本当は子どもを産まないつもりだった
まだ夫と出会う前、私は完治することのない自己免疫疾患になってしまいました。幸い、早期に開始した治療法が私に合っていたため、数カ月に1度の治療を続けることで、病気になる前と同じように仕事も日常生活も送れるほどに回復。
しかし、その治療法は妊娠が禁忌とされているものであるため、当時は子どもを産まない人生を送るつもりでしたし、もし良いご縁があったとしても、2人だけの人生を選択してくれる相手でなければ結婚もしないつもりでした。
気持ちが変化し、出産を決意
病気が寛解して3年が経ったころ、子どもを産まないということに同意してくれる人とのご縁があり結婚をしましたが、夫の家族と過ごすうちに、私の気持ちに変化が生じました。
子どもを産まないことというより、私の気持ちを最優先に考えてくれる夫や義両親と接していく中で、このあたたかい家族の中で子どもを育てたいという気持ちが芽生えてきたのです。
もちろん容易なことではないので、今後の治療計画とリスクを主治医とよく話し合い、痛みで体が動かなくなるかもしれないというリスクを背負ってでも子どもを産みたいのかということも何度も検討しました。
母に妊娠を報告すると…
不確定な状態で夫と義両親へ期待を持たせないように、子どもが産めるのかを確認できるまで誰にも言わず、その確認ができた上で、私の覚悟を夫と義両親に報告。そのとき、「何があっても支えていく覚悟だ」と言ってもらえたことが、とても心強かったです。
その後ありがたいことに、病気の症状が出る前に子どもを授かることができたため、私の親に妊娠の報告をしに行きました。
極度の心配性である母を不安にさせないよう、妊活のことは話していなかったので、出産したいという意思を、このときが初めて伝えることに。しかし、この報告のときに、一生忘れられないでろう言葉を、母に言われてしまったのです。
母の言葉の真意と私の気持ち
「お母さんは、おめでとうって言えない」。
母の言葉は、その後の記憶がないほどの衝撃でした。
母からすれば、娘の体を心配する気持ちから出た言葉だったということはわかっているのですが、“言葉の刃”と言う通り、私の心に突き刺さって今も抜けずにいます。
そして、出産するまで、母から「おめでとう」とは言ってもらえませんでした。
まず、「おめでとう」って言ってほしかった……。おめでとうのあとに、「でもお母さんは心配だよ」と言ってくれたら、受け取り方も違ったのになと思います。
母の発言がわだかまりとなり、結局私は、表面上は「実家は距離が遠いから」という理由で、私たち夫婦の住む家からすぐ近くの義両親の元に里帰りをして出産をしました。そのころ母の体調不良も重なっていたこともあり、私が里帰りをしないという本当の理由に、母はまったく気付かないまま今に至ります。
出産が無事に終わり、何事もなかったように母は孫をとてもかわいがってくれています。そのため、私が母の言葉に傷つき、今もわだかまりとなっていることを母には言っていません。言うことで、今度は母を傷つけてしまうかもしれないからです。
妊娠や出産、子どもが関わることは特にデリケートで、人それぞれの考え方があります。私自身、リスクを覚悟して出産するということは、悩んで模索して出した結論だったので、何も知ろうとせずに否定されたことに深く傷ついてしまったのです。
普段の何気ない会話でも、簡単に他人の考えを否定するような発言はしないように気を付けなければいけない、ということを学んだ出来事でした。
イラスト/ななぎ
著者:朝嶋 なみか
2016年生まれの長男、2018年生まれの次男、年子兄弟の母。闘病をきっかけに妊娠・出産を決意。「病気も自分をつくる一部」がモットー。現在は自身の経験をもとに執筆活動中。