いつも家にいるのが当たり前だった両親
私が子どものころ、母は専業主婦でいつも家にいました。仕事をすることもほとんどなく、私が学校から帰ると家にいるのが普通でした。また、父は仕事が終わると真っすぐ家に帰ってくる人で、19時過ぎにはみんな家にいる……そんな家族の中で私は育ちました。
父にも母にも、それぞれ友だちはいたようでしたがあまり交流はなく、年末などに少し会うくらいで、そのほとんどの時間を家族と過ごしていました。
私にとって、それが特別なことだとは感じていませんでしたが、今の自分と重ねるととてもまねできないことだと思います。たまには自分だけで好きなところへ出かけたいし、友だちともおしゃべりしたい。いつも「子ども中心の生活」であったことに、親になってみてその大変さを実感しました。
両親の喧嘩にならない喧嘩
父が仕事を辞めて家にいるようになってからは、さらにずっと一緒でした。どこへ出掛けるにも一緒だった両親ですが、母に聞くと「私は車を運転できないから、一緒に出かけるだけ」と言っていました。近くにお店がない田舎暮らしだったため、それも一因ではあったのかもしれませんが「ずっと一緒にいて嫌じゃないの?」と言っても「考えたことがない」と言っていたので、本当に合うんだろうな……とは思っていました。
ただよく喧嘩をする2人でもあったので、結婚し実家近くに家を買った私は、仲裁役に呼び出されることもしばしばでした。ただ、仲裁といっても何かに腹を立てた父が母に「怒った。家を出て行く」と言い、それに母が「それなら私もついて行く」と言っているのを仲裁するのです。
何だか話しているうちに私が悪者になり、「帰れ!」と怒られるパターンが多く、腑に落ちないこともよくありました。
お互いを思いやる心
喧嘩をしながらも、47年の年月を一緒にいた2人なので、父が亡くなったとき母のことがとても心配でした。ただ当の本人はそんなに落ち込む様子もなく、淡々と過ごしていたように見えます。
しばらく実家に通っているうち、ある日母が1枚の写真を見せて私に言いました。「これ、お父さんの若いときの写真。かっこいいでしょ」。そう話す母は少女のように微笑んでいます。お世辞にもかっこいいと言える父ではありませんが、母にとっては唯一無二の人だったんだと実感しました。遺骨に毎日話しかける母を見て、母の心の中ではまだ生きているんだ……そう思います。
父の遺品を整理していると、母を思ってのこしたであろうものがいくつかありました。専業主婦だった母が困らないように今後の生活のことや、自分がいなくなったときに何をどうやって暮らしていくのかを伝えたノートなど、そこには心配性の父が、ずっと前から準備して来たであろう足跡が見え隠れしていました。
まとめ
これだけ長い間一緒にいて、それでもなお、お互いを思いやることができるなんて、なんて幸せなことなのだろうと思い、わが親ながら感動しました。母に来世でまた父と出会いたいかと聞いたら、即答で「もちろん!」と言っていました。
結婚なんて良いことない!と思っていた私ですが、こんなふうに思い合える人と出会えたら、また結婚するのもありかな……そう思えるようになりました。もうすぐ50歳、子育ての卒業を間近に控えて今後の人生観を改めて考えようと思います。
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著者:くらげ
23歳社会人、専門2年、高2の娘を持つシングルマザー。本業の他に収入を増やそうと始めたWEBライターだが、時間の使い方がつかめず悪戦苦闘している。【自由と安定】を求めて絶賛精進中。