男子には内緒。生理は特別なもの?!
小学校の高学年になると、放課後に女子生徒だけが集められて秘密の集会が開かれました。生理についての話です。最近では男子生徒にも生理の話をすると聞いたことがありますが、当時、私が通っていた小学校では、「生理は女子だけのもの」「男子には内緒」という風潮がありました。
とはいえ男子も、これから何が始まるかをなんとなくわかっていて、ニヤニヤしながら見送られるのがなんとも嫌な気分でした。
「生理は恥ずかしいことではない」と先生は説明しますが、到底そうは思えませんでした。当時の私には「生理は特別なこと」という感覚があり、恥ずかしいという気持ちもあって、できるだけ生理が遅くくるといいのにと思っていました。
そんなある日、クラスのリーダー的存在の女子が、授業中にポーチを片手にこっそりトイレへ抜け出しました。「生理がきたんだ」とクラスのほとんどの生徒が気づきました。私は好奇心と申し訳なさの混ざった気持ちで、教室を出る彼女を目で追いました。
彼女は明るくて、思ったことは何でも口に出すタイプです。そんな彼女であっても、生理は気軽に口にできるものではなかったようで、私も聞くのがはばかられて生理について直接聞くことはできませんでした。
母のやさしさを素直に受け取れない私は…
中学になって初潮を迎えた私。私の気持ちなどお構いなしに、母は「おめでとう」と喜んで、祖母へ連絡し赤飯を炊き、夜中まで何かを作っていました。
朝起きると、テーブルにポーチが置かれていて、「これにナプキンを入れて持っていきなさいね」と言われました。やさしい色合いのピンク地に小花柄のかわいいポーチです。けれど素直に感謝の気持ちは湧いてきませんでした。
トイレへポーチを持っていくという行為は、「私は今、生理です」と宣言しているようなものです。ポーチなんてとても使えないと思った私は、スカートのポケットにナプキンを詰め込めるだけ詰めて学校へ向かいました。
しかし、ポケットに入るナプキンの数は知れています。多い日の午後にはナプキンが足りなくなることもしばしば。それでもぎりぎりなんとかなっていたのですが、ある日事件は起きました。経血が大量に漏れて、椅子が真っ赤に染まっていたのです。
頭の中は恥ずかしさでいっぱい。男子が集まってきて、もうどうしたらいいかわからず立ち尽くす私に、「大丈夫だよ」と声をかけてくれた女子がいました。それが、小学校のときのリーダー的存在だった彼女です。濡れた雑巾を持ってきて私の椅子をさりげなくふき、さらに周りの椅子もふいて、「この辺の椅子、みんな汚れてたからね」とフォローしながら、男子を散らしてくれました。
大人になっても油断は禁物
学年が上がると生理がくることに慣れて、ポーチを持ち歩くことにも何の抵抗もなくなっていきました。経血量もだいたい把握でき、どれくらいのタイミングでトイレへ行けばよいかもわかって、服の外まで経血が漏れるということはなくなりました。それでも多少は漏れることもありますし、万が一を考えて多い日には濃い色のボトムスをはくようにしていました。
さらに年月が経ち、結婚、出産を経て経血量が若干少なくなってきたことに気づきました。経血が漏れていたころが懐かしいくらいです。ボトムスの色を気にする必要もなくなっていたある日、事件は再び起こりました。
白いパンツで1日外出し、帰宅してさあ入浴というときに、パンツの後ろ一面に漏れた経血が、乾いて茶色くなっていることに気づきました。「一体いつから」という思い、「いい年して」という思い、「誰かに気づかれていただろうか」という思い。一瞬恥ずかしさでいっぱいになったものの、これくらいではさほど動じなくなっている私。夫に「ちょっとコレ見てよ」と笑いながら報告し、淡々とパンツを手で洗って汚れをきれいに落としたのでした。
当時は消えたいほど恥ずかしかった「椅子に経血べったり事件」も、今ではクラスメイトのやさしい行動が印象的な温かい思い出となっています。彼女はこの出来事を忘れてしまったかもしれませんが、私にとって彼女は今でもヒーローです。母が作ってくれたポーチや、赤飯、祖母への連絡も、当時恥ずかしいと感じた思いはどれも、母のやさしさを感じる思い出へと変化しています。
著者/百田さく
作画/まっふ
監修/助産師 REIKO
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