義父の葬儀で義姉「遺産目当ての貧乏人に席はない!」立ったまま参列。1週間後、夫が相続放棄を決意→義姉が真っ青に!?

義父が余命宣告を受け、入院することになりました。義母はすでに他界していたため、長男である夫が入院中の世話をすることに。
夫には姉もいるのですが、お見舞いにすら来る様子はありませんでした。夫はいつも「1人で大丈夫」と言っていましたが、私にとっても義父は大切な家族です。夫と力を合わせながら、義父の闘病生活を支えていました。
懸命に治療を続けたものの、義父はその後、帰らぬ人となりました。深い悲しみの中、私たちが葬儀の準備を進めていると、そこでようやく義姉が顔を出したのです。
相談もなく葬儀を手配した義姉。さらに…
義姉とは結婚当初から折り合いが悪く、正直なところ、少し苦手な存在でした。夫との仲も良いとは言えず、日ごろの交流もほとんどありません。
そんな義姉が、「葬儀社はもう手配してあるから」と言いました。義父を亡くしたばかりで私たちも気持ちの整理がつかない中、義姉が動いてくれたことには正直、助かったと思いました。
しかし、話を聞いて驚きました。長男であり、入院中も義父の世話をしてきた夫が喪主を務めるものだと思っていたのですが、義姉は自分が喪主として葬儀を取り仕切ると言うのです。もちろん夫は、義姉の勝手な行動に不満を抱いていました。それでも、「今ここで争っても仕方がない」と言い、義姉の好きなようにさせることにしたのです。
葬儀の席で義姉が放った信じられない暴言
葬儀当日は、私の家族も駆けつけてくれました。ところが、席に着こうとしたそのときです。「待ちなさい!」突然、義姉がすごい形相で私たちを制しました。
「お金のにおいを嗅ぎつけて来たのね! 財産狙いの貧乏人たちに座る席なんてありません!」
義姉はそうまくし立てました。あまりの勢いに、私たちは席に座ることもできず、その場に立ち尽くしてしまいました。そこまで言われて参列する義理はありません。両親が「もう帰ろうか」と目配せした、そのときでした。
私の兄が静かに口を開いたのです。
義姉の非常識な言動が、思わぬ形で明るみに
「席がないなら、立ったままお別れを言えばいいんじゃない?」
兄はそう言うと、親族席の横にある壁際へ向かいました。私や両親も、それに続きます。
参列者が集まるにつれて、壁際に立ち続ける私たちの姿は、次第に目立ち始めました。葬儀社の方からも「どうぞお席へ」と促されましたが、私たちは「喪主の意向ですので」と伝えました。義父をきちんと送り出したかったので、その場に立ち続けることに。途中、参列者の男性からも理由を尋ねられたため、事情を説明しました。
そのまま葬儀は終わり、それから1週間ほどが経ったころ。突然、義姉がわが家にやって来ました。ひと目見ただけで、怒っているのがわかります。話を聞くと、私たちのせいでプロジェクトリーダーから外されたのだと言うのです。
どうやら葬儀当日、私たちが壁際に立っている理由を尋ねてきた男性は、義姉の上司だったようです。義姉は以前から職場でも周囲への態度を注意されていたらしく、今回の件で上司から事情を確認された際も、反省するどころか私たちに責任を押し付けたのだとか。これまでの職場での言動も含めてリーダーとしての適性を見直され、プロジェクトリーダーから外れることになったそうです。
夫に相続放棄を迫る義姉。真実を知った瞬間…
義姉は憤慨した末、仕事を辞めたそうです。
「どうせパパの遺産で暮らすつもりだったから、別にいいけどね!」そう吐き捨てる義姉。さらに、「仕事を辞めることになった責任を取りなさい」と言い、夫に相続を放棄するよう迫ってきました。
夫はその申し出を受け入れ、相続を放棄する意思を義姉に伝えました。必要な手続きは家庭裁判所で進めることに。それを聞いた義姉は、満面の笑みを浮かべました。「私はこれで悠々自適な生活だけど、貧乏だからって恨まないでね!」義姉は得意げな顔でそう言いました。
けれど、どうやら義姉は大きな勘違いをしているようです。義父はたしかに高収入でした。しかし、それを当てにした義母が散財を重ねた結果、義父に残されていたのは財産ではなく借金だけだったのです。
