「給料を上げないなら、他の店で使います」
営業後の厨房で片付けをしていると、若手料理人のC山が突然こう言ってきました。
「料理長のあの人気メニュー、レシピもらえません?」
C山は、複数の飲食店を掛け持ちしながら働いている若手料理人です。「効率よく成功したい」という考えが強いタイプで手を抜くことが多く、普段からこちらがフォローしなければならない状況が多くありました。C山の口調は軽いものでしたが、どこか嫌な予感がしました。私が黙っていると、C山はこう続けます。
「レシピがもらえないなら、給料アップで!」
C山は冗談めかして笑っていましたが、その場の空気は一気に冷えました。副料理長は「軽々しくそんなことを言うな」と顔をしかめます。
私は少し考えた後「じゃあ好きにしていいぞ。ただし、レシピ通り作っても同じ味にはならないよ」と答えました。その答えに、副料理長やその場にいたスタッフは「え!?」「ダメですよ、そんなこと……」と驚いた様子。しかし私には、たとえレシピが流出しても、きっとC山の思惑通りにはならないだろうという確信があったのです。
「レシピ通り」なのに失敗した理由
数日後。C山が、別の飲食店で私のレシピを使って料理を再現しようとしているらしい――そんな話が耳に入りました。
ところが結果は散々だったようです。
「味がまとまっていない」
「また食べたいとは思えない」
そんな感想が相次ぎ、店内はかなり気まずい空気になったのだとか。私が思った通り、たとえレシピがあってもC山の技術では味を再現できなかったようです。
後日、出勤してきたC山は不満げに「レシピ通り作ったんですよ? なのに評判が悪くて……」と言いました。
私は静かに「料理は、分量だけじゃ決まらない。食材の状態、火加減、湿度、その日の厨房の温度まで全部変わる。レシピは料理の入口でしかないんだ」と答えました。するとC山は、「そんなの聞いてないです」と納得できない様子。
私はため息をつきました。彼は「料理を学ぶ」より、「近道で成功する方法」ばかり探していたのです。
本当に成長する人の共通点
そんな中、お客さまとして来店した女性が帰り際に突然「私を弟子にしてください」と頭を下げてきました。
驚く私に、彼女は真剣な表情で「長年料亭で働いてきましたが、レシピ通りに作っても、食べてみるとしっくりこないことが増えてしまって……。私はまだちゃんと料理のことを理解できていない気がするんです」と続けます。
その日から、彼女は本当に毎日のようにうちの厨房へ通うようになりました。仕込みの意味、包丁の入れ方、火入れによる変化。彼女はどんな小さなことでもメモを取り、わからないことは必ず質問します。私はその真剣な姿勢と、何より「教えてもらうこと」を当たり前だと思わない彼女の考え方に心を動かされました。
ある日、私は彼女に「料理は、何を入れるかだけでなく、どう作るかが大事なんだ」と言いました。彼女は、何度もうなずきながら真剣にメモを取っていました。
積み重ねた先に見えたもの
それからしばらくして、彼女が作った料理を味見した私は、思わず箸を止めました。
「……おいしい」
技術だけではありません。素材への向き合い方や、食べる相手を思う気持ちまで伝わってくるような味でした。
「料理長にそう言っていただけるなんて、うれしいです」
彼女は、少し照れたように笑います。ふと視線を落とすと、開かれた研究ノートが目に入りました。そこには、仕込みの温度や火入れの時間、食材ごとの違いなど、細かなメモがびっしり書き込まれていました。私は思わず感心してしまいました。
まとめ
料理の世界では、「レシピさえあれば同じものが作れる」と思われることがあります。けれど実際は、食材の状態を見極めることも、火加減を調整することも、食べる相手を思い浮かべながら手を動かすことも、全部が味につながっています。だからこそ私は、技術と同じくらい「学び続ける姿勢」が大切なのだと思っています。
近道ばかり求めていたC山にも、いつか料理と向き合うことの意味が伝わればいい。そして私自身も、料理人としてまだまだ学び続けていきたい――。そう改めて感じた出来事でした。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
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