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親友の妹「お姉ちゃん死んだし後妻は私♡」残された夫を欲しがり暴走→プッ♪親友の夫が反撃!妹の悲惨な結末

大切な人が最期に遺した言葉や願いは、残された人の心に深く刻まれるものです。簡単に受け止められるものではなくても、その想いに背中を押され、前へ進むきっかけになることもあります。

誰かを守ってほしいという願い、大切な人には幸せでいてほしいという想い――。亡き人が遺したものは、形のある財産だけではありません。

今回は、大切な人から託された想いを受け取り、自分なりの答えを見つけていった女性たちのエピソードをご紹介します。

 

親友の死、残された家族を巡り暴走→親友の夫が反撃!哀れな結末

まとめ

 

私は大切な親友を病気で亡くしました。入院中、親友は私の手を握り静かにこう言いました。

 

「遺言ね……この子をお願い」

 

残されるのは、まだ幼い息子と、親友の夫。その言葉の重さに、私は何も言えなくなりました。「私がいなくても、この子が笑っていられるようにしてあげてほしい」という親友の願いに、私は涙をこらえながら、うなずきました。

 

――それが、親友との最後の約束でした。

 

 

「僕の2人目のママ!」親友の息子から嬉しいひと言

親友が亡くなってから、親友の遺言を守りたいと必死で家のことや子どもの世話を手伝うようになりました。最初のころ、その子はほとんど笑いませんでした。小さな体で必死に悲しみをこらえているのが伝わってきて、胸が苦しくなりました。

 

それでも私は、できることを続けました。好きなごはんを作り、一緒に絵本を読み、話を聞いたり、一緒にいる時間を増やしていきました。すると少しずつ、笑うようになっていったのです。そんなある日―― 「見て! 今日、幼稚園でママの絵を描いたの!」と言いながら、1枚の紙を差し出してきました。そこに描かれていたのは、私の顔でした。驚いていると、その子は当たり前のように「お空のママの絵もあるよ! これは僕の2人目のママ!」と笑顔で言うのです。私はうれしいはずなのに、簡単に受け止めてはいけない気もして、何も言えませんでした。――そのとき「あんた、また来てたの?」と声が聞こえました。玄関に立っていたのは、親友の妹でした。最近、この家に頻繁に出入りするようになり、私を見るたびに露骨に嫌な顔をするのです。さらにその子が私の後ろから顔を出し、「ママぁ」と言った瞬間 「は!? ママ!? 何言ってるの! この人がママなわけないでしょ!」と鋭い声に、その子はびくっとして私の服をつかみました。

 

それでも親友の妹は「ていうか、私の方がいいでしょ? ほら! お姉ちゃんと顔も似ているし! いいでしょ? 彼、イケメンだし真面目だし……私、彼がほしいの♡」と言い放ったのです。その言葉に、背筋がぞっとしました。親友のことも、この子の気持ちも、何ひとつ考えていないのが分かったからです。

 

妹が崩れた瞬間

数日後の夕方、私は親友の家で夕食の支度をしていました。親友の夫は早めに帰宅していて、リビングでは親友の子と過ごしていました。そんな穏やかな時間を壊すように、突然インターホンが鳴ったのです。玄関を開けると、そこにいたのは親友の妹でした。

 

しかも私の顔を見るなり「あんた、最低ね!」と怒鳴り、そのまま中へ入ってきたのです。 そしてスマホを突きつけてきたのです。画面に映っていたのは、私の顔写真を雑につなぎ合わせた合成画像……。知らない男性と親しげにしているように見せかけたものでした。すると親友の妹はニヤリと笑い「この女、男がいるのよ! こんな人をこの家に出入りさせるなんてありえないでしょ! この子が混乱しちゃうじゃない!」と言い放ったのです。

 

私が「違うよ、私じゃない――」 そう言いかけたとき、親友の夫がスマホの画面を見たまま「……これ、君じゃないよね」と呟いたのです。親友の妹が「は? 何言ってるの? 顔、そっくりじゃない!」と続けました。しかし、彼は目を離さず「確かに似てる。この日の日時見せて? 」と言い画像の確認をしていました。すると親友の夫は「この日のこの時間、彼女はここにいたよ」と告げるのでした。その一言で、親友の妹は一瞬言葉を失い、次の瞬間、取り繕うように「だ、だから何よ! 細かいことなんてどうでもいいでしょ! この人を追い出せればよかったのよ!」 と自爆! そして「だってイケメンの旦那がほしかったの!お姉ちゃんが死んだんだからいいでしょ!」と叫ぶのでした。