義父は生前、そのことを私たちに包み隠さず話してくれていました。けれど、何年も義父に会いに来なかった義姉は、その事実を知る機会を逃していたのでしょう。義父に残されていたのは借金だけだと私たちが伝えると、義姉は魂が抜けたような顔で帰っていきました。
もう働かなくていいと思っていたはずが、一転して思い描いていた生活が崩れてしまったのです。あまりの急展開に、頭がついていかなかったのかもしれません。これを機に、新しい仕事を見つけて、地道に暮らしてくれることを願うばかりです。
◇ ◇ ◇
お金のことばかりを考えて行動していると、本当に大切なものを見失ってしまうのかもしれません。相続と聞くと財産に目が向きがちですが、実際には負債が残されている場合もあります。自分の都合ばかりを優先して、周囲への思いやりを忘れてしまうと、いつか自分自身を苦しめることにもなるのかもしれませんね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、義父の葬儀で義姉から財産目当てだと侮辱された女性。しかし、その後、義姉は思わぬ事実を知ることになったのでした。
続く2つ目のエピソードでは、10年間にわたって義父の介護を担い、その間に夫も亡くした女性。ところが、義父の葬儀を終えた途端、義妹から「荷物をまとめて出て行って」と告げられて……。
「介護終わったし出てって!」義父の他界後、私を追い出す義妹→10日後、義妹が泣きついてきたワケ

結婚して間もなく義父が倒れ、同居と在宅介護の生活が始まりました。
夫は生前、長時間の激務がたたり、4年前に他界。義母は「腰痛がひどいから」と逃げ、30代半ばで実家に居座る無職の義妹は「気持ち悪い」と決して手伝おうとしませんでした。
訪問看護やデイサービスを入れてはいたものの、夜間の対応や日々の排泄介助、食事の世話は、すべて「ただの嫁」である私に集中していたのです……。
私の手はアルコール消毒と手洗いでひび割れ、数時間おきの体位変換のため、まとまった睡眠もほとんど取れませんでした。それでも、日々の終わらない作業を、ただ黙々とこなすしかなかったのです。
押し付けられた介護
義妹は、義父の部屋のにおいを極端に嫌いました。排泄介助の後はいくら換気しても、特有のにおいが残ります。
義妹は何度も「友だちも呼べないし、婚活の邪魔なんだけど」と騒ぎ立てました。私が見かねて義父の部屋用に空気清浄機を購入すると、数日後には「私の部屋のほうが大事だから」と勝手に持ち去ってしまったのです。
「お義父さんも快適に過ごしたいはずだよ」とたしなめても、「こっちだって普通に暮らしたいんだけど。いつまでこの生活が続くの」と不機嫌さをあらわにするばかり。義母もそんな義妹の態度を見て見ぬふりしていました。
葬儀直後の追放
義父が息を引き取ったのは、それから数カ月後のことでした。悲しみに暮れる間もなく、あわただしく葬儀は終わりました。
一方、義母と義妹は葬儀費用の清算が終わっていないのにもかかわらず、家に残っていた現金を持ち出し、「長年の看病の疲れを癒すため」「気分転換が必要だから」と理由をつけて、温泉旅行に出かけていったのです。
私はひとり、静まり返った家で、レンタルしていた介護用ベッドや医療機器の返却準備をしていました。壁に残ったベッドの擦れ跡を拭きながら、ようやく一区切りついたと思っていたのですが、そんなタイミングで義妹から電話がかかってきたのです。
「ねえ、私たちが帰るまでに荷物まとめて出てってくれない?」
「もう介護も終わったんだし、お兄ちゃんもいないし、いつまでもここにいられても困るんだよね」
いきなりの言葉に驚いたものの、思わず私の口から出てきたのは「ありがとう!」のひと言でした。
それには義妹も一瞬「え?」と驚いたようでしたが、すぐに「あ、強がってる? けどお母さんも同意してるから!」と言って、義妹は一方的に電話を切りました。
10年間。私の20代後半から30代のほとんどを費やした日々が、たった数十秒の電話で切り捨てられたのです。
結局その夜は一睡もできず、私は薄暗い天井を見つめながら、ただ涙を流すことしかできませんでした。
駅前の喫茶店での逆転劇
私は言われたとおり、義母と義妹が帰ってくる前に義実家を出ました。義実家の仏壇にあった夫と義父の位牌は、義母に電話で確認し、私が引き取ることにしました。長年の介護生活で、服もほとんど買い替えていなかった私。衣類などの私物は、トランク1つに収まる程度しかありませんでした。
