義母「陣痛?我慢して来なさい!」→臨月で強制参加させられた結果

夫と結婚して2年。結婚生活は穏やかで、夫はいつも私を気遣ってくれました。
なかなか子どもを授かれない期間が続いていましたが、夫婦で支え合いながら過ごし、ようやく妊娠がわかったときは本当にうれしかったのを覚えています。
夫も目に涙を浮かべながら喜んでくれましたが……私にはひとつ、気がかりなことがありました。
それは夫の実家――私にとっては義実家のこと。義母は娘である義妹をとてもかわいがっており、夫にはあまり関心がない様子でした。
実際、夫の話では子どものころから主に面倒を見てくれていたのは義父だったそうです。
私はその関係性にどこか距離を感じており、妊娠の報告もまずは義父に伝えることに。義父は「おめでとう。無理はするなよ」と穏やかに声をかけてくれて、その言葉に安心したのを覚えています。
一方で、義母と義妹の反応は「結婚からずいぶんと時間がかかったのね」「ふーん、それで?」と冷淡でした。妊娠について深く触れられず、ありがたいといえばありがたかったのですが、どこか距離を感じる反応だったのです。
2人の興味は、義妹の縁談だけ。
「うちの娘が玉の輿に乗るかもしれないのよ!」
そう言って盛り上がっている様子を見て、私は義母と義妹との関係に不安を覚え始めていました。
出産直前の呼び出し
出産予定日が近づいていたある日、夫から義妹の結婚に向けた両家の顔合わせがあると聞きました。相手は会社を経営している家庭とのことで、義母はとても張り切っている様子。
私は臨月に入っており、いつ出産になってもおかしくない状態でした。そのため、夫だけが出席することに。
そして顔合わせ当日、夫を見送ったあと自宅で安静にしていると、おなかの張りと痛みが徐々に強くなっていきました。「もしかして……陣痛?」と思いましたが、まだ痛みの感覚は不規則。おしるしもありませんでした。
産院に連絡すべきか悩んでいたそのとき――義母から電話がかかってきたのです。
「どうして来ていないの!?」
事前に断りを入れていたにもかかわらず、義母は私も顔合わせに出席すると思い込んでいたようでした。改めて状況を説明したのですが、義母は納得してくれません。
「少しくらいなら大丈夫でしょ?」
「向こうの家族も全員そろっているんだから、あなたも来なさい!」
だんだんと義母の語気は強くなり、おなかの痛みもあって、私は冷静な判断ができなくなってしまいました。
「そっちにタクシー手配したから! さっさと来てちょうだい」
「失礼のないように、ちゃんとした格好してきてね」
結局、私は義母の手配したタクシーに乗って、指定された料亭へ。道中は痛みに気を取られ、ほとんど覚えていません。
料亭で起きた予想外の展開
料亭に到着すると、夫は驚いた様子で「なんでここに!?」と声をかけてきました。私は事情を伝えましたが、その時点で痛みはかなり強くなっていました。
「娘の大事な顔合わせなんだからね」
「ちゃんと姿勢を正しなさいよ」
義母と義妹にそう言われ、なんとか背筋を伸ばそうとしたのですが、それももはや無理な状況。義父は「救急車を呼ぼう」と言い出し、夫は私を支えながらおろおろしていました。
そのタイミングで、向こうのご家族が現れたのです。
私の様子にいち早く気づいたのは、義妹の婚約者の母親でした。
「どうしたんですか!」
そう言って駆け寄ってきてくれたのです。私が妊婦であり、出産予定日が間近であることを知ると、義妹の婚約者の母親は真っ青に。
「まだまだ出産まで時間はかかりますから大丈夫ですよ」
「いざとなったらタクシーか何かで産院に向かわせますから!」
焦る様子も見せない義母と義妹を厳しい目線で見据えたあと、義妹の婚約者の母親はてきぱきと指示を出していました。
義妹の婚約者が「僕の車で送ります! 旦那さんも乗ってください!」とすぐに自分の車を回してくれたので、私は夫と婚約者の母親に付き添われながら産院へ向かうことに。道中、婚約者の母親は励ましの言葉をかけ続けてくれました。
あとから聞いた話ですが、その方は医療関係の仕事をしており、危険な状況であることを一瞬で理解していたそうです。
家族の形の変化
産院にたどり着いた私は、そのまま分娩室に運ばれて出産。無事にかわいい女の子を産むことができました。
