「足腰が弱ってきたから同居してほしい」「遺産はすべてあなたたちに相続させるから」と言われて、義母との同居に同意した私。しかし、そこで待ち受けていたのは家政婦のようにこき使われる毎日でした。
そんなとき、私の父の病状が悪化。父のお見舞いに行こうとするも、義母から「夕飯の支度は?」「草むしりしてよ」と次々に家事を言いつけられます。私が「お見舞いに行った後やりますね」と答えても、義母は「姑である私の頼みを後回しにするなんて許さないわ!」と許してくれないのです……。
義母の肩を持つ夫
義母のことを夫に相談しても、夫は「お前は嫁で、専業主夫なんだ」「つまり家のことすべてをやるのがお前の仕事だし、家のことを優先して当然!」「母さんからすれば、お見舞いなんて後回しにしろって思うよな」と義母の肩を持ちます。
さらに、「お前の父親の遺産ってどれくらいあるんだ?」「うちの母さんの遺産と比べて多いなら、『大金が入るから今だけおとなしくしてくれ!』って母さんを説得してやる」と言い出す始末。
父はまだ生きているのに、そんな話をするなんて……。私はあ然としてしまい、そのまましばらく返事ができませんでした。
葬儀の日にもかかわらず
2カ月後――。
闘病むなしく、天国へ旅立った父。葬儀に参加した私は、親族や父の友人たちと父を悲しんでいました。
そこへ、「なんで電話に出ないんだよ!」と鬼電をかましてきた夫。葬儀場への道がわからなかったのかと思い、丁寧に説明しようとすると、「なんで俺がお前の父親の葬儀なんて行かなきゃいけないんだよ」「そんなもん知るか」と返してきたのです。
そして、「母さんが困ってて、お前を呼べって言うんだよ」と夫。何かあったのかと思い、詳しく話を聞くと、「母さんが昼食の準備ができないって言ってるんだ」「あと、洗濯物もたまってるし、ゴミ出しも終わってないって」「早く戻って来て、お前が全部やれ!」と言うのです。
父との最後のお別れすら、まともにさせてもらえないなんて……。私の中で何かがプツンと切れました。
我慢の限界を超えた私の決意
「家政婦がいないって母さんが困ってるんだ!」
「家事は同居してる嫁の仕事だろ!すぐに帰って来い!」
「他人のババァは面倒みません」
「え?」
今まで従っていた私の反論に驚いたのでしょうか。怒鳴り散らしていた夫がひるんだ様子を見せました。
「もう我慢できないから離婚よ、離婚!」「葬儀はこのまま参列するし、終わってもそっちには帰らないから!」「もうあなたたちと家族でいたくないし、一緒に暮らせない!葬儀が終わったらすぐに離婚よ!」
一気にまくしたてた私。私がブチギレたのに気づいたのか、「お前がいないと家のこと回らないし……」「あの、今までのことは謝るからさ、だから離婚なんて言わないでよ……」と猫なで声の夫。
「『遺産をあげる代わりに同居してくれ』って言われたけど、お義母さんは遺産どころか借金持ちじゃない!嘘つき!」「家のことが回らないなら、お金払って家政婦さんを雇いなさいよ!」「離婚はもう決めたことだから!!」とだけ言って、私は電話を切りました。
その後――。
葬儀後すぐに離婚届を郵送すると、夫と義母が2人そろって私の実家へ。「謝るから、離婚は考え直して!」と言う夫と義母でしたが、私の親戚たちから「妻の父親の葬儀にも出ない夫とその母親が何の用でしょうか?」「あ、亡くなった妻の父親に、離婚報告と謝罪をしに来てくれたのね」と言われ、すぐに退散。
この親戚たちのおかげもあって、すぐに離婚することができました。また、義実家の近くに住む親戚が話を広めたらしく、元夫と元義母は地元でも白い目を向けられているようです。
私は実家でしばらく父の喪に服したあと、こちらで仕事を見つけるつもりです。元夫や元義母の住む地域へは近寄らないようにしようと思います。
【取材時期:2024年9月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。