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父の葬儀で妹「遺産はお姉ちゃんには渡さない!」私「…わかってないのね?」→事実を知った自分勝手な妹の哀れな末路

父の介護を1人で背負い続けた数年間。妹からは時々「頑張ってね!」というメッセージが届くだけでした。介護はしないのに、お金の話になると飛びついてくる……そんな妹の姿を目の当たりにして、私は虚しさを感じていました。しかし、「父親を見送るまでは」と目をそらし続けていたのです。

父が体調を崩したのは、私が実家に戻って間もないころのことでした。


一代で事業を立ち上げ、それなりの資産を築いた人でした。でも病気が進むにつれ、あれほど精力的に働いていた父が、通院のあとに「今日はかなり疲れた」と目を閉じる姿を、私だけが毎日そばで見ていました。その背中が、日に日に小さくなっていくような気がしていました。


妹は都会に出て、そこで暮らしていました。連絡は取れます。でもそれだけです。最後に帰省したのはもう何年も前で、そのときだって1時間と家にいませんでした……「地元の友だちとの約束があるから」という理由で、父とほとんど言葉を交わさないまま出ていったのです。


「たまには顔を見せてあげて」と伝えても、「忙しくて無理~」の一言で終わります。介護のサポートをお願いしても、軽やかにかわされる。「家族なら親のために頑張るのが当然」とさらりと言い放ちながら、自分は「妹だから」とその“当然”を一切引き受けようとしなかったのです。

 

小さくなっていく父の背中

妹は若いころから、父の悩みの種でした。問題を起こすたびに、父が黙って妹の後始末をしてきたのです。

 

友人関係のトラブルで示談金が必要になったこと、職場でのトラブルで辞めることになったときの当面の生活費、そして浪費による借金の肩代わりを頼んできたこと――父は一度も表立って妹を責めず、ただ静かに処理していました。妹は「次は気をつけるから~」と言うだけで、何も変わらないままただ年月だけが過ぎていったのです。

 

最初のうちは、妹に対して怒りを感じました。でも数年が経つうち、怒りはどこか遠くに消えていきました。あるのは、ただ静かな疲労感だけ。父の体重が少しずつ落ちていくのを、私はたった1人で見守り続けていました。

 

父の体調が思わしくなくなってきたある日、私は妹に「生前贈与の話が出ている」と伝えました。

 

 

普段は数日あいてから返事が来ていたのに……このときだけ、驚くほど早かったのです。

 

しかも最初の返信は「いくら? いつ? 振込? 現金で手渡し?」でした。さらに「仕事が忙しくてなかなか帰れない」と言っていた妹が、「来週休み取れそう、帰る」と書いてきていました。

 

私は画面を見つめたまま、しばらく動けませんでした。お金の匂いがした瞬間だけ、妹と父の距離が縮まる。それがわかってしまうのが、私にとって一番つらいことでした。

 

そして翌週、妹は本当に帰ってきました。久しぶりに顔を見せた妹は、父の手を握って「会いたかった~」と甘えた声を出していました。父はうれしそうでした。それが余計に私の気持ちを複雑にさせました。けれど、生前贈与がすぐに現金で手に入る話ではないとわかった翌日、妹は「急に仕事が入った」と言い残し、そそくさと帰っていったのです。

 

その後も、父の容態が落ち着かない時期が続きました。通院、服薬管理、食事の用意――夜中に胸騒ぎがして父の様子を見に行く夜が何度もあったのです。そんな状況になっても、妹からは「頑張ってね!」というスタンプがたまに届く、それだけでした。

 

その後も、父の容態が落ち着かない時期が続きました。通院、服薬管理、食事の用意――夜中に胸騒ぎがして父の様子を見に行く夜が何度もあったのです。そんな状況になっても、妹からは「頑張ってね!」というスタンプがたまに届く、それだけでした。

 

そして、父が入院になってしばらく経ったころ、妹は「『お父さんの介護がある』って言って仕事辞めたの~」と連絡してきました。遺産の取り分を増やすための口実だったのか、それとも本当に来るつもりがあったのか、今でもわかりません。ただ、そのあと一度も帰ってくることはありませんでした。

 

「介護」という言葉を口実にしながら、実際には何もしない。私はただ、その事実を黙って受け止めていました。

 

 

ようやく現れた妹

長きにわたる闘病の末、父は亡くなりました。

 

父の葬儀に遅れてやってきた妹は、「新幹線の時間、間違えちゃって~、でも間に合ったからいいでしょ?」と言います。

 

服装は光沢のある黒のワンピースにショート丈のブーツ、そして派手なアクセサリー。周囲の視線を気にも留めず、「黒だからいいでしょ?」と私に向かってくるっと回ってみせたのです。私は大きなため息をつきました。

 

そしてその夜、精進落としの食事会が終わると、妹は「明日の朝早いから」と駅前のホテルへ戻っていきました。親族もそれぞれ引き上げ、家の中が静かになったころ……妹から電話がかかってきたのです。

 

「ねぇ、遺産の話なんだけど」

 

父が亡くなったばかりなのに、もうお金の話をするなんて……。私はあきれてものも言えませんでした。

 

