ある日、部活から帰ってきた高校生の娘が、珍しく怒りをあらわにして私の部屋に飛び込んできました。話を聞くと、今度の大会の遠征費について、夫から「家計が苦しいから無理だ」「部活は学生の遊びで、そこまでお金をかける必要はない」と突き放されたのだそうです。
交通費と宿泊費を合わせても3万円。雨の日も雪の日も休まず続けてきた部活で、ようやく大会出場を勝ち取ったばかりでした。
その話を聞きながら、私はこれまでの夫の散財ぶりが頭をよぎりました。ブランド物の時計、頻繁な車の買い替え、高級レストランでの飲み会……。
それなのに、娘の大切な遠征費は「出す価値がない」と切り捨てる、その理不尽さに胸の奥がざわついたのです。
「ごめんね。私からもちゃんとお父さんに言うから。もしどうしてもダメって言ったとしても、お母さんがなんとか工面するから、心配しないで」と娘を安心させ、私は夫と話をすることにしました。
遺産は嫁には渡さない
その夜、私はリビングでくつろいでいた夫に切り出しました。「どうして遠征費を出してあげないの? 自分の買い物には何十万も使うのに、娘の3万円は惜しいって、さすがにおかしいと思う」
夫は面倒くさそうにため息をつきました。「金額の問題じゃないんだよ。子どもの部活に、そこまでお金をかける意味があるのかって話だよ。どうせプロになるわけでもないし、将来のためになるとも思えないだろ?」その言い方には、胸の奥から怒りが込み上げてきました。
それなら夫の出費だって同じはずでした。将来の役に立つかどうかで言えば、彼の買い物も大差ないように思えます。
私に指摘された夫は、急に私を睨みつけてきました。「俺の金の使い方に口出ししすぎなんだよ。俺が相続する父さんの遺産を楽しみにしてるのは、お前も同じだろ? 子どもの遠征費なんて持ち出して、どうせ内心じゃ遺産をアテにしてるんだろ? 表ではきれいごとを言ってさ?」
「はぁ……?」と思わず声が裏返りました。
「親父の介護だって、妙に熱心だったしな。毎日通って、世話焼いて。今思えば、遺産を多めにもらうためのアピールだったんじゃないのか?」
その瞬間、頭が真っ白になりました。義父の介護はたしかに大変でしたが、私は遺産をアテにして介護をしたわけではありません。義父はいつも穏やかで、娘もかわいがってくれて……。そんな義父だからこそ、私はできる限りのことをしたいと思っていたのです。
そう伝えても夫は「口ではどうとでも言える」と鼻で笑います。
「あ〜あ! 遺産狙いの嫁とは離婚だな! 他人になれば俺の資産は1円たりとも渡さなくて済むからな」と夫。しかし夫は何かを勘違いしています。
遺産の行方
私は夫が忘れている事実を告げることにしました。
「あなた、若いころにお義父さんの事業資金を勝手に持ち出して、ギャンブルに使い込んだことがあったんでしょ?」そう切り出すと、夫の顔色がみるみる変わっていきました。
「あれはもう20年以上前の話だ! ちゃんと返したし、親父も最後には許してくれていただろ」と夫。
しかし義父は、ことあるごとに『あのときのことは今でも忘れられない』と言っていました。当時義父の会社は経営が苦しく、夫がお金を持ち出したことでとても苦労したそう。
義父は生前、「あいつには最低限でいい」と、漏らしたことがありました。あのときの義父の真剣な表情は今でも脳裏に焼きついています。
「俺は1人息子だぞ……!? なんで俺が知らないんだよ!」と憤る夫。きっと義父は夫には言えなかったのでしょう。遺産がもらえないとわかった途端夫に媚びられるのも、切り捨てられるのも見たくなかったのだと思います。
「そんな……」と言った夫の目は宙を浮いていました。
復縁の目的
遺産が手に入らないとなると、夫に残ったのは多額の借金です。一体いくらになっているのでしょう。夫は真っ青な顔で黙り込んでしまいました。
「じゃあ、俺はこれからどうすれば……」と声を絞り出した夫に、私は淡々と告げました。
「どうするかは、あなたが決めること。でも少なくとも私が遺産目当てじゃないってことだけは、わかってもらえた?」私は静かにそう告げました。そしてその夜、心の中で1つの決意を固めたのでした。夫に言われた「離婚」を受け入れようと思ったのです。
私は意を決して、娘に離婚するつもりだと伝えました。突然の話に驚かせてしまうかと思いましたが、娘は一瞬黙ったあと、どこか安堵したような表情を浮かべます。むしろ賛成だと言われ、拍子抜けしてしまいました。
理由を聞くと、娘は言いにくそうに夫の浮気を目撃したことを打ち明けました。部活帰りに駅前で、若い女性と手をつないで歩く姿を見たのだそうです。最初は信じられず見間違いだと思ったものの、娘が撮った写真はどう見ても夫本人でした。
娘は、介護が始まってから夫婦関係が悪化していくのを感じており、いずれこうなると思っていたのだと静かに話しました。そして、どうせ離婚するならきちんと弁護士に相談し、養育費や慰謝料は正当に受け取るべきだと背中を押してくれたのです。
離婚後の私たちの生活は、義父のおかげでとても安定していました。生前、義父が私と娘のために遺してくれていた財産があったのです。
元夫からはたまに「復縁したい」という連絡がきますが、おそらくお金がなくなったタイミング。話の端々に「少し助けてもらえないか」「あの遺産のことだけど」といった言葉がにじみ、今もなお義父の遺産をアテにしているのが伝わってきました。
もちろんそんな気は微塵もありません。私は私の人生を歩み始めたのでした。
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多額のお金は、ときに人の本性をはっきりと浮かび上がらせます。目の前の遺産に心を奪われた結果、家族への思いやりや、子どもの努力、長年積み重ねてきた信頼まで切り捨ててしまうこともあるのかもしれません。
あくまでお金は人生を支える手段。何を守るべきかを見誤らないことの大切さを、強く考えさせられる体験談でした。
【取材時期:2025年11月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。