ある日、娘の進路をめぐって夫と話し合いをしました。娘は弁護士を目指して大学に進学したいと希望していたのですが、夫は「女が弁護士なんて生意気だ」「高校を出たら就職して家に金を入れろ」と取り合おうとしません。
私が「やりたいことがはっきりしているなら、親として支援すべきではないか」と訴えても、夫は「叶えられない夢に金を出す義理はない」の一点張り。
さらには「女は総じて頭が悪い」「結婚して20年、お前の頭の悪さにはうんざりだ」と、私や娘を性別ごと見下すような言葉まで口にしました。
父親の本音
それでも粘り強く説得した結果、国公立大学に限るという条件付きで、なんとか進学だけは認めさせることに成功。娘にそのことを伝えると、「それだけでも十分。受験頑張るよ」と明るく答えてくれました。
ただ、娘は父親の本音をよくわかっていました。「私が息子だったら全然違うんだろうね」と静かにつぶやいたその言葉が、胸に刺さりました。
夫の問題は娘への態度だけではありません。自分は家事が一切できないくせに、私には完璧を求めます。
夫を立てていたワケ
さらに、ブランド物を買ったり高い店で飲み食いしたりしたことによるローンの請求は膨れ上がる一方で、実際には夫の給料だけでは毎月の生活費が足りず、私がパート代や貯えから補填していました。
簡単な収支を見れば、私の持ち出しがあることなどすぐに気付くはずです。しかし、夫は自分に都合の悪い現実には一切目を向けようとしませんでした。
そんな彼を立てていたのは、家庭の平和を守るためです。プライドが高く繊細な夫は、自分が優位に立てないと露骨に不機嫌になり、家の中の空気を凍りつかせるのです。結婚生活を維持するために、私はあえて「格下」の立場を受け入れていました。
娘はそんな私を心配し、「ママはやさしすぎる」と言ってくれました。ただ、そのやさしさがどこまで通用するのか、私自身もわからなくなりつつありました。
嵐の中の命令
ある夜、夫が突然「今から俺の実家へ行ってこい」と言い出しました。新しい家具の組み立てを義父に頼まれたようです。
自分は仕事の帰りに同僚との飲み会があるから無理だ、と言い、呼ばれたのは夫本人であるにもかかわらず、私に押し付けました。
しかしその日、天気予報が外れて外は激しい嵐に。不要不急の外出は控えるよう、テレビでも繰り返し言っているような天気でした。これは後から知った話ですが、義父は夫に日を改めるように連絡していたとのこと。しかし夫はそれを私に伝えなかったのです。
結局、私は娘を助手席に乗せて車を出しました。しかし視界の悪い中で私たちは交通事故にあってしまいます。とっさにかばったおかげで娘は無傷でしたが、私は大きなけがを負いました。
義実家が近かったため、娘が義父母に連絡を取り、病院まで付き添ってもらうことができました。
締め出された夫
その夜、飲み会から夫が帰宅すると家の鍵が開きません。「家でお前が待っているのが当たり前」と考えていた夫は、普段から鍵を持ち歩く習慣すらありませんでした。
その夜も、いつものようにドアノブを乱暴に回し、私が開けるのを当然のように外で待っていたのです。
娘にLINEで連絡を取った夫は、そこで初めて事故のことを知りました。
夫は心配するどころか「いつまで外で待たせるんだ!」と、怒りを爆発させました。私が病院にいると知っても、「大げさなんだよ、早く帰ってこい」と怒鳴り散らす始末です。
さらに娘は、義父が夫を呼び出した本当の理由を明かしました。家具の組み立ては口実で、実は息子の態度について説教するつもりだったのだと……。以前から娘は義父に、夫の横暴な振る舞いについて相談していたそうです。
しかし、こんな天気の中嫁や娘に押し付けるまでは想定外だったよう。義父もひどく怒っていました。
妻の決意
翌日、義父に呼び出された夫は実家を訪ねたそうです。遺産を当てにしている夫は、義父には逆らえません。
そこで散々叱られ、さらに娘が義父母に打ち明けていた「私が生活費を補填し続けている事実」も突きつけられたようでした。
病室にやってきた夫は「すまなかった」と頭を下げました。しかし謝罪の言葉の中にも、自分がどれほど妻に支えられていたかを本当に理解している様子は感じられません。
私はこれまでの20年間を振り返り、淡々と話しました。夫のプライドを守るためにあえて意見を控えてきたこと。家計が足りない分を黙って補っていたこと。もしすべてを対等にやろうとしたら——家事の分担、支出の管理、娘の行事への参加——夫にはとうてい耐えられなかっただろうということ……。
「あなたのプライドを傷つけないよう、私は20年間、ずっと『何も知らない無力な妻』を演じてきました。でも、そのやさしさがあなたを増長させ、娘まで傷つける結果になった。もう、あなたの機嫌を伺うだけの人生は終わりにします」
夫は「いくらでも謝る、離婚だけは勘弁してくれ」と繰り返しましたが、その理由は結局、自分の都合ばかり。娘もまた、父親とはもう暮らしたくないという意思を固めていました。
退院後、私は義父母の協力を得て離婚の手続きへと踏み出したのです。
人生をやり直す
入院中の約1カ月間、娘は義実家でお世話になり、毎日学校まで送迎してもらったそうです。あたたかく迎え入れてくれた義父母には、感謝してもしきれません。
その後、新居を見つけ、娘とふたりで引っ越しをしました。パート先に社員登用をお願いし、娘にも少し家事を手伝ってもらいながら、フルタイムで働く生活を始めています。
元夫は自分では何もできず、苦しい生活を送っているようです。家族がいたころは気付かなかった支えの大きさを、ようやく実感しているのかもしれません。
娘は受験に向けて猛勉強中です。弁護士という夢に向かって真っすぐ進む娘の姿を見ていると、これからは私も自分の人生を取り戻していこう、という気持ちが自然と湧いてきます。
◇ ◇ ◇
「稼いでいる」ということは、家庭における唯一の貢献ではありません。日々の家事、子どもへの関わりなど、目に見えにくい支えがあってこそ、暮らしは成り立っています。
その支えを「当たり前」と思い、相手を見下し続ければ、いつか自分を支えてくれる人は誰もいなくなってしまいます。家族であっても、互いを尊重する気持ちを忘れずにいたいですね。
【取材時期:2026年2月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。