私たちがこんな生活になったのは、全部義母のせいなのです。最初はやさしかったのに、ある日突然押しかけてきて、同居が始まり、嫁いびりされ、挙げ句、家を追い出されました。
そのころの私は娘を産んだばかり。慣れない育児に奮闘してボロボロだったのに、ひょう変した義母に苦しめられ、追い詰められていました。
会社を経営していた義母は、急に夫を後継者として育てると言い出し、私のことも社長夫人として教育すると言って嫁いびりが始まったのです。以前は、社長の器ではない夫に会社は継がせないと公言していたので、突然のことに驚きました。
実は、夫はお金にだらしないところがあったのです。義母もその点を会社の後継者として懸念していて、夫自身も会社経営には興味がないと言っていました。きっと夫が嫁いびりから私を守ってくれる、そう思っていたのに、夫は喜んで義母の言いなりに……。
義母の仕打ちに耐えられず逃げ出した私
義母と同居して1カ月。
私が社長夫人としてふさわしくないと判断した義母。娘も育てたところで社長にはできない、男の子が良かったと言われました。
女社長としてバリバリ働いてきた義母の口から、そんなセリフが出るとは思ってもみなかった私はショックであ然。義母の言葉に少し違和感を覚えながらも、混乱していた私は、義母が用意した離婚届にサインして逃げるように家を出たのです。夫が私たちを引き止めることもありませんでした。
家を出るとき、義母から手切れ金と当面暮らせるアパートの鍵を渡された私。しかし、あんなひどい義母からの施しなんて受けたくないと思い、自分だけの力で生きていくことを選択。娘のことも、ひとりで立派に育てると決意しました。
義母からの手切れ金には手をつけず、義母が用意したアパートにも住まず、娘と2人での生活をスタートさせた私。しかし、覚悟だけでは何ともなりません。家を出て5年が経った今、私たちの生活はカツカツ。毎日の食事にも事欠く状況です。
仕事と家事と育児のすべてが自分ひとりの肩に重くのしかかり、身も心もヘトヘト。いつ倒れてもおかしくない、そんな状態で毎日をなんとか過ごしています。
そしてある日、とうとう私は過労で倒れてしまいました。しっかり者の娘が救急車を呼んでくれて、病院に担ぎこまれた私。入院中、病室のベッドの上で、この先のことを考え絶望していました。
こんなに休んでしまったら、また1から仕事を探さないといけなくない……私はこの先どうしたら……。そんなことを考えていたら涙が溢れ出し、もういっそ、すべてを投げ出したいとさえ思ってしまいました。
そのとき、ベッドサイドから、聞き覚えのある人物の声が聞こえたのです。涙を拭いて顔を上げると、あの大嫌いな義母が目の前に立っていました。
やさしい義母がひょう変した真相
この日、偶然病院を訪れていた義母は、タンカで運ばれていく私を見かけ、病院中を探したと言います。5年前、あんなにひどいやり方で私たちを無慈悲に追い出したというのに、一体なぜ……?
まさか、倒れた私をあざ笑うため?
義母への恐怖心から、私の顔がこわばっていたのか、義母はさびしそうに笑いました。そして、静かに話し出したのです。義母のこの話で、私は驚がくの事実を知ることになりました。
私が家を飛び出した当時、夫にはギャンブルでこしらえた多額の借金があったと言うのです。義母はその事実を夫から打ち明けられ、返済を肩代わりしてくれと泣きつかれたそう。
悪いところからもお金を借りていて、利息がふくれあがってとんでもない金額になっていたそうで、ドラマのようにガラの悪い人たちが取り立てに来るのではないかと、私たちを心配した義母。私たちの身に何かあってはいけないと、義母はあのような手段で私たちを守ろうとしたのでした。
きっと私が事の真相を知れば、一緒に返済すると言うに違いないと思った義母は、心を鬼にして距離を置かせようとしたと言います。きっと苦渋の決断だったことでしょう……。
私たちを逃し、会社の取引先や社員を知人の企業へと移籍させた義母。夫自身に責任を取らせようと、借金の肩代わりはせず、自分も縁を切ったそう。今夫がどこで何をしているのか、義母もわからないと言います。おそらく金融会社の監視下で働き、借金返済をしているのではないかと話してくれました。
私たちを探し続けていた義母の今
義母は会社を清算し、夫と縁を切った後、私たちを探しにアパートへ行ったそうです。しかし、義母が用意したアパートには私たちが住んでいなかったため、義母は私たちの行方がわからず、5年間、ずっと探し続けていたと言います。
義母は、私たちにひどく苦労をかけたこと、それもこれも自分が子育てを誤ったせいだと、自分を責めました。涙ながらに謝罪する義母。私もこの5年間、苦労してきましたが、義母の苦労を思うと私も泣けてきました。
5年間の苦労を物語るように、痩せ細り、最後に会ったときよりもずいぶんと老け込んでしまった義母。なんと、あと数カ月の命だと言われているそうで、自分の入院の手続きのために病院を訪れていたところ、タンカで運ばれる私を見かけ、病院中を探して病室に来てくれたのです。
義母に残された時間がわずかと知り、ショックを受ける私に、義母はにっこり笑いかけ、自分が病気で病院に来ていなければ、私たちと再会することができなかった、最後に会って謝罪ができて良かったと言い、私の手を握ってくれました。これまでのすべてのことが頭をよぎり、胸いっぱいにいろいろな感情が押し寄せてきて、私は涙が止まりませんでした。
退院した私は今、娘と2人で義母の部屋に住んでいます。そして、義母のお見舞いに行くのが、私たちの日課になりました。義母との残り少ない日々を大事にして、少しでも恩返しができたらと思っています。
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嫁いびりをして、つらく当たって家を追い出した義母。それも義母のやさしさだったのですね。幼い子どもをひとりで育てることはとても大変なことです。義母と早く再会できていれば、お互いに5年間も苦しむ必要がなかったと考えると胸が痛みます。わだかまりが解けた今、一緒に過ごせる時間はあまり長くないですが、残された時間を幸せいっぱいに過ごせることを願います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。