「悪いが、今週末の旅行、キャンセルしてくれ。上司に言われて、急な出張が入っちゃったんだ……」
夫のその言葉に、私は洗いものの手を止めました。
結婚して10年。当初共働きだった私に、「家のことに専念してほしい」と頭を下げたのは彼の方でした。
期待されていた昇進の道を捨て、専業主婦として家庭に入って数年。夫にとって私は、いつの間にか「養ってやっている都合のいい同居人」に成り下がっているのかもしれない……最近は、特にそう思うことが増えていました。
10年目の違和感
「1年前から約束してたじゃない。どうにかならないの?」
私が冷静に返すと、夫は軽く舌打ちしました。しかし、それを隠すように謝罪の言葉を続けました。
「……俺も楽しみにしてたんだよ。でも、上司の命令は絶対だ。仕事なんだからわかってくれよ」
私は洗いものの手を止めたまま、夫のほうを向きました。しかし、夫とは視線が合いません。夫の目は、テーブルの上のスマートフォンに釘付けになっていました。
夫は、目の前の私に対する謝罪よりも、スマートフォンの画面の向こうのことが大切なんだ……そう思った瞬間、愛情が一気に冷めていくのを感じました。
夫がリビングから去ったあと、私は洗いものを再開しました。お湯で洗っているのに、指先は軽く震えていました。虚しくて、孤独で、怒りよりも悲しみよりも、だんだんと生理的な嫌悪感のほうが勝っていきました。
それからも、夫は「仕事」と称して家を空けることが増えました。帰りが遅い日も増えましたが、私は機械的に夫の夕食を作り、夫の洗濯物をたたみ、家の中を整えることに専念しました。
露呈した「出張」の正体
そして、結婚記念日。夫が出張へ発ってから3日目の夜です。
本当だったら温泉でのんびりしていたはずなのに、私はテレビで興味もないバラエティをぼんやり眺めていました。
そこへ、夫から電話がかかってきたのです。
「すぐに来てくれ! 大きな事故に遭って動けないんだ」
夫は出張先で交通事故に遭い、救急搬送されたとのことでした。スマホ越しの夫の声は、痛みをこらえているのか、途切れ途切れで上ずっていました。途中で看護師に代わり、病院名と病棟番号だけをかろうじて聞き取りました。そのとき看護師が夫に「ご家族の方に来ていただけますか。手続きが必要で」と言うのが、スマホ越しに聞こえました。
「大丈夫なの!? ほかにけがは!? お医者さんはなんて言ってるの!?」
不信感を抱いていたはずの夫をこんなにも心配してしまうことに、私自身驚きました。そして、一緒に過ごした10年が決して短い期間ではないことに気づかされたのです。
病院の名前のメモを取り、ついでに必要だと思われるものを書き出し、夫のもとへ急ごうと思ったのですが……ふとあることに気づき、私はこう夫に尋ねました。
「そういえば、会社には連絡したの? 出張先の取引先にも連絡してもらわないといけないんじゃないの?」
すると、夫の声が急に険しくなりました。
「……そこは大丈夫だ! これから精密検査と応急処置に入るから、しばらくスマホが使えなくなるけど、終わったら俺が自分でする! 仕事のデリケートな話もあるんだ。お前みたいな部外者が勝手に会社へ連絡して、話をややこしくするなよ。絶対にだぞ!」
声は震えているのに、それだけははっきりと言い切りました。
負傷しているにもかかわらず、検査直前の貴重な時間を使ってまで「会社への連絡」を執拗に拒む夫に、私はひどく違和感を抱きました。そもそも、出張先で事故に遭ったのだから、真っ先に会社に報告するべきです。
さらに気になることがありました。夫が「検査に入るから連絡が取れなくなる」と言って電話を切った直後、私が心配して送った「必要な着替えはある?」「今から向かおうか?」というメッセージに、次々と既読がついたのです。「検査中のはずなのに、なぜ?」夫はスマホを使えないはずなのに、いったいどういうことなのか——。
私は夫に命の別状がないことを確認し、その晩は家に留まることにしました。一刻も早く駆け付けたい気持ちもあったのですが、違和感のせいで準備の手がどうしても止まってしまうのです。こんな状態のまま行ったら、私も危ないのでは……とすら思いました。
もやもやした感情を抱えたまま、翌朝、私はある人物に連絡を取りました。大学時代の先輩で、夫と同じ勤務先の別部署に勤める知人です。
「彼が今週出張? いや、聞いてないな……」
「休暇を取ってるって話は聞いた。理由までは知らないけど……」
「休暇……そういえば“結婚10周年で旅行”って言ってた気がする」
先輩の言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。夫は、私にうそをついていたのです。
会社には結婚10周年の旅行と偽っていたようですが、それはすでにキャンセルしているはず。いったい誰といるのか、何をしているのか……そう考え始めた瞬間、全身の力が抜けて、その場に崩れ落ちました。
私が守ってきた家庭は、私が諦めたキャリアはなんだったのか……じわじわと押し寄せてくる事実に、私はただただ涙をこぼすしかありませんでした。
詰めが甘い夫が残していた証拠
ふと思い立ち、私はリビングの共有タブレットを手に取りました。この端末は、以前夫が使っていたものですが、夫が新しいものを買ったので、私が家計管理のためにもらったのです。
