5回目のドタキャンと「冷たいこと言うなよ」
義父が亡くなったのは、3年前の秋です。葬儀のあと、夫は「母さんが寂しそうだから」と言い、週末になると実家へ通うようになりました。
最初は私も、ひとりになった義母を支えてあげてほしいと思っていました。しかし、実家へ行く回数は増える一方です。夫婦で過ごす時間は減り、楽しみにしていた約束も何度となく破られるようになりました。
「電球交換もパソコンの修理も、業者に頼めばいいんじゃない? あなたが行かなくてもできるでしょう」
そう返すと、夫からはすぐに返信がありました。
「冷たいこと言うなよ。父さんがいなくなって、母さんは寂しいんだ。なるべく側にいてやらないと」
そう言われると、私には何も言えません。義母とは盆と正月に顔を合わせる程度の間柄です。夫からは「母さんは嫁に気を遣わせるのを嫌がるから、用があれば俺を通して」と言われていて、私から電話をかけたことは一度もありませんでした。喪中が明けて届いた年賀状に、義母の字で「パソコンを習ってみたい」と一言添えてあったときも、夫は「母さんには無理だよ」と笑っただけでした。
平日の夫は「繁忙期だから」と言い、終電で帰る日が続いていました。勤め先が違うので、本当に忙しいのか私にはわかりません。話しかけても「疲れてるんだ」と会話を切られます。夕飯は毎晩、私ひとり分。作る気にもなれず、スーパーの総菜をパックのまま食べる日が増えていきました。
実家に泊まる夫と、減っていく貯金
義父が亡くなってから1年以上がたったころ、夫は実家に泊まってくるようになりました。
「母さんがひとりで寝るのが寂しいって言うんだよ。悪いけど今夜は泊まる」
日曜の夕方にようやく帰ってきた夫は、私の顔も見ずに浴室へ向かいます。洗濯かごのシャツからは、家では使っていない甘い柔軟剤の香りがしました。実家の洗剤だろうと、気のせいだと思うことにしたのです。
同じころ、2人で毎月入金していた夫名義の積立口座から、80万円が引き出されていることに気づきました。カードは夫が管理しています。理由を聞くと「母さんの家の屋根が傷んでて、修理代を出したんだ」という答えでした。
最近の夫は、義母の話になると急に声が強くなります。
「せめて相談してほしかった」
「親の家のことだぞ。いちいち嫁の許可がいるのかよ」
それ以上は聞けませんでした。義母に確かめることも考えましたが、それは夫を疑っていると打ち明けるのと同じです。私にはまだ、その勇気がありませんでした。私は通帳のコピーを引き出しの奥にしまい、ひとまず考えないようにしました。2人で少しずつ貯めてきたお金なのに、私には使い道を相談する価値すらないのだろうか。通帳をしまったあとも、夫の「嫁の許可がいるのかよ」という言葉が頭から離れませんでした。
コートのポケットに入っていたレシート
3月のある日曜の夜、帰ってきた夫のコートをクリーニングに出そうとすると、ポケットから1枚のレシートが出てきました。都内のホテルにあるレストランのもので、2名分のコース料理。日付は前日の土曜日、会計の時刻は21時48分です。
私は自分のスマホを開き、前の晩に夫から届いたLINEを確かめました。
「母さんと鍋食べてる。今日はこのまま泊まるわ」
送られてきたのは、21時40分でした。レストランで会計をする、わずか8分前です。義実家はホテルから電車を乗り継いでも1時間以上かかる場所にあります。何度見比べても、時間が合いません。スマホを持つ手が震えて、画面がうまく見られませんでした。床に座り込んだまま、気づけば窓の外が明るくなっていました。
それから数日、食事はほとんど喉を通りませんでした。台所に立っても何を作ればいいのかわからず、取り込んだ洗濯物はソファの上に山になったまま。会社のトラブル対応には慣れているはずなのに、自分の家のことには、まったく手が出せなかったのです。
夫を問い詰める言葉は、何度考えても出てきません。平日は終電、週末は実家という夫の生活は、何も変わりませんでした。私は畳めない洗濯物の横で、ひとり分の総菜を食べ続けました。
「母さんが倒れた」と送ってきた夫
10月のある夜、夕飯の途中で夫からLINEが届きました。
