商談中の着信で叱責されて
その日、私はクライアントであるA子さんと打ち合わせをしていました。すると、会社から支給されているスマホに、別案件でやりとりしている取引先から着信が入りました。
その案件は当日中に確認が必要な内容があり、直前まで先方とやりとりをしていたものです。急ぎの連絡かもしれないと思った私は、A子さんに「申し訳ありません。別件の取引先から連絡が入っておりまして、一度だけ確認してもよろしいでしょうか」と断りを入れました。
A子さんは「打ち合わせもほぼ終わっていますし、大丈夫ですよ」とうなずいてくれたため、私は会議室の外で短く通話を済ませました。
ところが通話を終えた直後、通りかかったB田部長に呼び止められました。
「あなた、まだ商談中よね? 商談中のスマホ使用は禁止のはずよ。会社のルールには従いなさい」
私は、「はい。ですが……先方にはお断りしましたし、取引先からの急ぎの連絡かもしれないと思って確認しました」と説明しました。するとその声が聞こえたのか、会議室から出てきたA子さんも、「私も了承していますので大丈夫ですよ」と穏やかにフォローしてくれました。
B田部長はA子さんの前では「うちの担当者が失礼しました」とだけ言いましたが、A子さんが帰った後、私には改めてきつい口調でこう言いました。
「ルールはルールよ。現場判断で勝手なことをされると困るの」
私は表面上は「わかりました」と答えました。けれど内心では、A子さんにも了承を得て、短時間で済ませた対応まで頭ごなしに叱られたことに、納得できない思いが残りました。
上司からの電話に出なかった結果
数日後、私は再びA子さんと商談をしていました。今回は、A子さんの会社へ出向いての打ち合わせでした。
すると今度は、B田部長から社内スマホに着信が入りました。けれど前回、私は商談中に電話へ出たことで強く注意されたばかり。「商談中のスマホ対応は禁止」「会社のルールに従いなさい」と言われた言葉が頭に残っていました。私は商談を優先し、電話には出ませんでした。
打ち合わせ後、すぐに折り返すと、B田部長は開口一番、強い口調で言いました。
「どうしてすぐ電話に出ないのよ!」
私は驚きながらも、「申し訳ありません。商談中でしたので、終わってから折り返しました」と答えました。するとB田部長は、当然のように言い返してきたのです。
「急ぎで確認したいことがあったのよ。すぐに出てもらわないと困るわ!」
私は言葉に詰まりました。つい数日前には、商談中に電話へ出たことを「ルール違反」と叱られたばかりです。それなのに今度は、電話に出なかったことを責められているのです。
「前回、商談中のスマホ対応は禁止だとご指摘いただいたので、今回は商談を優先しました。急ぎであれば、社内にいる別の担当者に先に確認を進めてもらうこともできたのでは……」
そう伝えると、B田部長はさらに声を強め「あなたが担当責任者でしょう? 必要な確認は責任者がするのがルールよ!」と言いました。その言葉を聞いて、私はさらに脱力しました。
こちらが判断すると「勝手なことをするな」と叱られ、言われた通りにすると「なぜ状況を見て判断しないのか」と責められる。結局、どちらを選んでも怒られるのだと感じたのです。
私は「申し訳ありませんでした」と謝罪しましたが、電話を切った後もしばらくスマホを握ったまま動けませんでした。ルールを守ることが大切なのは、もちろんわかります。けれど、そのルールが上司の都合で後から形を変えるなら、現場の人間はどう動けばいいのでしょうか。
このときから、私はこの職場で働き続けることに、はっきりとした不安を覚えるようになりました。
面談で退職を決意
その後、私はB田部長の上司にあたるC川本部長との面談に呼ばれました。面談の場にはB田部長も同席していました。
「君は、急ぎの確認を後回しにしたそうだね」
C川本部長からそう尋ねられ、私はこれまでの経緯を説明しました。
「前回、商談中に電話へ出たことで、B田部長から強く注意を受けました。そのため今回は商談を優先し、終了後すぐに折り返しました。確認そのものは必要だと思いますが、急ぎであれば、社内にいる別の担当者に先に確認を進めてもらうこともできたのでは、とお伝えしただけです」
しかしB田部長は、「それでも責任者本人が確認するのがルールです」と繰り返すばかりでした。
私はC川本部長が事情を整理してくれるのではないかと、少しだけ期待していました。けれどC川本部長は、私の説明を聞いた後も深く確認することはなく、「事情はわかったけれど、ルールは守ってもらわないと困るね」と言うだけでした。
その瞬間、私はもう、この職場で状況が変わることはないのだと感じました。ルールを守ること自体が嫌なのではありません。けれど、現場の事情を聞かず、責任を部下に押し付けるような環境に限界を感じたのです。
面談後、私は人事に相談し、正式に退職の意思を伝えました。すぐに辞めるのではなく、就業規則に沿って退職日を決め、担当していた案件の引き継ぎもおこなうことにしました。
実はその少し前から、A子さんの会社から「経験を生かして一緒に働きませんか」と声をかけてもらっていました。その後、前職の社内規定や守秘義務に触れないことを確認し、正式な選考を経て転職することにしたのです。
転職先で知った、ルールの本来の役割
退職後、私はA子さんの会社に転職しました。そこでは、承認フローや確認ルールはきちんとありましたが、緊急時には誰が判断するのか、どこまで現場で進めてよいのかが明確に決められていました。
以前の職場では、「ルールだから」と言われるたびに思考が止まってしまうような感覚がありました。しかし新しい職場では、ルールは人を縛るためではなく、仕事を安全に進めるためにあるのだと実感したのです。
その後、前職の会社も関わるイベントで、今度は取引先側の担当者としてB田部長と顔を合わせる機会がありました。天候の影響で一部の機材にトラブルが起き、現場が少し慌ただしくなったそのときです。
B田部長は、周囲のスタッフと相談しながら、必要な確認を短時間で済ませ、現場判断で代替案を進めているように見えました。少なくとも以前のように、確認手順だけを理由に現場を止めるような様子ではありませんでした。
後から聞いたところ、私が退職した後、前職では同じような不満を抱えていた社員の声も上がったそうです。その声を受けて、承認フローや緊急時の連絡体制を見直す動きが出たとのことでした。
正直、少し驚きました。けれど、あのとき私が黙って我慢し続けるのではなく、自分の限界を認めて動いたことは、無駄ではなかったのかもしれません。
まとめ
今回のことで、ルールは人を縛るためだけではなく、現場を支えるためにあるのだと感じました。
もちろん、確認や承認をおろそかにしていいわけではありません。ただ、状況に応じてどう動くかを考えず、「ルールだから」と押し付けるだけでは、かえって仕事が止まってしまうこともあります。
私は転職を通して、自分が安心して意見を言える環境の大切さを知りました。無理に我慢し続けるのではなく、働く場所を変えることで見える景色もあるのだと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
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