特にリセットもしていなかったので、この端末には夫のメールアカウントが残ったままでした。画面を開いた瞬間、通知バッジが目に入りました。何の気なしにメールアプリを開くと、そこには私の知らない夫の顔が残っていました。
「10周年、嫁との旅行はキャンセルしたよ。お前と温泉に行けるのが楽しみだ」
「今週は『出張』ってことにしてあるし、会社のほうも有休取ったから大丈夫」
相手は、勤務先で知り合った女性のようでした。そのメッセージの送信日時は夫が私に「旅行に行けない」と言っていた、ちょうどそのときでした。
夫は、私への謝罪の言葉を口にしながら、その指でこのメッセージを打っていたんだ……。その事実を知って、再びショックを受けてしまった私は、タブレットを置いて、しばらく台所の壁を見ていました。
夫のメールボックスには、不倫旅行の旅程表だけでなく、過去数回にわたる「口裏合わせ」も残されていました。さらに、「2名1室・連泊」の予約完了メールもしっかりと残っていたのです。
「このままでいいのか」「これからの生活はどうするのか」と自分に何度も問いかけた末、私はぐっと拳を握りしめ、とある決断をしました。そしてすぐに、知人の弁護士に連絡を取ったのです。
不倫男との決別
数日後――。
ようやく、私は夫の病室を訪ねました。お見舞いとしてではなく、ある用件のためです。面会時のトラブルを防ぐため、事情を話して病棟師長に同席をお願いしました。
「遅いぞ! 全然連絡がつかないし……見舞いにも来ず、何してたんだよ」
「普通旦那が事故って入院したらすぐかけつけるだろ!」
ベッドに横たわる夫は、私が来たことに安堵したのか、甘えるような声を上げました。しかし、私の横に立つ師長の静かな表情を見て、表情を凍らせました。
「旦那?私は独身だけど?」
「は?」
実は3年前、夫が一度だけ女性問題を起こしかけた際、彼が土下座して書いた署名・捺印済みの離婚届を、私はずっと持っていました。彼の父親が証人として署名し、夫が泣きながら私に差し出したものです。「もう一度過ちを犯したら、提出していい」という言葉も、念書もありました。
その言葉通り、私はその離婚届を提出してきたのです。事前に弁護士と相談し、提出の可否とリスクを十分に説明してもらったうえで、不貞の証拠とともに備えを整えてから提出しました。受理の連絡を受けたのは、病室へ向かう前日のことでした。 夫は、私が本当に行動に移すとは思っていなかったでしょうし、もしかしたら離婚届のこと自体、忘れていたかもしれません。
私の言葉に、夫は声を震わせました。
「な……何を言ってるんだ? 離婚? そんなの認めないぞ!」
「あなたが認める認めないじゃなく、もう離婚届は受理されたの」「それから会社のことだけど……あなた、結婚10年の記念旅行に行くって有休取ってたんですってね? あなたの先輩から聞いたわ」
夫の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていきました。
「う、うそだろ……そんな……」
口をパクパクとさせ、言葉にならない声を漏らしています。
「悪かった! やり直そう! しばらく介助も必要になるし、リハビリも長くなりそうなんだ! 俺ひとりじゃ何もできないんだ……!」
そう頭を下げ、すがりつこうとする彼の手を、私は振り払いました。そしてそのまま、私は一度も振り返ることなく、夫の病室を後にしました。廊下に出た瞬間、ようやく息ができた気がしました。
その後――。
元夫と比べて軽傷だった浮気相手は、先に退院。しかし、夫の病状と今後のことを知るなり、「別れる」と一言言っていなくなってしまったそうです。誰かの助けがないと生活できないのに、夫のまわりには誰も居なくなってしまったのです。
結局、誰にも頼れなくなった元夫は、入院費の連帯保証人や身元引受人を自分の両親に頼むことに。経緯を聞いた元義両親は「なんて情けない……!」と嘆き、私のもとに来て謝罪してくれました。そして、「あとで息子から回収するから」と、慰謝料を一括で支払ってくれたのです。
現在、元夫は実家に引き取られ、地方でほそぼそとリハビリを続けているそうです。会社での処分の詳細までは、私にはわかりません。ただ、説明の食い違いは記録として残り、夫の立場が元に戻ることはなかったと後で聞きました。浮気相手も社内で居づらくなったようですが、それは私が何かをしたというより、本人たちが重ねた嘘の結果でした。
一方の私はかつてのキャリアを活かし、専門職として復職を果たしました。10年のブランクは想像以上に厳しいものでした。最初は求人票の条件を見ては落ち込み、面接で空白期間を説明して頭を下げる日もありました。
それでも、小さな仕事から積み直し、ようやく自分の足で立つ実感をつかみ始めています。自分の口座に振り込まれる給与を確認するたび、静かな達成感があります。
自分の力で生活を営み、自分の責任で未来を築く。その当たり前のことが、これほどまでに清々しいとは思いもしませんでした。この生活をいつまでも続けられるように、これからも研鑽を続けようと思います。
【取材時期:2025年12月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。