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「遺産ねらいは出て行け!」同居の私を追い出す義妹に私「じゃ、お言葉に甘えて♡」→3日後、義妹が泣きついてきたワケ

義母の介護をしている間、義妹から笑顔で感謝の言葉をもらうたびに、なぜか胸の奥がざわつきました。その笑顔の裏には「なにか」が隠れている気がしたからです。

その「なにか」がはっきりしたのは、義母の通院を終えて家に戻ったときのことでした……。

義母との関係は、どちらかといえば良好だったと思います。夫の実家まではタクシーで40分。決して近い距離ではありませんが、週末になると私は足しげく通い、買い物の付き添いや病院の手続きを手伝っていました。

 

整形外科には月に1回、内科には2週間に1回、そして物忘れ外来にも月1回。気づけば、3つの医療機関と義母のスケジュールを私が一手に管理するようになっていました。薬の飲み忘れ確認や、週3で来てくれるヘルパーさんの調整、介護保険の書類も、いつの間にか私が回していたのです。

 

近くにいるのに手を出さない義妹

一方の義妹は、実家から10分ほどの場所に住んでいます。距離だけでいえば、私よりずっと近いのですが……通院のたびに義母から連絡が来るのは私でした。

 

義妹にお願いしても、「今日、休みだったよね? じゃあお母さんの通院、お願いね!」と毎回、この調子です。忙しいから、リフレッシュが必要だから、と笑いながら言う義妹に対して、私は「今日来れないかな?」と何度も声をかけました。けれど返ってくるのはいつも軽やかな笑い声と、「お義姉さんがいてくれると安心だわ♡」という一言でした。

 

最後に義妹が義母の面倒を見にきたのが、いつだったか――記憶を辿っても、はっきりとは思い出せないほど前のことでした。

 

 

 

転機は突然やってきました。夫が会社から、地方への長期単身赴任を打診されたのです。期間は2〜3年。断れなくはないが、昇進にも関わるという話でした。

 

「行っておいで」と即答しながら、私の頭には義母の顔が浮かんでいました。

 

先月、火をかけたまま外出しようとしていたこと。財布の置き場所を毎回探していること。あの様子を誰よりも近くで見ていた私は、義妹に任せるという選択肢が、正直、頭に浮かびませんでした。

 

夫と話し合い、私は仕事を辞めて義実家で同居し、介護に専念することにしました。夫は「生活費をすべて出す」「費用面の心配はいらない」と言ってくれました。義母にとっても、24時間そばに人がいる環境の方がずっと安心だと判断したのです。

 

義妹に報告すると、最初は「さすがお義姉さん♡」と喜んでいました。しかし、私が仕事を辞めて住み込みで介護をすると告げた瞬間――空気が変わりました。

 

「介護って肩書きで、実質ニートじゃない」
「お兄ちゃんがいない隙に実家に転がり込んで、遺産を狙ってるんでしょ」

 

笑って流せばよかったのかもしれません。でも、あれだけ頼んでおいて「遺産目的」と言われて、胸のどこかがひやりとしました。これ以上何を言っても無駄だと、そのときすでに感じていました。

消えた私の荷物

数日後――。

 

義母の通院の付き添いを終えて、私はいつも通り義実家の玄関を開けました。

 

廊下がなぜかすっきりしている気がしました。ふと不安を覚えて、洗面所に行くと、棚から私の化粧品が消えていました。クローゼットを開けると、衣類がひとつもありません。ただ、捨てられたというより――どこかに「移された」ような、不自然な空き方でした。

 

まさか、と思いました。でも、この家の中の物の場所を把握していて、合鍵で気軽に出入りできるのは、実質的に義妹くらいでした。

 

私は震える手で、義妹に電話をかけ、「ねぇ……私の荷物、知らない? 病院から帰ってきたら、なくなっていて……」と聞きました。すると義妹から返ってきたのは驚く返事でした。

 

「あんたの荷物、ちゃんとまとめておいてあげたから」
「人の家に勝手に居つかれても困るし」

「必要なものだけ持って、もう来ないでくれる?」

「遺産ねらいなのはわかってるんだから! とっとと出て行って!」

 

義妹が私に対していい感情を持っていないことは、わかっていました。しかし、ここまでするとは思っていなかったのです。

 

電話を切った後、私は家の外へ向かいました。すると勝手口の前に、無造作にガムテープで縛られた段ボール箱と、私の服がぐちゃぐちゃに詰め込まれた黒いゴミ袋が山積みになっていました。

 

私がおぼえたのは、怒りより先に、生活の境界線を土足で踏み越えられたような不快感でした。自分が数カ月かけて積み上げてきたもの――義母との信頼関係も、介護の記録も、この家での生活そのものも、すべて義妹に壊された気がして、しばらく言葉が出ませんでした。

 

私は空になった棚や、外に放り出された荷物の山をスマホで撮り続けました。手は震えたままでしたが、夫に短く状況の説明と写真を送たあと、再び私は義妹に電話をかけたのです。

 

 

私から義妹への引き継ぎ

「さっきの続きだけど……じゃ、私あなたに言われた通り、とっとと出て行くね。お言葉に甘えて」

 

私がそう言うと、素っ頓狂な声で「え?」と驚く義妹。

 

「私は夫のいる単身赴任先に行く。私を追い出した以上、私はもうここにはいられないから、お義母さんのことはあなたにお願いするね」

 

「え、ちょっと待って、そういうことじゃなくて……!」とあわて出した義妹を気にせず、私は淡々と引き継ぎを始めました。

 

