ある日突然、弟夫婦が実家に転がり込み…
実家では、両親と私の3人で暮らしていました。ところがある日、母が溺愛している弟が結婚し、「家賃を浮かせたい」と突然、妻を連れて実家に転がり込んできたのです。すると母は、「かわいい弟のために部屋を空けなさい!」と言い、長男である私を、物置代わりに使われていた狭い部屋へ追いやりました。
弟夫婦は家にお金も入れず、好き勝手に振る舞うばかり。母もそんな2人を甘やかしていました。さらに彼らは、私のことを「パラサイトニート」と見下してきたのです。父はそのたびに「あいつはきちんと働いている」と注意してくれましたが、母は「あなたは黙ってて!」と一蹴。私の仕事を理解しようともせず、家の中は最悪の空気に包まれていました。
“ニート長男”には父しか知らない秘密が
実は私は、かなりの収入があり、その事実を知っていたのは父だけでした。父は以前、会社の業績悪化をきっかけにやむなく転職し、給料が大幅に下がったことで深く悩んでいたのです。
そこで私は、「これまで育ててくれた恩返しがしたい」という思いから、毎月こっそり父にまとまったお金を渡し、実家のローンや生活費の不足分を支えていました。
しかし、母と弟は、今の生活水準が保たれているのは「父の稼ぎがいいから」だと完全に勘違いしていたのです。私は父への援助を隠すため、そして弟から面倒な金の無心をされるのを避けるために、あえて家では“肩身の狭いニート”を演じていました。
「ニートは留守番よろしく」私が決意したこと
同居から数カ月後。弟夫婦と母は「家族の親睦を深めるため」と海外旅行を計画しました。もちろん私は最初から除外されており、出発当日の朝、玄関で「弟ちゃん夫婦と旅行行くから、ニートは留守番よろしく」と嘲笑われました。
その言葉で、私の中で何かが切れました。彼らが出発した直後、私は自分の荷物をまとめ始めました。慌てる父に対して「ごめん父さん、俺もうここにはいられない。今までありがとう」と、最後の生活費が入った封筒を手渡しました。
父は、身勝手な妻と次男の暴走を止められなかった自分を深く恥じ、涙ぐみながら「すまなかったな。今まで本当にありがとう。お前は自分の人生を生きなさい」と、力強く送り出してくれました。
帰宅した母と弟夫婦を待っていたのは…
数日後、旅行を満喫して帰宅した母と弟夫婦。しかし、家の中はもぬけの殻でした。私の荷物どころか、父の荷物までもがきれいに無くなっていたのです。そして、静まり返ったリビングの机の上にポツンと置かれていたのは、父の署名捺印済みの「離婚届」と一通の手紙でした。
そこには、彼らにとって信じられない事実が記されていました。
この家の生活費やローンの大半は、ニートだと馬鹿にしていた長男が支払っていたこと。
長男を追い出したことで、もうこの家のローンは払えないこと。
これ以上、身勝手な妻と次男には付き合いきれないこと。
弟夫婦にも見放された母…それぞれの結末
手紙を読んでパニックになった母は慌てて父に連絡しましたが、父の意思は固く、弁護士を通じて離婚手続きが進められました。
財産分与と話し合いの結果、ローンを払い続けることができなくなった実家は、売却されることになりました。母は、財産分与で手にしたわずかなお金を頼りに、今はアパートで暮らしているようです。弟夫婦は、自分の親にお金がないとわかった途端、すぐにどこかへ行ってしまったとのこと。今では、どこで何をしているのかもわかりません。
母からは謝罪の連絡もありました。けれど、小さいころから弟ばかりをかわいがっていた母のことを、すぐに許すことはできず……。今すぐ援助する気持ちにはなれませんでした。
一方、私はセキュリティ万全の快適なマンションに引っ越し、のびのびと仕事に打ち込んでいます。時々、ひとり暮らしを始めた父とおいしいものを食べに行き、親子の絆を深めながら穏やかで幸せな日々を送っています。
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家族という近い関係であっても、相手の立場や状況を想像し、きちんと向き合うことは大切ですよね。日々の支えや思いやりに目を向け、感謝の気持ちを伝え合いながら、対等な関係を築いていくことが、家族関係を長く続けていくうえで欠かせないのかもしれませんね。
【取材時期:2026年4月】
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。