再婚後、埋まらなかった距離
大学進学を機に連れ子である娘のB美は1人暮らしを始めましたが、仕送りについてたびたび連絡が来るようになりました。ある日私は、妻のA子に「またB美から追加の生活費を頼まれたよ。学生の1人暮らしとしては、十分渡しているつもりなんだけどな」と相談しました。
A子はあまり深刻に受け止めていない様子で「サークル活動もしているみたいだし、たまには旅行もしているんじゃない? 大学生活を楽しんでいるならいいじゃない」と言いました。しかし私は、成績が思わしくなく、留年の可能性があると聞いていました。
「単位が足りないって言っていたよな。せめて学業はしっかりしてほしい。A子から注意してくれないか」と頼むと、返ってきたのは意外な言葉でした。
「あなたは父親なんだから、直接言えばいいでしょ?」
私は言葉に詰まりつつ、「父親といっても、まだ5年だ。前に注意したら『父親面するな』って言われてね……」と返しました。立場の難しさを感じながら、私は踏み込めずにいたのです。
深夜の連絡と、夫婦の亀裂
そんなある夜、警察から連絡が入りました。B美が路上で酔って動けなくなり、保護されたというのです。私は慌てましたが、A子は冷静でした。
「いい経験になるでしょ。自分の行動の結果よ」
迎えに行こうともしない態度に、私は思わず「若い女性なんだぞ。心配じゃないのか。母親として放っておけるのか?」と声を荒らげました。するとA子は強い口調で「実の子どもがいないあなたに、何がわかるの?」と言い返してきたのです。
この口論を境に、私たち夫婦の関係は急速に冷え込んでいきました。そして数カ月後、A子は「もう続けられない」と言い、話し合いの末に離婚が成立。彼女は家を出ていきました。
離婚から約2カ月後、B美から突然メッセージが届きました。
「パパ、生活費を振り込んで。親なのに冷た過ぎるよ」
私は戸惑いながら「もう離婚したことは聞いていないのか?」と返信しました。すると、電話がかかってきました。どうやら事情を知らなかったようです。私は事実だけを淡々と伝えました。
「A子とは離婚した。法律上も、君を扶養する立場ではなくなっている」
しばらく沈黙が流れた後、B美は「でも今まで払ってくれていたのに、急に止められたら困る。学費も生活費も必要なんだよ」と言いました。私はできるだけ冷静に「これまで支援してきたのは家族だったからだ。だが、今は状況が違う。まずは自分の生活を立て直すことを考えなさい」と答えました。
感情的にならず、現実だけを伝えました。
母娘の対立、そして決断
その後、B美とA子の間でも意見の対立があったようです。詳しい事情はわかりませんが、金銭や生活態度を巡って衝突していると耳にしました。双方から私に連絡がありましたが、私はそれ以上関与しないと伝えました。
「もう私は当事者ではない。これ以上、問題に巻き込まれるつもりはない」。それが、2人への最後の連絡になりました。
離婚に伴う手続きや清算も済ませ、私はひとりの生活に戻りました。家族を失ったと言えば、そうかもしれません。しかし、不思議と後悔はありません。
私は「父親であろう」と努力してきましたが、それは一方通行だったのかもしれません。血のつながりではなく、信頼で築くのが家族だと、今回改めて思い知らされました。
今は肩の荷が下り、自分の人生を静かに立て直しています。
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再婚家庭では、立場や距離感の難しさがつきものです。結果として孤独になりましたが、同時に不安定な関係から解放されたとも言えます。家族であっても、責任や信頼は曖昧にできないもの。支えることと甘やかすことは違うと、改めて感じさせるエピソードですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※AI生成画像を使用しています
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