別のタクシーで駆けつけてくれた義父は、喜びのあまり大号泣。夫と義父と一緒にひとしきり泣いて気持ちを落ち着けたあとに、その後のことを聞きました。
出産間近の私に無理をさせたことについて、相手側からは厳しい指摘があったそう。義妹の縁談は見直されることになりました。
義父は「本当にうちの妻が申し訳なかった」と深々と頭を下げ、私に謝罪してくれました。そして今回のことをきっかけに、これまでの家族関係に区切りをつけ、義母と別居して私たち夫婦の近くで暮らすことを選んだのです。
初めての育児はとても不安でしたが、義父が手伝ってくれることもあり、変わらず穏やかな生活を送ることができています。
◇ ◇ ◇
家族であっても、無理を強いられる関係が続くことは健全とは言えません。あのときの私は冷静な判断ができず、結果的に危険な行動を取ってしまいました。
今になって、「無理なものは無理」とはっきり伝えることの大切さを実感しています。自分自身と大切な人を守るためにも、違和感を覚えたときには無理をしない選択が必要だと感じました。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、出産予定日が近づく中、義妹の両家顔合わせに呼び出されてしまった嫁が登場します。おなかの張りと痛みが強まっていたにもかかわらず、義母は「少しくらいなら大丈夫」と強引に出席を求めます。しかし顔合わせの場で嫁の異変に気づいた相手側の家族が動いたことで、義母たちの非常識さが明るみに出ることになったのでした。
続く2つ目のエピソードでは、夫の出張中に義母と二人きりで暮らすことになった臨月の嫁が登場します。「安産のため」という言葉を信じ、家事や遠方への買い物をこなしていた嫁。しかし義母の要求は次第に度を越え、外出先で倒れて救急搬送される事態に。やがて、義母が困らせる目的で無理を強いていたことも明らかになっていきます。
「妊婦のくせに太りすぎよ」臨月の私を2時間歩かせる義母→倒れて緊急搬送…その後

私は現在、第一子を出産し、夫と娘との穏やかな暮らしを送っています。しかしほんの数カ月前まで、同居する義母との関係に深く悩んでいました。
夫の長期出張が急に決まったのは、私が妊娠後期に入ったころのことでした。出産予定日までには戻ると聞いていたものの、義母との二人暮らしが始まることへの不安は拭えません。
義母とは夫婦で住んでいた家に義母が押しかける形で同居が始まった経緯があり、もともと距離感に悩んでいました。夫がいる間は穏やかに接してくれていた義母でしたが、二人きりになった途端、態度が変わり始めたのです。
最初は「出産には体力が必要だから、もう少し動いたほうがいい」という助言のような形でした。廊下の雑巾がけを頼まれたときも、最初は家事の延長だと思い、素直に従っていたのです。
義母は「骨盤にもいいし、安産にはこれが一番。私はもっと動いていたわよ」と自信満々に語り、初めての出産で不安だった私は「経験者が言うなら……」と信じ込んでいました。
けれど、日を追うごとに義母の言葉は鋭さを増していきます。私の体型を揶揄するような言い方が増え、妊婦として当然のおなかの大きさを、まるで怠惰の証拠であるかのように指摘されるようになったのです。
夫に恥ずかしい思いをさせている、今どきこんな妊婦はいない——そんな言葉を繰り返され、次第に自分が悪いのだと思い込むようになっていました。
臨月の妊婦に課した運動
義母の要求は、明らかに度を越えたものになりました。ある日、隣町のスーパーまで買い物に行くよう言われたのです。
徒歩で片道およそ1時間、往復すれば2時間近くかかる距離です。臨月に差しかかった私が「今の体調では厳しい」と伝えると「そんな甘えた根性で母親が務まると思っているの?」と、冷ややかな声を上げました。
しかも頼まれるのは、大根やかぼちゃ、醤油や米など、重いものばかり……。しかし出産を軽くするための運動だと言われたら、私は従うしかありませんでした。
時に体調がすぐれず断ろうとしても、母親としての覚悟が足りない、こんなでは子育てなどできないと責められるばかり……。私は少しずつ追い詰められていきました。
それでも波風を立てたくない、義母との関係を壊したくないという気持ちが勝り、我慢を続けてしまったのです。
取り返しのつかない事態
