絶縁状態だった義家族からの連絡
義父母と別居してから同じ市内に住んではいたものの、顔を合わせることも連絡を取ることもありませんでした。そうして3年が過ぎたころ、夫から慌てたように連絡が。いつもと違う雰囲気に「何があったの?」と聞くと、「妹から連絡があって、父が危篤状態だって」と言うのです。
義父がガンを患っていたことは知っており、その後、入院していることは親戚から聞いていました。夫にどうすればいいか確認し、私は4人の子どもたちを連れて病院へ。夫は職場からまっすぐ病院へ行くことになりました。
初めて会わせる孫を連れて病院へ
ちょうど2カ月前に生まれた次男は、一度も義父母に会ったことがありませんでした。生まれた連絡は義妹にしていたものの、連絡はなくそれきり……。病室に入ったときには義父はもう意識はなく、声をかけても応えてはくれませんでした。義母が次男を抱いて義父に、「来てくれたよ!」と涙を流していました。
それから葬儀になりましたが、私たち家族は義父母と反りが合わずに絶縁状態だったという経緯もあるため、義実家に行くのもためらいがあります。夫は「もうここで」と言いましたが、義母が「家に来てほしい」ということで、葬儀に参列することになりました。
久しぶりの義実家と親戚
久しぶりに訪れた義実家ですが、家は義父が生前、義母がひとりになったときに困らないようにとリフォームしていました。そして、まだ生後2カ月の次男のお世話もある中、葬儀の準備が着々と進んでいきます。そんな中、私は集まって来た親戚への対応でバタバタした状態に……。これまでの私たちと義父母のいきさつを、義母から聞いている親戚たちはどう思っているのだろうかと不安でしたが、ゆっくり話をする間もなく葬儀が終わりました。
すると、夫の伯母(義父の姉)たちが帰り際、「気持ちだから」と言って、私に出産祝いの封筒を渡してくれたのです。そして「何も言わなくていいよ。わかってるから。頑張ったね!」と。その言葉に私は、次男を抱きながら号泣してしまいました。
私はこの葬儀で、親戚一同にどう思われていようと、嫁としての仕事をまっとうしようとだけ思っていました。しかし、私たちが結婚したときから、本当にかわいがってくれていた伯母たちは、義母の性格も、自分たちの弟である義父のこともよくわかっていて、「弟がお世話になりました」と言ってくれたのです。義父母とはいろいろありましたが、夫の伯母たちからの言葉で、本当に救われました。
著者:松田みさと/女性・ライター。2004年生まれの長男、2007年生まれの長女、2015年生まれの次女、長男とは15歳差の2019年生まれの次男の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠や出産、子育てに関する体験談を中心に執筆している。
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています