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3日間の微弱陣痛から出産へ
初めての出産は陣痛がどのような痛みかわからず、妊娠39週5日ごろ、おなかが張る間隔が規則的になってきたな~と感じ始めました。そこからまさか出産まで3日もかかるなんて思ってもいませんでした。出産予定日におしるしが来て病院に行きましたが、まだ子宮口は開いておらず家に帰りました。
その日の夜中に陣痛が始まりましたが、まだ耐えられる痛みだったため朝まで我慢し、病院へ。陣痛は来ているものの子宮口はなかなか開かず、次の日に突入。そのとき夫は、「満潮時に生まれる」という伝承を気にして、満潮の時間をずっと調べていました。
いよいよご対面!?
付き添ってくれていた夫や実母は交代で背中をさすってくれていましたが、さすがに長丁場なのでみんなが体力の限界でした。そして陣痛が始まってから3日目、夫が実母と交代して寝入った瞬間、ようやく生まれてきてくれた赤ちゃん。
ですが、泣き声がしない……。顔が真っ青で先生が処置をしてくれていましたが、そのまま保育器へ入れられ、救急車でNICU(新生児集中治療室)がある救急病院へ。夫は慌てて救急車に乗り込み、赤ちゃんと一緒に行ってしまいました。
産院に残された私と病院を往復する夫
救急搬送された原因は、赤ちゃんが出てくるときに羊水を吸い込んでしまい呼吸困難になってしまったことでした。私は産後で動けないので、夫が赤ちゃんの病院と私のいる産院を往復。
赤ちゃんの状態を報告してくれ、私が搾った母乳を赤ちゃんに届けるといったことを私が退院するまで続けてくれました。私が退院してから、夫は小さなメモ帳をくれました。その中には、赤ちゃんの毎日の様子が細かく書いてありました。
赤ちゃんの入院生活から退院へ
産後退院してからは、今度は赤ちゃんに母乳を飲ませるため私が毎日病院へ。産後で運転はまだできないので実母に送迎してもらい、夫からもらったメモの続きは私が書くようになりました。
赤ちゃんは3,600gほどのやや大きめに生まれてきてくれていたので、保育器からは早く出ることができました。母乳を飲んで体力がつき、生後11日に無事退院できました。脳に後遺症が残るかもしれないと言われたわが子は今は15歳になり、幸いにも後遺症はなく元気に育ってくれています。
産後、赤ちゃんがそばにいないことでマタニティブルーズになった私を支えてくれた夫。早く赤ちゃんに会えるようにと産院を少し早めに退院し、その足で夫と一緒にわが子を初めて抱いた日のことは忘れられません。結婚生活の中で夫と意見の違いなどいろいろありますが、感謝の気持ちを忘れずにいようと心がけています。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
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監修/助産師 REIKO
著者:松田みさと
長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。