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義母の葬儀当日、夫「なぜ妻がいない?!」→私「欠席します」すべてを失った男の10カ月後

結婚したとき、私は幸せな家庭を築けると信じていました。夫は大手企業に勤めるいわゆるエリートで、周囲からも羨まれる縁談でした。私には持病がありましたが、日常生活に支障はなく、仕事も続けながら穏やかな夫婦生活が始まるはずだったのです。

しかし実際は、結婚直後から夫の言葉はどこか冷たく、私が何かを提案するたびに「余計なことをするな」という雰囲気がありました。

転機が訪れたのは、結婚から3年が経ったころです。子どもに恵まれない日々が続き、思い切って検査を受けました。医師からは「妻側の身体に異常は認められない」と告げられたのですが——。

夫は検査を頑なに拒否するだけでなく、「なぜ妊娠しないんだ!」と不機嫌になるばかり。不妊治療を提案しても「余計な金がかかる」と怒鳴り、義母に申し訳が立たないと言い続けました。

 

不安から出た言葉なのかもしれませんが、八つ当たりとしか思えないその態度は、私にとって大きなショックでした。

夫との不和

夫の言葉は、日を追うごとにひどくなっていきました。不妊治療の話が出るたびに、金のかかる女だと責め、妻として失格だという言葉を繰り返します。

 

それでもなんとか説得し、不妊治療を始めることができました。しかし夫は、治療にかかる費用は生活費から差し引くと言って聞きません。私の服代や化粧品代まで削るよう命令しました。

 

持病のせいで余計な金がかかると言い、私が少しでも意見すると嫁は夫に従えと主張する夫……。反論の余地はほとんど残されていませんでした。

嫁いびり義母

その後、状況はさらに複雑になっていきました。夫は子どもができない償いとして、義母に尽くすよう命じます。私は、腰の具合が悪くなった義母のもとへ、仕事終わりや休日に通うことが日課になりました。

 

しかし義母が私に言いつける内容は理不尽なものばかり。1時間以内に家中の掃除と庭の草刈りを終わらせるようにと命じられたこともあれば、家具を動かして模様替えをしろと言われることもありました。どれも一人では到底こなせない内容です。

 

中には危険を感じる用事もあり丁重にお断りすると、夫は姑に逆らうなと怒鳴り散らしました。そしてある日、テーブルの上に1枚の紙が置かれていたのです。それは夫が署名した離婚届でした。

 

「出したければ出せ。いつでも俺たちの関係は終わらせることができる。毎日それを見て思い出せ」そう言い放った夫の表情を、今でも忘れることができません。

 

義母の他界

それから半年ほどが経ったある日、義母から草刈りに来いと連絡が入りました。急いで向かうと、義母が庭に倒れていました。すぐに救急車を呼び病院に付き添ったものの、そのまま帰らぬ人に……。


夫に電話をかけ、息を引き取ったことを伝えると「今日はどうしても抜けられない会議があるんだ。俺が今から行ったところでどうにもならないだろ」と言い放ちました。葬儀の準備はすべて私に任せる、わからなければネットで調べろと続け、電話を切ったのです。

 

義母が亡くなったその日、夫が病院へ来ることはありませんでした。私は一人で葬儀社への連絡から手続きの一切を進めたのです。

 

もし私が夫より先に死んだら、私も同じような扱いを受けるのでしょうか……。そう考えると、居ても立ってもいられなくなりました。

 

私はすぐに役所の窓口に足を運びました。以前夫が署名して私に渡した離婚届に、私の署名と証人のサインを揃え、窓口の担当者に手渡したのです。受理の印を確認したとき、長い間胸の中に澱んでいたものが、すっとほどけていく感覚がありました。

 

葬儀に妻不在

数日後、義母の葬儀当日に夫から「なんで来ていないんだ!」と怒号のようなメッセージが届きました。私はただ一言、「欠席します。私はもう独身ですから」とだけ返信。

 

慌ててかかってきた電話越しに、私は冷ややかに告げました。「あなたが用意して『いつでも出していい』と言っていた離婚届を、提出しただけです」

 

離婚届を出した後も、私は最後の奉公のつもりで葬儀の手配を淡々と進めていました。その傍らで自分の荷物をまとめていましたが、夫は相変わらず私に無関心。私が離婚届を出し、家を出る準備をしていたことなど、彼にとっては寝耳に水だったのでしょう。

 

葬儀の進捗すら気にも留めず、こちらが必要な情報を尋ねても返事すら寄越さない夫……。私から離婚を告げる機会もありませんでした。

 

電話を切る直前、彼は「脅しのつもりだった、考え直せ」と喚いていましたが、今さら応じるはずもありません。法的な手続きを覆す気力さえ、今の彼には残っていないはずです。

 

結局、私が途中まで引き受けていた義母に関する諸々の手続きは、すべて夫が一人で背負うことになりました。私に丸投げしていたツケが回り、相当な苦労を強いられたようです。

再婚の申し出

離婚から10カ月が経ったころ、元夫から連絡が届きました。「色々と水に流してやるから、戻ってきてもいいぞ」という上から目線の言葉から始まるメッセージです。

 

その後かかってきた電話で話を聞くと、家のことをすべて自分でやることに疲れ果てている様子が手に取るようにわかります。また、これまで私にぶつけていたストレスの吐け口がなくなり、精神的にも相当溜め込んでいるようでした。

 

もちろん元夫とやり直す気はさらさらありません。持病の調子も良く、医師からも「ストレスから解放されたおかげでしょう」と言われています。

 

電話口の元夫に「あなたの存在そのものが最大のストレスだったの」と告げて通話を切りました。今は静かで穏やかな毎日を送っています。

 

◇ ◇ ◇

 

「いつでも捨てられる」という脅しが、相手にとって「いつでも逃げられる」という救いに変わりました。夫婦は支配し合う関係ではなく尊重し合うもの。相手を追い詰める行為は、いつか必ず自分に返ってくると改めて感じさせるエピソードでしたね。

 

 

【取材時期:2026年3月】
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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