自分でも予定を管理できるように、スケジュール帳を持ち歩くようになったあーちゃん。しかし、書いていても忘れるものは忘れてしまう……。でも、忘れてしまっているという事実は覚えているようで、本人は「全然問題ない」と、なぜか前向き。しかし、ずっと見守っている家族から見れば、確実に症状は進行していて……。
少し早い喜寿のお祝い
病院でアンケートが配られたものの、手がまったく動かず……。
理由は、「日付がわからなかったから」のよう。
ついに、自分の誕生日も忘れてしまったみたいです。
そして……年齢も忘れてしまったみたいです。
そんなわけで、少しでもあーちゃんの記憶があるうちに、姉のあーにゃんの家族を含め喜寿(きじゅ)のお祝いをすることに。
そのときの実際の写真がコレ。あーちゃん、うれしそう!
お祝いの食事を作るにも、料理すら忘れてしまっているようです。
ハイヒールでかっこよく歩くあーちゃんを見るのは、最後かもしれない……。
食事会の道中、通帳を返せと迫り、姉を困らせていたらしいです。
食事会が終わっても、怒りは収まらず……。
と思いきや、翌日は穏やかモードに変わっていて……。
いつものように病院で注射の順番待ちをしていると、高齢者の運転免許に関するアンケートが配られました。受け取ったあーちゃんは手を動かそうとせず……。理由を聞いてみると、今日の日付も自分の年齢もわからなくなっていたのでした……。
そんな状態だったので、少しでも記憶が残るうちにあーちゃんの77歳の喜寿(きじゅ)をお祝いすることにしました。孫も参加してくれて、とってもうれしそう。しかし、ずいぶんと足元がおぼつかなくなっていて、そろそろこだわりのハイヒールも卒業してもらう時期が来たのかもしれないと思っていました。
心配なことはあったけれど、喜寿のお祝いが無事に終わってよかった……と思ったのもつかの間。まったく無事に終わっていなかったのです。実は、会場に向かう道中で、あーちゃんは姉に通帳を返してほしいと言い続け、食事会のあとも電話で同じ話をループ。それも、すごい喧嘩腰で。病気とはわかっていても、姉はつらくて思わず泣いてしまったらしく、私も話を聞いて悲しくなりました。
しかし、翌日には穏やかモードのあーちゃんに変わっていて、喧嘩腰で電話をしてきたことも謝ってくれたようです。モードの切り替わるスイッチはどこにあるのか、誰か教えてほしい……。
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お孫さんに囲まれて喜寿のお祝いができて、あーちゃんも幸せだったのではないでしょうか。忘れることのほうが多くなってきている中でも、通帳の話をし続けるということは、思い入れや心配事があるのかもしれません。暴言を聞き続けるのも大変なストレスだと思いますが、姉妹で感情を共有しながら乗り越えてほしいですね。
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