「病院から連絡があって、母さんが倒れた! 落ち着くまで実家に泊まり込むから、しばらく家には帰れない」
向かいに座っていた人が私のスマホをのぞき込み、あきれたように苦笑しました。
「あらぁ、それは大変ねえ」
声の主は義母でした。私はその夜、義実家の食卓で、義母の作った筑前煮を食べていたのです。
「大変ね」とだけ返すと、夫からはすぐに怒りの返信が来ました。
「もっと心配しろよ! 俺の母親が倒れたんだぞ!」
どこが悪いのか尋ねると、夫は「救急で運ばれた。心臓の検査が必要らしい」と返してきました。
私は向かいに座る義母を見ました。義母は呆れたように小さく息をつき、私にうなずきます。
そこで私は、夫に短く返しました。
「お義母さんと今ご飯中だけど?」
既読がついたまま、返信はしばらく止まりました。やがて届いたのは、「え、なんで母さんがそこにいるんだよ」という一文です。すると義母が、私のスマホを受け取りました。
「どこの病院かしら。母さんはここにいますよ」
しばらく返信はありませんでした。ようやく届いたのは「なんで母さんがそのLINEを打ってるんだよ」という一文です。義母は続けて打ちました。
「今すぐ実家に来なさい。隣にいる人も一緒にね」
2時間近くたって、夫はひとりで玄関に立っていました。
「一緒にいた女性はどうしたの?」
義母が尋ねると、夫は驚いたように私たちを見ました。その場で女性にも連絡しましたが、結局、姿を見せることはありませんでした。
居間のテーブルには、私が持ってきたファイルが置いてありました。
私が義母と初めてゆっくり話したのは、あのレシートを見つけてから1カ月ほどたった4月です。義母から突然、「年賀状にも書いたけど、パソコンを教えてもらえないかしら」と電話がありました。
レシートを見つけて以来、夫が本当に義実家へ通っているのか、疑問を抱いていました。それでも、夫に直接確かめる勇気はありませんでした。義母と話せる機会を逃したら、もう確かめられないかもしれない。そう思い、私は思い切って尋ねました。
「いつも週末は主人がお世話になっていますよね?」
ところが、義母の返事は「あの子、お正月から一度も来てないわよ」というものでした。屋根の修理も、頼んだ覚えはないそうです。
やっぱり、そうだったんだ。
予想していた答えなのに、胸が締め付けられました。夫に断られた約束や、ひとりで食べた夕飯が次々によみがえります。あれほど「母さんが寂しいんだ」と言っていたのに、その言葉は私との約束を破るための口実だったのです。
その後、義母から、義父は昔気質で、義母が外で働くことにいい顔をしなかったと聞きました。事務の仕事をしてみたいという義母の希望を知り、私は週末にエクセルを教えることにしたのです。
ファイルの1枚目は、義母が物忘れ防止にとエクセルでつけ始めた予定表です。義母は誰かが訪ねてきた日も記録していました。その横に、夫が私に「実家に行く」「泊まる」と送ってきた日付を並べてあります。照らし合わせられた日だけでも、4月から9月までで14回。そのすべての日に、夫は実家に来ていませんでした。
2枚目は80万円が引き出された口座の記録です。3枚目は、あのレシートの写真と、ほぼ同じ時刻に夫から届いた「母さんと鍋食べてる」というLINEの画面です。
そして最後が、調査会社の報告書でした。5月に弁護士へ相談したとき、「否定されたら終わりなので、話すのは証拠をそろえてから」と言われ、数か月かけて記録を集めてもらったものです。夫が「実家に泊まる」と言っていた土曜日に、会社の後輩の女性のマンションへ入り、翌朝2人で出てくる写真が、日付入りで何枚も残っていました。
テーブルの端には、私が署名を済ませた離婚届も置きました。証人欄の1つには、義母の名前があります。「私の名前を使って嘘をついたうえに、夫婦で貯めたお金まで持ち出すなんて」と、義母が自分から書くと言ってくれたのです。
夫の顔からは、みるみる血の気が引いていきました。
「違う、これは、その……母さん、何とか言ってくれよ」
「私を勝手に救急車に乗せた子に、言うことなんてないわ」
義母の返事を聞いた夫は、今度は私をにらみつけました。
