「ああ、人見知りしているのね~。そうか~、今はそういうときなんだね。がんばれ~」
前回の記事「0歳からの自己肯定感の高め方(後編)」の終わりのところで、この大人の関わり方に子育てのエッセンスがあるとお伝えしました。いったいなにがあるのでしょう? 今回はそこを見てみたいと思います。
子どもの姿を作るvs.子どもを伸ばす
子どもを成長させようと思ったとき、大切なことがあります。
それは、本当の子どもの成長とは、主体的な成長であることです。誰かに言われたからするのでも、誰かの顔色をうかがってするのでも、誰かにおだてられたからするのでも、ご褒美を期待してするのでもなく、自ら〇〇をしようとすること。これが主体的な成長です。
大人のいる前でだけは行い、そうでないときはしないというのでは本当の成長とは言えませんね。しかし、大人はついつい良かれと思って、目の前の結果を作り出したくなります。子育てに一生懸命になるほど、そればかりが子育てだと思いがちになってしまいます。すると、いつの間にか自分でも意識しないうちに、過干渉や過保護な子育てとなっていきます。それが積み重ねられることで、子育てそのものがしんどくなってしまう人も少なくありません。子どもの姿を正しいもの、良いものにしたいというのは親心ではありますが、あまりのめり込みすぎないように、ちょっと客観的になれる視点をもっているといいでしょう。
大人が干渉することで子どもの姿を作り上げようとしても、子どももひとりの人格ですからなかなか思い通りにいかないものです。ましてや年齢が上がれば上がるほどそれはなおさらです。子どもの姿は作るのではなくて、伸ばしていくわけです。作られた姿は短期的な目の前の子どもの行動にすぎず、伸ばしていったものが長期的な子どもの本当の成長だからです。
親は他人事ぐらいがいい?子どもの姿は私だけが作っていない
では、最初の人見知りのケースを見てみます。
「ああ、人見知りしているのね~。そうか~、今はそういうときなんだね。がんばれ~」
→ここからうかがえる大人の姿勢。あまり入れ込んでいないですよね。
「人見知りしてはよくない、なんとか私が直さなければ」
→こういうスタンスだと、子どもに関心があって一生懸命ではあるけれど、勢い込んで入れ込んでいる感じがしますね。
前者はどこか他人事です。このどこか他人事のようなスタンスが、子ども自身の経験や葛藤の余地を生んで、子どもの育ちを主体的な「子どもを伸ばす」という方に近づけてくれます。
子どもの成長に必要な3本柱
多くの人が忘れていることがあります。それは、「子どもの姿は私だけが作っていない」ということです。
すごく大きく見ても、子どもの育ちの要素には、
1.時間的成長
2.環境的成長
3.大人からの直接的アプローチ
と3本の柱があります。
大人が、子どもを「○○にしなければ」と思って関わるアプローチは、3つのうちのひとつでしかありません。しかし、ついつい子育てに一生懸命であったりすると、それだけが子育てなのだと錯覚してしまいます。子どもは、放っておいてもいろんなところが成長していきます。これは時間的な成長があるからです。
また、子どもは周りの子を見たり、外での他者と関わったり、またその環境が経験となり成長します。これも、大人からのアプローチとは別の要素ですね。
大人からの直接のアプローチは、すごく大きく見てもその3つのうちのひとつです。
人見知りって、そもそもしてはいけないものなの?
人見知りは、する子もいればしない子もいます。程度も人によりさまざまです。つまり個性ですね。また、多くの子が発達の過程で出てくるものです。それ自体自然なもので、出てきたらいけないものでもありませんね。
自然な発達の過程ででてくるわけですから、してもいいわけですし、また発達の段階が進めばその姿も自然と変化していきます。つまり、大人が出ないようにと予防に躍起になったり、出てしまったら直さなければと焦る必要もありません。
「そうか~、人見知りしているんだね~」とあるがままに受け止めて、その発達の姿を見守っていればそれで解決していきます。
これは子どもの成長のメカニズムです。このことは、人見知りに限らず子どもの多くの成長の場面で言えます。
おむつを取ることや、友達と上手に遊べること、好き嫌いをなくすことなどなど。それは必ずしも、子育てする大人に課せられた課題のようなものではありません。そのように取ってしまうと、頑張りすぎで子育てがしんどくなってしまいます。
子どもには自分で成長していく力があります。それを信じて待つことも大切です。
相談事例:きょうだいケンカ
例えば、よく寄せられる相談でこんなことがあります。
「きょうだいケンカが激しくて、いつも私が仲裁するのが大変でしんどいです。どうすればケンカしないようになるでしょうか?」
子どもに関心があって、一生懸命子育てしている人ほどこういったケースがあります。このケースの典型的なものは、子どもをしっかり育てようと思って、きょうだいが遊んでいるときにおもちゃを取ったりすると、そのつど介入して「○○ちゃんが使っていたでしょ」とか「使いたがっているから貸してあげて欲しいな」など一生懸命関わってきています。トラブルになりそうな状況であらかじめそれを防ごうとしたり、トラブルになればすかさず仲裁に入ったり。
意地悪なようですが、これを逆から考えると「大人が介入しないとうまく遊べない子」「大人が仲裁にはいらないとトラブルを起こす子」にしてしまってきたと言えるのです。頑張った結果そういった子育てをしてしまった人を責めるつもりはありませんが、これはある種の事実です。
ここで、
「そうか~、今はそういうときなんだね。がんばれ~」のスタンスを思い出して下さい。
子どもがおもちゃの取り合いをしているとき、それは成長の一過程であり、対人関係を学ぶ上で必要な経験でもあります。
大人が絶対に介入してはいけないということではありませんが、介入するのは危険な行為になりそうなときや、しては困ること、または子ども自身がその子ではどうにもならなくなって助けを求めてきてからでも遅くはないのです。
まとめ
現代の子育てでは、子どもの姿を「正しいもの」にしようとするあまり、かえって子どもの姿を難しくしてしまう問題に直面しやすいです。
おおらかな視点から、「そうか~がんばれ~」のスタンス。子育ての最初の時期である、人見知りの頃からこのことを知っておくと、それだけでその後の子育てが変わってくるでしょう。