医療費の支払い記録や引き落としの一覧、病院・介護の連絡先を記載したノート。来年に控えた要介護認定の更新に向けた手続きや、認定調査に向けた準備。それから義母の年金関係の書類や通帳の保管場所まで、事細かに伝えたのです。

 

さらに、かかりつけが3つあること、それぞれの受診頻度と付き添いが必要な理由、義母1人では受付の手続きがもう難しくなっていること――知らなかったのか、最終的に義妹は何も言えなくなってしまったようでした。

 

「ヘルパーさんとケアマネジャーさんの名前は、前にも伝えたよね」と言っても、義妹は無言のままでした。何度か話題にしていたのに、毎回聞き流されていた様子です。

 

「週3でヘルパーが入っていて、来週はケアマネの訪問がある。連絡先はおいておくね」

 

「待って待って待って」「これ全部、私が1人でやるの?」と声をあげた義妹。

 

「私を追い出した以上、これからはあなたがやるしかないよ」「遺産が気になるなら、なおさら自分で見たほうが安心でしょ」「これからヘルパーさんが来てくれるけど、そのあとはよろしくね」と言って、私は電話を切りました。

 

そして、ヘルパーさんと義母に別れを告げ、私は義実家の玄関を出ました。

 

通院付き添いの時にはいつも、そのまま泊まりになる可能性も考えて、貴重品と最低限の着替えは必ずバッグに入れていました。そのため、手元には自分の通帳や身分証、スマホ、数日分の着替えがありました。

 

勝手口に放り出されていた段ボールやゴミ袋の山は、スマホから宅配業者の集荷を手配し、夫の赴任先へ送る手続きを済ませました。大切な荷物をゴミのように扱われたショックはありましたが、逆にこれで未練なくこの家を出られます。

 

私はその足で夫に電話し、今日の新幹線で向かうと伝えました。

 

 

義妹への通告とその後の静けさ

3日後、義妹から泣きそうな声で電話がありました。

 

「ねえ、やっぱり戻ってきてくれない……?」

 

通院の日を忘れてヘルパーに頼もうとしたら断られたこと。初めて会ったケアマネジャーに「今まで付き添われていた方はどちらですか」と怪訝な顔で確認され、医師に「これからは情報共有をしっかりお願いします」と事務的に言われ、病院でも今後の連絡先や付き添いについて細かく確認され、まともに答えられなかったこと――。


ようやく自分が置かれた現実を知った義妹の声は、ひどく消耗していました。

 

さらに彼女を絶望させたのは、夫からの通告でした。


私の荷物をゴミのように勝手口へ放り出したと知った夫は激怒し、義妹にこう言い渡していたのです。

 

「お前が妻を追い出した以上、もう妻は戻らない。これからの通院や連絡調整は、お前が自分でやれ」

 

「遺産狙い」と私を罵った義妹ですが、実際に介護を回すためにどれだけの出費と労力がかかっていたか、まったく想像できていなかったのです。

 

実務の負担が一気に自分へ返ってくると知り、パニックになった義妹に、私は淡々と告げました。

 

「あと1カ月、頑張って。施設入所が決まってるから」

 

義妹には伝えていませんでしたが、実は義母と同居を始めてすぐ、ケアマネジャーと主治医に相談して、施設への入所を視野に動き始めていた私たち。在宅の限界は遠くないと、専門家も言っていたからです。

 

複数の施設に問い合わせ、空き待ちの名前も入れていました。夫にも「候補を探している段階だ」とは伝えていましたが、ちょうど申し込んでいた施設でキャンセルが出て繰り上がったのが、荷物を外に出されたあの日の数日前だったのです。

 

電話の向こうで、義妹がへなへなと座り込むような気配がしました。

 

その後――。

 

 

たった1カ月とはいえ、地獄のような実務と出費を味わった義妹はすっかりやつれていました。義母は翌月からショートステイに入り、その後スムーズに本入所へ移行しました。最初は戸惑っていた義母も、スタッフに囲まれた生活に少しずつ慣れていったようです。

 

本入所の際、義母は「今までありがとうね」と義妹に声をかけたそうです。自分の無力さと介護の過酷さを思い知らされた義妹は、その場で泣き崩れてしまったらしい、と後から夫に聞きました。

 

今は夫の赴任先で暮らしながら、月に一度ほど夫婦で施設へ顔を出しています。義母は明るく過ごしていて、義妹も以前よりは頻繁に義母に会いに行っているようです。ただし、私に対してはすっかり頭が上がらなくなったようですが。

 

正直に言えば、あのまま義実家に居続けていたら、私は少しずつ自分を削り続けていたと思います。感謝もされない、評価もされない、でも「いてくれると安心」という言葉だけで踏ん張って。それがどれほど消耗することか、義妹はたった1カ月で骨身に染みたはずです。

 

人に任せている間は、その負担の重さは見えないものなのだと実感しました。しかし、実際には見えないところでの大変な努力や精神的な摩耗があるのです。

 

義母が施設で元気に過ごしていること。夫がそばで一番の味方でいてくれること。あの日、ゴミ袋の山を背に、手荷物ひとつで新幹線に乗った自分の選択は、間違いなく正しかったと思っています。

 

◇ ◇ ◇

 

家族だからこそ線引きが曖昧になりやすく、気づかないうちに負担の偏りが積み重なってしまうこともあるのでしょう。善意に甘えた関係はどこかで限界を迎えますが、思い切って距離を置く決断が、結果的に全員にとっての区切りになることもあるようです。無理を続けるのではなく、自分を守るために手を引くことも、関係を見直すひとつの選択なのかもしれませんね。

 

【取材時期:2026年1月】

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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