昼前に始まる嫁教育
最初はお茶を飲んで少し話す程度でしたが、次第に義母は私の家事に口を出すようになりました。冷蔵庫を勝手に開けて中身をチェックしたり、収納棚を開けて物の位置を変えたり。昼時になれば、当然のように食事の準備まで頼まれるようになりました。
ある日、義母は玄関へ入るなり、楽しそうに言いました。「せっかく近くに住んでるんだし、これから毎日来て家のこといろいろ教えてあげるわ」冗談だと思いたかったのですが、義母は本気でした。買い物へ行く予定があっても、義母が来れば予定は後回し。昼食を用意して片付けるころには午後になり、義母はソファでひと休みしてから帰っていきます。最初は義母と仲良くしたいと思っていましたが、次第に息苦しさを感じるようになりました。
ひどく疲れた顔をしている私を心配した夫は、事情を聞くとすぐに義母へ電話をしてくれました。「これからは、来る前に必ず連絡してほしい。予定があるし、連絡なしで来たときは家に上げられないこともあるから」
夫ははっきり伝えてくれて、義母も「わかった」と答えたそうです。ところが翌日の昼前、鳴り響いたインターホンの画面に映っていたのは、やはり義母でした。
夫婦で決めた「別の方法」
私はインターホン越しに、「今から買い物に出るので、すみません……」と伝えました。すると義母は驚いた顔で「買い物なんてあとでも行けるでしょう? せっかく来たのに」と返してきました。
「でも、昨日夫からもお話ししたと思うのですが……」そう言っても、義母は「少しくらいいいじゃない。あなたは家にいるんだから」と引き下がりません。その日はなんとか帰ってもらいましたが、夫が何度伝えても、翌日も、その次の日もやって来ました。
その夜、私たちは話し合いました。夫はしばらく考え込んだあと、言いました。「もう母さんを変えようとするのはやめよう。俺たちのほうで、別の方法を考えよう」私もうなずき、その夜、ある方法を取ることに決めました。
しばらくして、いつものように義母がやって来ると、キッチンを見回しながら指示を始めました。これまでは、買い物の予定を伝えたり、自分で済ませたい家事はやんわり断ったりしていました。けれど、その日は違いました。
「はい、わかりました!」私は笑顔で答えました。義母は一瞬きょとんとしたあと、うれしそうにうなずきました。言われたことを従順にこなす私を見て、自分の教えが伝わったと思ったようです。「あなたもだいぶ慣れてきたわね」義母が満足そうにうなずくと、私は何も言わず、にこりと笑って受け流しました。心の中では、「あと少し」と自分に言い聞かせていました。
笑顔の意味が明かされた日
ある日の昼前、インターホンが鳴りました。義母です。ところがこの日、義母が目にしたのは、いつもとはまるで違う光景でした。共用廊下には作業員が行き来し、玄関の奥には段ボールが積まれています。駐車場には引っ越し業者のトラックも停まっていました。
義母は目の前の光景を見て、声を失いました。「何これ……?」私は笑顔で答えました。「今日、引っ越すんです」聞いていない、どこへ行くのか、なぜ黙っていたのか。矢継ぎ早に問われましたが、私は笑顔のまま答えました。
「今日までお世話になりました!」そこでようやく、義母も私の態度が変わった理由に気づいたようです。あの夜、夫と決めた“別の方法”とは、物理的に距離を置くことでした。
引っ越してまだ数カ月。費用も手間もかかるため迷いましたが、この生活が続くよりはと、夫の通勤圏内で義実家から離れた場所への転居を決めたのです。引っ越すこと自体を隠し続けるつもりはありませんでしたが、新しい住所は知らせないことにしていました。終わりが見えていたからこそ、私は笑顔で受け流せたのです。
義母が頼った先は
事情を知った義母は、私が夫をそそのかしたのだろうと責めましたが、そばで作業をしていた夫が駆けつけ、それを否定しました。引っ越しを提案したのは自分で、無断訪問をやめてほしいと伝えても状況が変わらなかったから決めたのだと、説明したのです。
それでも納得できない様子の義母は、義父へ電話をかけましたが、その声はすぐに止まりました。「あなたまで知ってたの……?」
そのとき、電話口の声は聞こえませんでした。しかし後から聞くと、夫は引っ越しが決まったあと義父にだけ事情を説明していたとのこと。義父は驚いたものの、「2人で決めたなら」と受け入れ、義母には話さなかったそうです。
義母は言葉を失いました。夫は「また同じことにならないよう、当面は住所を伝えず、会うときはこちらから連絡する」と伝えたのです。それ以上、義母は何も言いませんでした。しばらくして義父から、義母も「良かれと思っていたけれど、少しやりすぎた」と反省していると聞きました。新しい住所はまだ伝えていませんが、今は必要なときにこちらから連絡し、ほどよい距離感を保てています。
引っ越しトラックが走り出したとき、私はようやく肩の力が抜けたのでした。
◇ ◇ ◇
家族だからといって、相手の生活に踏み込んでもいいわけではありません。どれだけ親しい間柄でも、互いの生活に踏み込みすぎず、尊重できる距離感を大切にしたいですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。