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義母が施設に入った途端、夫「彼女と暮らすから出てけ!」 →私「は〜い」 翌日、夫の顔色が変わったワケ

結婚して20年。共働きで働きながら、私はずっと高齢の義母のお世話をしてきました。義母は口うるさいタイプではなく、むしろ気遣いのできる人。問題は、息子である夫のほうでした。

「母さんのこと、頼むわ」と言って、病院の付き添いから家電の修理手配、重い買い物まで、すべて私に丸投げしてくるのです。

でも私にも仕事があり、貴重な休みを使って対応しています。夫にも協力してほしいのが本音なのですが——。

ある朝「母さんが腰が痛いと言っているから様子を見に行ってくれ」と夫から頼まれました。心配なのはわかりますが、様子を見に行くくらい夫でもできます。

 

ついに私は「どうして毎回、私にばかり頼むの?」と夫に尋ねました。

 

義母の介護は私の役目!?

夫は「お前のほうが時間調整しやすいだろ? 俺は会社で責任が重くて、なかなか休めないんだよ」と言い訳するだけでした。

 

夫はいつもこうやって、稼ぎと会社の規模を理由に、私に家のことも義母のことも「妻の役目」として押しつけてくるのです。

 

たしかに年収に差はあるけれど、あくまで共働き。義母も私より実の息子である夫のほうが気楽ではないでしょうか。そう伝えても、「お前のほうが気が利くし、母さんもお前が来ると安心するって言ってたし」と、都合のいい褒め言葉で丸め込もうとしました。

 

私はモヤモヤを抱えたまま、それでも「お義母さんが困っているなら」と仕事を調整して義母のもとへ向かうのでした。

 

義母の決断

そんなある時、義母から突然「施設に入ろうと思う」と打ち明けられました。私にばかり頼っているのは心苦しく思っていたよう。すでに資料も取り寄せ、見学の予約もしているとのことでした。

 

2カ月後、義母は正式に有料老人ホームへの入所を決めました。私も見学に同行し、スタッフの雰囲気も良く、義母が安心して過ごせそうな場所を2人で選んだのです。


その知らせを聞いた夫の第一声は、あまりに呑気なものでした。「いや〜ようやく肩の荷が下りたって感じだな! すっきりした〜」


しかし、見学に同行した私は義母の複雑な気持ちを知っています。ずっと住んでいた家を手放す寂しさも、もう自分の家に戻ることはないという覚悟も、すべてを乗り越えての決断でした。

 

そんな義母の思いを1ミリもわかっていない夫に「お義母さん、相当覚悟いったと思うよ? よくそんなに浮かれていられるね……」と伝えると、夫は「いい子ぶるなよ」と不機嫌そうに言い返しました。

 

そして義母の入所後も、夫が義母の面会に行くことはなかったのです。

早期退職、事後報告され…

しばらくして、夫から仕事を辞めたことを告げられました。あまりにも突然のこと……。聞かされたときには、すでに有休消化に入っていて驚きました。

 

しかしそれだけではありません。夫は「これからは彼女と暮らす予定だから!」と言いました。職場に派遣で入ってきた年下の女性と関係を持ち、「人生一度きりだから後悔したくない」との理由で、一方的に私に離婚をつきつけてきたのです。

 

「正直、母さんのことが気掛かりで離婚を先送りにしてきたんだよな。でももう終わったし、いいかなって思ってさ」

 

その瞬間、自分が家族としてではなく、介護要員として扱われていた事実をつきつけられたようで、言葉が出ませんでした。

 

「これからは彼女と暮らすから、離婚して出て行ってくれ。彼女が嫌がるから、自分の物は全部持って行ってな」と夫。そんな暴走をとがめる気も起きず、私は静かに了承しました。

 

離婚まで1カ月

今月中に家を出ることを約束し、私はすぐに弁護士に相談しました。夫の浮気の証拠を整理し、財産分与や慰謝料のこと、そして私物の扱いについて確認するためです。

 

私が離婚に向けて着々と準備を進めている中、夫は家にはほとんど帰ってきませんでした。浮気相手のところに入り浸っていたようです。

 

そして私は、その月の末に引っ越し業者を手配。夫が独身時代から使っていたもの、結婚後に買ったものだけを残し、新居に自分の荷物をすべて運び出したのです。

 

離婚届はリビングのテーブルの上に置き、鍵は郵便受けの中に入れて、私は長年暮らした家を後にしました。

スカスカになった家

翌日、夫から慌てた声で電話がきました。「家の中がほとんど空なんだけど!」と怒っていますが、私は言われた通りにしただけ。「私物は全部持って行け」と言ったのは夫なのです。

 

私がそう答えると「限度があるだろ! これじゃあ生活できない!」と困惑したように声を荒らげていました。

 

そうは言いますが、私が持ち出したのは独身時代に自分のお金で買った家具家電だけ。結婚後に買ったものはきちんとそのまま置いて出ました。結果的に家には、夫が以前から使っていた古いベッドや安いテーブルだけだったという話です。

 

夫婦だった期間、私は何度も家具や家電を買い替えたいと夫に相談していました。しかし「贅沢だ」「もったいない」というだけでなく、「家事を手抜きするために高額家電を買うつもりか!?」とまで言って責められたので、我慢して生活していたのです。

 

元夫の末路

ここからはすべて義母から聞いた話です。離婚後も私は度々義母の施設を訪ね、話をしていました。義母は何度も「巻き込んでしまってごめんね」と気遣ってくれましたが、責めるべきは元夫だけです。義母を責めるつもりはありません。

 

それに義母から聞いた元夫と浮気相手の話は、少し私をスカッとした気持ちにさせたことも間違いありません。

 

元夫と浮気相手は退職金を頼りに2人で起業する約束をしていたそう。しかし想定外だったのは私から請求された慰謝料です。なぜか彼らは、私が慰謝料を請求しないと考えていたよう。「長年連れ添った情はないのか!?」と夫から連絡がきたこともありました。

 

結婚生活を振り返っても、そんな情が湧くわけがありません。

 

慰謝料や当面の生活費の支払いが重なり、開業資金は当初の予定額の半分ほどにまで減ってしまったそうです。事業も思ったようにうまくいかず、資金は早々にショートしたようで、元夫と浮気相手は早々に別れたのだとか……。

 

ひとりになって寂しくなった元夫は、ついに義母の施設に出向き、これまでの出来事を義母に吐き出したのだそうです。

 

職も家族も失った元夫は、ついには義母にまで金銭を頼ろうとしたようです。しかし、義母も施設への入所に多額の初期費用がかかっており、援助できる余裕はありませんでした。

 

「私も助けてあげられなくてね……」と義母は寂しそうに言いますが、これまで義母に向き合おうとせず距離を置いてきた元夫が、今さら頼ろうとするほうが間違っていると私は思います。

 

結局、元夫は最後まで自分の都合で動いた人でした。でも、私はもう振り回されません。

今は穏やかな暮らしの中で、ようやく自分の時間を取り戻せています。これからの人生は、私自身のために使おう。そう静かに心に決めました。

 

♢♢♢♢♢♢

 

家事や育児、介護は、気付かぬうちに「できる人」に集中していきがちです。しかしその負担が積み重なると、誰かが静かに限界を迎えてしまいます。

 

大切なのは、家庭内で「誰が、どこまで、どう協力するか」を話し合い、支え合うこと。
役割を押しつけず、対話を重ねることが、大切なのかもしれませんね!

 

 

【取材時期:2025年11月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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    ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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