知識はあったけれど…
小学4年生の夏休み中、なんだかじわじわとおなかが痛いなぁと思いながら家で過ごしていました。トイレに行くような痛みでもないし、なんだろう?と思いながらも一応トイレに行くと、下着に血のようなものが。
でもほんの少量。このとき、授業で習っていた「生理」が頭に浮かびましたが、当時の私は男の子と遊ぶのが楽しく、自分の考え方も男の子と似ていて、「自分は男の子」と感じていました。そのため、「これは生理ではない」「生理だと思いたくない」と思ったのです。
一応、母には報告
生理ではないと思っていても、体の中から血が出ているということに、「何かほかの病気かもしれないし」と、私は母親に相談をしてみました。
「下着に血が付いていた」と母に言うと、母親は「生理が始まったんだね」と、母親が自分用にストックしていたであろうナプキンを差し出してくれました。
初めてナプキンを見たとき、なぜだか急に怖くなったのを覚えています。「やっぱり生理って認めなきゃいけないの?」。当時「性」というものに対して知識があいまいな中で、自分の体が大人になるのが怖く、「生理」を受け入れることができず……。「しばらくしたら血も止まるんじゃないか」と、母からナプキンを受け取ったものの、それを着けることを拒否してしまいました。
ナプキンを着けないまま出かけてしまい…
その日は祖母が病院へ行く日。父親が運転をして連れて行くと言うので、私はナプキンをしないまま一緒に行くことにしました。祖母が通っている病院は総合病院。診察までに時間がかかり、その間にじわじわと痛みが増してくるおなか。下半身にもなんだか違和感を覚えたので病院のトイレに駆け込んだら、家を出る前に見た血の量とは比較にならないくらいの出血量が。すでにズボンにまでも血液がついてしまっていました。このとき改めて、自分に「生理がきた」のだと理解したのでした。
しかし、一緒にいるのは祖母と父親で言いづらい。父親には「体調が悪い」と言って車で祖母の診察が終わるのを待たせてもらうことに。必死に我慢をしてなんとか家に帰ると、ズボンはもちろん、車のシートにまで経血がべったり。
父親と祖母には「ズボンに入れていたおこづかいが落ちて座席の下に入ってしまった。母親と一緒に探したいから母親を呼んでほしい」となんとか言い訳をして最後まで車に残り、やってきた母親に泣きついて処理を手伝ってもらいました。
結局、車のシートの経血汚れを落とし切ることはできず……。とはいえ父には何も言えないままで、結局、父が車を買い替えるまでシートの経血の跡は残ったままとなってしまいました。
私は友人の中でおそらく最初に生理がきました。発育がよかったので母親は何となく予想はしていたようですが、私がそれを受け入れるまで至っていなかったのです。
何より当時は男の子になりたいという思いもあり、生理がきて女性の体になることが怖かったのを覚えています。ナプキンを着けず経血モレをしたという私の初潮の失敗談は今では母親との笑い話になっていますし、結果的には失敗だったのですが、ナプキンなんか着けたくないという当時の私の気持ちを尊重してくれた母親には感謝しています。
今では男の子になりたいという気持ちは消え、生理を受け入れて月イチのBlue Dayとうまく付き合っています。
著者/島田 はな
作画/ののぱ
監修/助産師 松田玲子
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