私は子どものとき、母親が怒るのは自分が悪いことをしたからだと思い、少しでも怒られないようにといつもビクビクしていました。毒親だと認めたくないけれど、母親の暴力や暴言はしつけの範囲を超えて、私をイライラのはけ口にしていたのだと、自分が子育てをして分かってしまったのです。今回は、毒親に育てられた幼少期の体験が、私の育児にどのような影響を与えたかについてお伝えします。
いつも母親の顔色をうかがう幼少時代
物心がついたころから、母親は私に対して何か気にいらないことがあると叩いたり、暴言を吐いたりしていました。幼少期の私は怒られるのが怖くて、いつも母親の顔色を見てビクビクしていました。
今でも覚えているのは、怒られると必ず手か棒で叩かれて、「反省しなさい!」と玄関に正座をさせられていたことです。また、「ごめんなさい」と何度謝っても一週間くらい口をきいてもらえなかったこともありました。
思春期のころは精神的に追い詰められた
中高生になると叩かれることはなくなりましたが、言葉の暴力がエスカレートしていました。「お前を産んだから私には青春がなかった。仕方なく産んだ。産まなければよかった」と言われたときはさすがにショックが大きくて、「なんでこんな母親のもとに生まれてきたのだろう」と泣いたこともあります。
怒られるばかりで褒められた記憶は一切ありません。父は母が暴言を吐くたびになだめていましたが、母の暴言がなくなることはありませんでした。
自分自身の子育てへの影響
どんなに母親にひどいことをされても、嫌いになりきれませんでした。なぜならやさしく接してくれることもあったからです。私はせめて自分の子どもには同じ目に合わせないようにしようと心に決めていました。
私が子育てをするうえで絶対に守ろうと決めたのは「叩かない、言葉で傷つけない」です。現在小学校6年生と0歳の子どもを育てていますが、イライラすることはあっても自分の感情のおもむくままに叩くことはありません。
子どもには決して同じ思いをさせたくない
私が子どもを産んで、母親がどのように接するのか不安でした。しかし孫はかわいいのか叩くことも暴言を吐くこともなく、面倒をよくみてくれます。その姿を見て、母は私を育てるときに心の余裕がなかったのだ、決して私のことが憎かったのではなかったのだと思うようにしました。
しかし、そのように思ったとしても、やはり母親の子育ての仕方は間違っていたと強く思います。いつか私をどんな気持ちで育てていたのか聞いてみたいのですが、ちょっと怖いです。
自分がつらかった経験から自分の子どもには決して同じ思いをさせたくない、自分の母親のようにはなりたくないと思いながら育児をしています。2人の子どもたちがいつも笑顔で過ごせるように、やさしく頼もしい母としてこれからも接していきます。
著者:住川愛
小6の息子と0歳の娘の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。