それから10日ほど経ったころ――私のスマホには、義妹からの着信が1日に何十件も入り続けていました。これ以上連絡が来ても困ると思い、私は義実家の最寄り駅前にある喫茶店で義妹と会うことに。
現れた義妹は、旅行前の余裕が消え、髪も化粧も乱れていました。
「お義姉さん! 本当にごめんなさい! うちに戻ってきて!」
席に着くなり、義妹は身を乗り出して懇願してきました。
「お母さんも私も、何もわかんなくて……。病院からの支払い確認とか、介護ベッドやお葬式の業者が来ても、誰も対応できないの。家の中も回ってなくて……!」
私は冷めかけた紅茶を一口飲み、静かに尋ねました。
「でも、私に出て行けって言ったのはあなたたちだよね?」
「あれは嘘! 私が勝手に言っただけなの!」「お母さんからも、今すぐお義姉さんを連れ戻さないと、家から追い出すって言われてて……!」と必死な義妹。
義母も義妹も、ようやく気付いたのでしょう。義実家を回していたのが誰なのかを。
「もう新たな住まいは確保しているし、仕事も決まったの。あなたたちのところに戻ることはありません」
私が冷たく告げると、義妹は「わ、私、心を入れ替えて働くから! 家事も手伝うし! だから、私とお母さんを見捨てないでよ!」と半泣きでした。そこで、私はバッグから1枚の紙を取り出し、テーブルの上に置いたのです。
「何よ、これ……」と義妹。その紙は、私が役所に提出した姻族関係終了届の控えでした。
夫が亡くなったあとも、義父を最期まで支えたいという思いから、義家族との関係を続けてきた私。しかし、義父を見送り、義母と義妹から家を出ていくよう言われたことで、これ以上無理をして関わり続ける必要はないと決心したのです。
「これまで、お義父さんの介護も、病院や業者との連絡も、私が引き受けてきた。でも、それは私が当然やらなければならないことではなかったの。これからはもう手伝わないよ。支払いの確認や必要な手続きも、自分たちで確認して進めてね」
そして私は、テーブルに置いた紙を指さしました。
「それに、夫が亡くなったあとも続いていた、あなたたちとの法律上の親族関係も終わらせたの。これからは自分の生活を大切にしたい」
姻族関係終了届の控えを手に取り、隅から隅まで目を通した義妹。その手は、かすかに震えていました。
「待って……嘘でしょ……。せめて、葬儀代の清算が終わるまで手伝ってよ……! 今月の生活費だってもうないのに!」
そして義妹は顔を覆い、「お母さんに追い出される……!」と泣き崩れたのです。
しかし、私にできることはもうありませんでした。かける言葉も思いつきませんでしたし、励ます義理もありません。私はレジで自分の分の紅茶代だけを支払い、振り返ることなく店を出ました。
その後――。
義妹や義母からの連絡はすべてブロックしました。義実家がその後どうなったのかは知りませんが、もう義妹からの大量の着信におびえることはありません。
今、私は駅から少し離れた1LDKのアパートで暮らしています。義実家からするとかなり狭い部屋ですが、部屋には大切な夫と義父の位牌もあります。介護ベッドのモーター音や深夜の呼び出しベル、義妹の不機嫌な足音や暴言、義母の愚痴が聞こえることはもうありません。他人の顔色をうかがう息苦しさもここにはないのです。
◇ ◇ ◇
10年という月日は決して短くありませんでした。しかし、亡き夫と義父と過ごした時間は、誰にも奪えません。遠回りしたかもしれませんが、ようやく私は、自分の人生を自分の足で歩き始めるのです。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、義父を亡くしたあと、義家族との関係が大きく変わった女性たちのエピソードをご紹介しました。
義父の葬儀で財産目当てだと侮辱された女性や、10年間の介護を終えた途端、義実家から追い出された女性。どちらも義父との別れを悲しむ間もなく、義家族の冷たい仕打ちに直面しましたが、自分の生活を守る道を選びました。
大切な人を亡くしたときこそ、家族で支え合いたいもの。しかし、これまでの思いやりや献身を踏みにじられてまで、関係を続ける必要はありません。故人との大切な思い出は胸に残しつつ、残された家族とは無理のない距離を保つことも大切ですね。