「遺産は全部、私のものってことでいいよね? お姉ちゃんは実家暮らしで家賃もいらなかったし、介護中の生活費はお父さんが出してくれてたわけだから、十分もらってるよね」「私は都会でひとりぼっちで頑張ってきたし、さみしい思いもしてきた。だから遺産をたっぷりもらわなきゃ不公平でしょ」

 

さらに妹は弾んだ声で続けます。

 

「遺産もらったら、とりあえず海外旅行かなぁ。でもタワマンにも住みたいし、高級車にも乗ってみたい!」

 

スマホを持つ私の手は、少し震えていました。冷えた指先から感覚が薄れていくような感じがしました。父が亡くなったばかりだというのに、妹からこんなことを聞かされなきゃいけないなんて……。

 

「あ~、本当にお父さんが資産家でよかった!」

「でもお父さんの遺産は、お姉ちゃんには渡さないから!」

「……何もわかっていないのね」

「え?」

 

 

父が遺してくれたもの

「お父さん、弁護士に依頼して公正証書遺言を作成していたの。あなたのことも、ちゃんと書いてあるよ」

 

しばらく妹は黙りました。そして「ど、どういうこと……? それには何が書いてあるの?」と尋ねてきました。

 

私は順を追って伝えました。父が生前に弁護士と何度も面談していたこと。遺言書には、妹にはほとんど遺産を遺さない内容で、その理由が明記されていたこと。長年にわたる金銭的なトラブルの後始末、介護放棄――父はそのすべてを、事実として書き残していました。

 

エンディングノートにも同じ内容が綴られており、父の筆跡で「かわいい娘だったが、最後まで家族としての愛情や敬意は感じられなかった」と書いてありました。その文字を目で追いながら、私は泣かなかった。泣けなかったのかもしれません。ただ、父がこれを書いたときどんな気持ちだったのだろうと思うと、胸が締め付けられるような気持ちになりました。弁護士への相談も、すべて父が生きているうちに済んでいたことでした。

 

「あなたがもらえるのは『遺留分』になるんだけど」と、私は続けました。遺留分とは、法律上必ず受け取れる最低限の取り分のことです。「お父さんの資産、長期の入院や治療が続いたこともあって、ここ数年の介護費と医療費でほとんど使い切ったの。そもそもの遺産として残ってる分が少ないのよ」

 

「そ、そんな! 私、仕事も辞めちゃったのに!」と言う妹に、私は冷たく「『介護のため』と言って辞めたのに、一度も来なかったじゃない。自業自得よ」と言い放ちました。

 

そしてあらためて、「あなたが欲しがってる『遺産』は、もうないの」と告げました。
「……うそ、でしょ……」
電話の向こうから、かすれたような呟きが聞こえた直後、プツッと一方的に通話が切れました。

 

その後――。

 

 

それから妹は何度か連絡をよこしました。謝罪の言葉に続けて、「50万でもいいから」「なにか形見だけでも」という言葉が来ましたが、私は返信しませんでした。「自業自得だ」という思いは変わらなかったからです。


しばらくして、妹が親戚に「遺産が入る予定」と吹いて回っていたことを人づてに聞きました。葬儀の前から言いふらしていたようでした。けれど実際には、相続財産として残っていたのは、長年の介護費と医療費を支払った後のわずかな預貯金などだけでした。妹が受け取れたとしても、夢見ていた額とはほど遠いものだったのです。見栄を張った言葉は、簡単には取り消せないでしょう。


実際の相続の手続きは、弁護士の立ち合いのもと、淡々と進みました。悲しむ時間は、後でいくらでもある。そう自分に言い聞かせながら、金融機関の凍結解除、不動産の名義変更。すべてが粛々と完了していきました。

 

今思い返しても、父の介護の数年間は決してラクではありませんでした。毎日の通院に付き添い、夜中に父の部屋に足を運び、それでも翌朝また家事や在宅の仕事を回す。誰かに褒めてもらいたかったわけではありません。ただ、自分が正しいことをしているという感覚だけを支えに、続けていました。


父は感情で動く人ではありませんでした。弁護士への相談も、エンディングノートも、すべて準備していたのです。ただ、積み重なった事実に従って、淡々と記録を残した。その姿が、今も私の中に残っています。

 

書類は、感情より正直です。何年一緒に暮らしても、どれだけ「もらう権利がある」と言い張っても、公正証書に刻まれた事実の前では何も変わらない。遺産と呼べるような大きなお金は、手元に残りませんでした。けれど、理不尽なトラブルから私を守り、平穏な日常を確約してくれたあの公正証書こそが、父が遺してくれた本当の「財産」であり、父の、無口だけれど確かな愛情だったのだと、今ならわかります。

 

今の私にあるのは、誰にも乱されることのない静かな毎日です。父の仏壇に手を合わせるたび、私は心からの「ありがとう」を伝えています。

 

◇ ◇ ◇

 

親の介護と遺産相続は、多くの人が直面するリアルな問題ですよね。無言で寄り添い続ける家族もいれば、「権利」ばかりを主張する家族もいる。口先の言葉がいかに空虚で、日々の行動の積み重ねがいかに重みを持つかを痛感させられます。遺産と聞くとつい金銭にばかり目が行きがちですが、本当の財産とは何かを考えさせられますね。

 

 

【取材時期:2026年1月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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