わたしちゃんが小学生5〜6年生のころ。母が病気であることも、不幸であることも、自分に責任があるかのような罪悪感を抱いていたわたしちゃん。体に大きな穴が空いているような感覚が大人になっても消えず、欠如感を感じていました。
「やさしいお母さんがよかった。我慢ばっかりするのいやー」と苦しんでいたわたしちゃんは……。
悪化する母の病状とわたしの胸にあいた穴
※訂正:(誤)運動方→(正)運動法
体に穴があいたような感覚のまま、中学生になったわたしちゃん。家のことを必死に隠し、通学していました。
妄想が頻出したり、日常生活が困難になったり、病状は安定せず、入退院を繰り返す母。わたしちゃんは、家族への関心から目を逸らすように趣味に没頭し、学校でも自分の存在感を消すことで自分を守ろうとしていました。
大人になったわたしは、中学生のわたしちゃんに、小学生のころの気持ちに耳を傾けるよう語りかけます。
「私もみんなみたいに大事にされたい!」
「私のこと見てほしい!」
自分自身を振り、涙する中学生のわたしちゃん。
「無理なダイエットに夢中になることで、つらい気持ちを忘れたかったの……」
小学生時代のわたしちゃんである、“インナーチャイルド”の声を振り返ることで、生きづらさを抱える過去の自分に寄り添いたいと考えた大人になったわたし。その作業を繰り返していく中で、「本当は母が好きなんだ」ということに気づき、認めることができました。
もし今、亡き母を目の前にしたら、小学生のわたしちゃんが伝えたいことは何か……。
「笑ってよ、お母さん」
わたしちゃんは心から母の幸せや、笑顔を願っていました。
「数少ない母とのいい思い出を大事に握りしめていたんだな」と気づき、純粋で愛情深いやさを持っているわたしちゃんを、愛おしく感じる大人になったわたし。
呪いのように感じていた苦しい気持ちが外れるような感覚を覚えるのでした。
つらかった母との思い出を振り返り、当時感じていたことを深く考えることで、苦しさから開放された大人になったわたし。幼少期のわたしちゃんは、ただただ純粋に、母が大好きで母に愛されたかっただけだったんですよね。
母からの愛情を十分に感じることがなかったわたしちゃん。大人になる過程でも苦しい思いをしたようですが、“現在のわたし”が幸せに暮らしていることを願うばかりです。