淡路島の高速道路ではとてもきれいな海の景色を見ることができます。「洲本市民広場」には趣のある建物が立ち並び、定期的にイベントが開催されています。訪問時には「冬咲きチューリップショー」がおこなわれていました。
この洲本市民広場から少し離れた住宅が建ち並ぶ細い道の先に「助産院・ファミリーケアセンターMOM」があります。
笑顔で迎えてくださった岡垣院長に、助産師になったきっかけや助産院・ファミリーケアセンターMOM開業の経緯、特徴などを伺いました。
取材日:2023/02/09 担当:二階堂
きっかけは中学3年のときの授業

▲岡垣 裕美子院長
ベビーカレンダー 二階堂(以下BC)「助産師になったきっかけを教えてください」
岡垣院長「中3の授業で、助産師は生まれ出た赤ちゃんの命をお母さんよりも先に抱っこできると知り、命のバトンができる素晴らしい職業だなと。それから自分も助産師になりたいと思っていろいろ調べました」
BC「中学のときの授業がきっかけで、それからずっと想いが変わらなかったんですね」
岡垣院長「はい。私も命の授業で小・中学校に行く機会があるのですが、助産師の仕事について話をするときに、命のバトンについての話を必ずしています。私の話を聞いて、助産師になりたいという生徒さんもいて。実際、私が初めておこなった授業を聞いて助産師になった子が、今お手伝いにきてくれているんですよ」
淡路島で助産院を始めようとした理由は
BC「どうして淡路島で助産院を開こうと思ったのですか?」
岡垣院長「私は愛知県出身なのですが、夫の仕事の都合で22年前に淡路島に来ました。最初は市役所で母子保健を担当していました。淡路島には民間の産後ケア施設や一時預かり施設がなかったり市役所での活動は休みがあったりするので、お母さん方を支えるには限界があると思って。お母さんたちがしんどい思いをしているのがわかっているのに行ってあげられないのが歯痒くて、だったら自分がそういう場所を作ろうと2年前に思ったんです。ちょうどコロナ禍ということもあってより強く思いました」
BC「助産院・ファミリーケアセンターMOMはお産を取り扱っていませんが、理由はあるのですか?」
岡垣院長「淡路島の住民の9割は県立の病院で出産しています。そこには小児科もNICUもあります。妊娠・出産は病気ではないと言われるけれど、私も助産師としていろいろな経験をしてきたからこそ、お母さん方にはより安全なところで出産してほしいという想いがあります。今は出産の機会が多くても2回。そんな大切な命だからこそ、安全なところで生まれてほしいなと。出産が最大のゴールというわけではありませんし、どこで産んでも赤ちゃんに会えるわけなので。去年、助産院が1件できたのですが、そちらではお産を取り扱っています。でも競合するより困っているお母さん方の力になりたい、市役所にはないものを提供したいと思って、産後ケア施設を開くことにしました」
▲ママとママと赤ちゃんが過ごす4畳のお部屋。このほかに6畳タイプのお部屋が1つあります
▲多目的ルーム