 

その場が、しんと静まり返りました。親友の死さえ、この人にとっては“チャンス”でしかなかった。その事実に、私は言葉を失いました。 その後、妹は本音が明らかとなり、家を追い出されることになりました。

 

 

もう一つのお願い

数日後、いつもの穏やかな時間を取り戻したとき、親友の夫がぽつりと言いました。

 

「あの……息子の新しいママになってくれない?」

 

突然の言葉に、私は首を振り「ダメだよ……親友に申し訳ない」と呟きました。そのとき、親友の夫が一通の手紙を差し出しました。震える手で封を開くと、そこには親友の想いが綴られていました。

 

――この子をお願い ――

――もし2人が望むなら、夫婦になってほしい ――

 

親友が最後に願ったのは、私と家族の幸せでした。 私は親友の思いを受け取ることにしました。その後、私たちは少しずつ家族になりました。すぐにすべてが変わったわけではありません。それでも、私たちは支え合いながら親友の思いを胸に前に進んでいます。

 

◇ ◇ ◇

 

大切な人を失っても、その人が残してくれた気持ちは消えません。だからこそ、その想いを受け取った私たちが前を向いて生きていくことが、何よりの答えなのかもしれません。

 

※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

 

 

1つ目のエピソードでは、病気で亡くなった親友から「この子をお願い」と託された女性が登場します。親友の息子に寄り添いながら、亡き親友との約束を守ろうと過ごす日々。しかし、親友の妹の身勝手な行動によって、その穏やかな時間が大きく揺さぶられることになったのでした。

 

続く2つ目のエピソードでは、闘病の末に夫を亡くした女性が登場します。夫との思い出が詰まった家をめぐり、義母から心ない言葉を向けられますが、夫は生前、妻に大切な願いを託していました。夫が遺した想いを受け取った女性が選んだ道とは……。

 

 

夫「僕が死んだら、母さんを見捨ててくれ」涙の遺言→葬儀後…

まとめ

 

夫との生活が大きく変わったのは、ふたりで選んだ中古の一軒家への引っ越しを進めていたころのことでした。田舎の古い物件でしたが、相場より安く手に入ったその家を、私たちは自分たちの手でリノベーションしながら大切に仕上げていきました。

 

広い庭と、木の温もりが伝わる廊下。手を加えるたびに、家への愛着は深まっていくばかりでした。

 

ところが、引っ越しまで1カ月を切ったとき、夫の病気が発覚したのです。到底受け止めきれない診断結果に激しく動揺しながらも、夫は懸命に治療に向き合おうとしていました。

 

「二人でなら、きっと乗り越えられる」と、私は夫を信じ、共にこの闘病生活を戦い抜こうと心に決めていたのです。

 

そんな折、義母から突然電話がありました。「一軒家を買ったと聞いたわ」「広くていいわね」という世間話のように始まった会話は、やがて思いがけない言葉で締めくくられました。

 

「私たち、あなたたちと一緒に住むことにしたから。来月からよろしくね」

 

夫の闘病が始まったばかりで、私も仕事と看病を両立しながら精いっぱいの状態でした。同居はとても考えられないと伝えたものの、義母は「看病を手伝える」「あなたも楽になれる」と聞き入れません。

 

戸惑いながらも、義母の強引さに押し切られるかたちで、同居が始まってしまいました。

義母との同居

最初のうちは、義母の言葉を信じようとしていました。でも、違和感は少しずつ積もっていったのです。

 

約束していたはずの看病や家事の手伝いはほとんどせず、義母は日中パチンコに出かけ、3日前に渡したばかりの生活費を「もうなくなった」と言っては数万円を要求してくるようになりました。

 

さらに追い打ちをかけたのは、副作用で体調が最も悪い時期にある夫に、当たり前のように送迎を頼むようになったことです。「雨だから」という理由で、義母は体調の優れない夫を運転手代わりに使っていたのでした。

 

「今のうちに親孝行してね」という言葉を耳にしたときは、怒りよりも悲しみが先に来ました。完治に向けて治療を頑張っていた夫に向けた言葉として、あまりに無神経です。

夫が他界

夫が亡くなったのは、同居から1年が経ったころでした。葬儀には多くの人が集まり、その参列者の多さに改めて夫の人柄を誇りに思いました。

 

