的に私たちが引き継ぐことになりました。私たちが引き継ぐことが決まると、義姉は途端に「この家に住みたい」と言い出しました。それも予想の範囲内でした。すでに名義変更を済ませ、鍵も取り換えています。
私たちのお店は、義父のおかげで順調です。レシピや家はこれからも大事に守り続けるつもりです。
◇ ◇ ◇
義父が残した「家」と「レシピノート」は、その後、それぞれ違う道をたどりました。受け取ったものの価値を生かせるかどうかは、その後どう向き合い、大切にしていくかにもよるのでしょう。
遺産は、ただ受け取るだけのものではなく、残した人の思いごと引き継ぐもの。その思いにどう向き合うかが、受け取ったあとの未来を左右するのだと感じさせられる体験談です。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、亡くなった人の思いを軽んじた義家族に返ってきた報いを、女性たちが目の当たりにするエピソードをご紹介しました。
義祖母のお見舞いや最期に顔を出さなかったり、義父の世話や葬儀を軽く考えたりしていた義家族たち。生前は大切にしなかったにもかかわらず、遺産や家だけを都合よく欲しがる姿には、あきれてしまいますよね。
遺されたものには、亡くなった人の思いや、共に過ごした時間の重みが込められているはずです。目先の損得だけで動くのではなく、大切な人に日ごろから誠実に向き合うことを忘れずにいたいですね。