「2人して、ずっと俺のことを笑ってたのかよ。最低だな」
「笑えるわけないでしょう。レシートを見つけた夜、私は朝まで床に座り込んでいたの。洗濯物も何日も畳めなかった。それでもあなたは、お義母さんを言い訳にして出かけていったのよ」
夫は報告書の写真を1枚ずつめくり、どこにも言い逃れできる箇所がないと分かると、手を止めました。やがて小さな声で「……すみませんでした」と言い、ペンを取りました。ずっと聞きたかったはずの謝罪なのに、何も言葉が出てきませんでした。目の前で離婚届に向かう夫を見ても、もう引き止めたいとは思わなかったのです。
離婚届は、弁護士に記入内容を確認してもらったうえで、3日後に提出しました。慰謝料と財産分与、80万円の使い道については、弁護士を通じて書面で確認することになりました。相手の女性にも、慰謝料を請求する書面が届いています。
3階に越してきた元義母
翌月、義母から電話がありました。ハローワークで紹介された事務のパートに、採用が決まったそうです。エクセルが使えることを評価されたと、義母の声は弾んでいました。「あなたに教えてもらってよかった」と言われ、私もうれしくなりました。夫とのことで何度も涙を流したけれど、お義母さんと出会い直せたことだけは、よかったと思えたのです。
義母は、ひとりには広すぎる家を売って、小さなマンションに移りたいとも考えていました。同じ沿線で探すうちに管理会社に問い合わせると、私の住むマンションの3階に空きが出る予定だと分かりました。
「家のことも引っ越し先も、あの子には言わないでおいてね」
年が明けて、義母は実家を売り、3階に越してきました。
80万円は、相手の女性との旅行や食事に使われていたことが分かり、慰謝料とは別に財産分与で清算されました。相手の女性は書面を受け取ったあと、社内の人に相談したらしく、そこから関係が知られたそうです。私は会社には何も伝えていません。元夫は居づらくなって退職し、相手の女性とも別れたと聞きました。
それからしばらくして、元夫から電話がありました。義母に何度電話してもつながらず、実家を訪ねたところ、知らない人が住んでいたそうです。母さんの居場所を知らないか、と尋ねられました。
「お義母さんが何も言わずに家を売った。それが答えじゃない?」
私はそれだけ伝えて、電話を切りました。弁護士経由で届いた住所変更の連絡によると、今は駅から遠い1Kのアパートに住んでいるようです。
週に何度か、夕方6時を過ぎると、3階から義母がタッパーを持って降りてきます。今夜は筑前煮と、私が焼いた鮭。ソファの上には、畳み終えた洗濯物が積んであり、食卓には2人分の茶わんが並んでいます。
あの夜、レシートとLINEを見比べて床に座り込んだとき、私はこの先ずっと、ひとり分の総菜を食べ続けるのだと思っていました。夫を問い詰めることもできず、義母に確かめる勇気もなく、自分の家のことなのに何ひとつ手が出せなかったのです。
義母から「パソコンを教えてほしい」と電話がなければ、私はあのまま夫の言葉を信じたふりを続けていたかもしれません。夫が言い訳に使っていた人が、実はいちばん近くで私の話を聞いてくれる人でした。
離婚したので、法律の上ではもう嫁でも姑でもありません。それでも義母は3階から降りてきては、エクセルの関数や職場の話をしていきます。
先週の土曜日、2人で映画を観ました。夫に5回目のドタキャンをされた、あの映画です。今は自宅でも観られるようになっていました。義母はポップコーンを抱えたまま途中で寝てしまい、私はエンドロールが終わるまで、ひとりで笑いをこらえていました。
◇ ◇ ◇
身近な人の言葉だからこそ、疑うことなく信じてしまう場合もあるのでしょう。しかし、信頼を裏切られたとき、自分を守るためには事実を確かめることも大切です。また、家族という立場や血のつながりだけで、人と人との関係が決まるわけではないのかもしれません。互いを思いやり、直接向き合うことで育まれる信頼の大切さを、改めて考えさせられますね。
【取材時期:2026年10月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。