しかし悲しみに浸る間もなく、義母から信じがたい言葉が飛び出したのは葬儀の翌日のことです。

 

「息子もいないんだし、あなたはもう他人よ」そして、この家は息子の形見だから自分が貰う、あなたには出て行ってほしい、と続きました。

 

この1年、義母の分の生活費を稼いできたのは私です。夫との時間も、何度邪魔されたことでしょう……。

 

今すぐ感情を爆発させたかったけれど、私は奇妙なほど冷静でいられました。この日のことは、夫が生きているうちからある程度覚悟していたことだったからです。

 

夫が遺した本音

「この家は私と夫のものです。夫が『すべての遺産を妻に譲る』と遺言を遺してくれています。お義母さんの手元に入るのは遺留分だけですよ?」そう告げると、義母は初めて言葉に詰まりました。

 

このとき私は、家を手放すことを決めていました。そして、立ち退きの日を義母に伝えたのでした。

 

実は夫が亡くなる前、私に本音を打ち明けていました。同居をきっぱり断れなかったことへの謝罪と、自分の亡き後は義母のことを見捨ててくれという願いを、涙ながらに何度も繰り返したのです。

 

夫は自分の親を毒親と呼び、長年にわたって搾取されてきたことを自覚していました。奨学金をギャンブルに使われ、アルバイト代まで借金返済に充てられながら、それでも文句ひとつ言わずに生きてきた人でした。

 

それでも同居を受け入れたのは、もしかしたら母親が変わってくれるかもしれないという最後の希望があったからだと、今ならわかります。その希望は打ち砕かれ、夫は病床でも義母の身勝手な振る舞いに傷つき続けていたのです。

 

夫が大切にしていた思い出

私は荷物をまとめて出ていく準備をしている義母に、ある缶を渡しました。夫が大切にしていた宝物でしたが、これは義母が持っておくべきだと思ったのです。

 

怪訝な表情で缶の蓋を開けた義母の動きが止まりました。中にあったのは、折り紙で作られた小さな金メダル。それは運動会の日、風邪をひいて参加できなかった夫に、義母が手作りして渡したものでした。

 

30年以上前の、まだ義母がやさしかったころの思い出を、夫は生前よく私に話してくれていました。病気になれば一晩中傍についていたこと、弁当を持ってピクニックに出かけたこと、動物園に連れて行ってもらったこと——そのころの義母にはたしかにあたたかな愛情があったのだと、夫は信じていたのです。

 

「何度裏切られても、夫にとっては大切なお母さんだったのですね」

 

私がそう伝えると、義母は金メダルを見つめたまま、言葉を失っていました。やがてその缶を両手で大事そうに抱え、力なく自室へと戻っていったのでした。

義母との再会

引っ越し以来、義母とは連絡を取っていません。しかし夫が亡くなって2年が経ったころ、お墓参りに訪れると義母の姿がありました。目が合うと、義母は深々と頭を下げ、無言で立ち去ったのです。

 

あの折り紙の金メダルを、今もそばに置いているのかどうかはわかりません。

 

夫を亡くした悲しみはまだ完全に癒えていませんが、最後まで希望を捨てずに闘病した夫は私の誇りです。これからも夫との思い出を胸に生きていくつもりです。

 

◇ ◇ ◇

 

大切に保管していた「折り紙の金メダル」は、かつて存在したたしかな親子の愛情の証。それを義母に託すことで自らの過ちを悟らせる、唯一無二の弔いになったのではないでしょうか。


たとえ道が分かたれたとしても、最後に残るのは「憎しみ」ではなく、かつて愛した記憶であってほしい――。 墓前で頭を下げた義母の姿に、夫の最後の願いが届いたことを願わずにはいられませんね。

 

 

※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

 

 

いかがでしたか?

 

今回は、大切な人から託された想いを受け取り、自分なりの答えを見つけていった女性たちのエピソードをご紹介しました。

 

亡くなった大切な人の願いを受け取ることは、決して簡単なことではありません。迷いや葛藤を抱えながらも、その人が大切にしていたものを守ろうと向き合う中で、少しずつ新しい関係や生き方が形になっていくのでしょう。

 

亡き人の想いを大切にしながら、残された人がこれからをどう生きていくのか。深い悲しみの中にも、静かな希望を感じるエピソードでした。

 

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ライターベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班

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