ある日、いつものように遠方のスーパーへ向かった私は、途中で体調を崩し、倒れてしまいました。気が付いたときには病院のベッドの上。おなかの子は無事だと聞いた瞬間、安堵と同時に、自分が取り返しのつかない危険を冒していたことへの恐怖が込み上げてきました。
連絡を受けて駆けつけてくれたのは、実家の母。意識がもうろうとする中、私は駆けつけた母にスマホを託し、義母とのやり取りを見てほしいと伝えました。母は画面に残る執拗なメッセージの数々に言葉を失っていました。
ちょうどそのとき、義母から「おデブちゃん、もう夕方になるわよ?」「一体、何時間いスーパーに行っているの?」というメッセージが届きます。母はそのまま義母に返信を始めました。
「母です。娘は途中で倒れ、救急搬送されました」「娘は二度と戻りませんよ」
母からの返信に対し、義母は慌てて電話をかけてきました。言い訳を並べながら病院へ向かうと言い張りますが、母はそれを一蹴します。
「娘とおなかの子の命を軽んじる方に来ていただく必要はありません。これ以上、母子の安静を邪魔しないでください」その毅然とした拒絶に、義母は電話を切るしかありませんでした。
母はその後、病室に駆けつけた義母に対し、LINEの履歴という動かぬ証拠を突きつけました。臨月の妊婦に往復2時間の徒歩を強いていたこと、体調不良を訴えても聞き入れなかったこと、体型への侮辱的な発言を繰り返していたことを一つひとつ厳しく追及したのです。
義母は「同意の上だった」「昔はこうだった」と弁解を試みましたが、母は冷静に退けました。
義母の本音
その後、出張先から慌てて戻った夫も事情を知り、義母を厳しく叱責したようです。義母からは何度も謝罪のメッセージが届きましたが、私はすぐには返事をしませんでした。
1週間ほど経ち、体調が落ち着いたころ、私は義母と向き合うことにしました。義母は「反省している」「悪気はなかった」「思ったことが口に出てしまうだけ」と繰り返し、夫や母に「同居はうまくいっていた」と伝えてほしいと頼みます。
義母の言葉を聞き、私はある確信を抱きました。義母には、自分のおこないに対する本当の自覚がありません。夫の前ではやさしく、二人きりのときだけ豹変する……それは無意識ではなく、悪意ある使い分けだったのです。
私がその事実を突きつけると、義母はようやく口を閉ざしました。
「ほんの少しだけ……困らせてやろうと思ったことはあるの。でも倒れさせようなんて思っていなかった」
なんと、義母には嫌がらせという自覚があったのです。それがわかった以上、もう迷う必要はありませんでした。
「嫌がらせだとわかっていてやっていたのですね。今の言葉で、決心がつきました。もうあなたを家族だとは思えません。同居は解消させていただきます」
義母は取り乱し、「普段はやさしかったでしょう」「これからは良い姑でいる」と訴えましたが、私の気持ちは変わりませんでした。母親になろうとしている今、大切な子どもを守るために、もうこの人の言いなりにはならないと決めたのです。
その後
同居を解消した後、私は実家へ戻り、無事に女の子を出産。義母は夫からも実母からも見放され、最終的に近くのアパートで一人暮らしを始めたと聞いています。
里帰りを終えた現在、夫が用意してくれた新居で、家族三人の穏やかな生活を送っています。倒れたときにすぐ駆けつけてくれた母と夫、そして出産を祝ってくれた周囲の人たちへの感謝は、日々深まるばかりです。
◇ ◇ ◇
「安産のため」という言葉を盾に、妊婦さんの限界を超えた負担を強いることは決してあってはならないことです。
臨月は特に、これから出産を迎えるママが、不安なくリラックスして過ごせるよう家族全員で気を配りたいですね。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、臨月の嫁に無理を強いた義母たちにまつわるエピソードをご紹介しました。
出産を間近に控えた時期は、妊婦さん自身の体調はもちろん、おなかの赤ちゃんを守るためにも、無理をしないことが何より大切です。それにもかかわらず、自分たちの都合を押し通したり、相手を困らせる目的で負担を強いたりすれば、心身ともに大きな負担になってしまいます。
家族だからといって、相手の不安や体調を軽んじていい理由にはなりません。大切な命を守るためにも、無理な要求にはきちんと線を引き、周囲も妊婦さんが安心して過ごせる環境を整えることが大切なのだと考えさせられるエピソードでした。