2人の祖母の入院
ある日、私の母の携帯電話が鳴りました。相手は祖父からで、「お母さんが2階から下りてこないから見に行ったら、意識がない」とのことでした。すぐに救急車を呼び、急いで病院へ向かうと、医師からは「状態を見たところ、長時間意識がなかったと思う。このままでは命が危ない」と言われました。
その翌週、いつも通り仕事をしていた私は、会社で父からの電話を受けました。「お袋が交通事故に遭った。今から病院に向かうから来てほしい」と言われ、母方の祖母とはまた別の病院へ向かったのです。
病院では、普段は弱音など吐かない祖母が「痛い痛い……」と言っていました。医師からは「緊急で手術が必要です。入院も長期になる可能性があります」と告げられました。こんなにも不幸が続くものか……と、ぼう然としたことを覚えています。
祖父の認知症
両祖父母の家はどちらも祖母が家事全般をしていたため、祖父は何がどこにあるのかすらわかりません。両祖母がこのような事態になってしまい、両祖父は大きなショックを受けていました。そのため、家族総出で入院する2人の祖母の身の周りのお世話をしつつ、2人の祖父にも会いに行く生活が続いていました。
しばらくして家族の皆が薄々気づき始めたのですが、両祖父は少しずつ認知症の症状が出始めていました。両祖母が急に入院し、ひとりでいる時間が増えたことが影響しているのか、ペースは違えど両祖父の認知症が進行していたのです。
4人同時の介護が……
それから1カ月ほどたち、両祖母は無事に退院しました。しかし、これで元通りになるわけではありません。両祖母に加え、認知症の症状が見られる両祖父の面倒を見なければならないからです。
ある日の朝4時ごろ、父方の祖母から「お父さんがいない」と電話が入りました。すぐに家族総出で祖父を探し、7時ごろにやっと見つかりました。その日を境に、祖父の徘徊(はいかい)が増えていったのです。私も家族も体力的にも精神的にも限界が来ていましたが、さらに追い打ちをかけるように、母方の祖父も同じようにどこかへふらっと出かけてしまうようになったのです。
まとめ
両祖父母の同時介護から数年が経ち、今は「あのときは大変だったね」という思い出となっています。でも、やはり当時は笑えないほど過酷でした。毎日祖父母のもとを往復していた私に、両親は「無理しなくていいよ」と言っていましたが、その両親が日に日にやつれていく姿を見ていられなかったのです。介護のために仕事を早退することもあり、周りから嫌みを言われることもありましたが、私は「あのときのベストを尽くした」と思っているので、後悔はしていません。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:米田真由/女性・会社員。
イラスト:マメ美
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2024年6月)
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