夢を後回しにして助けた実家旅館
父が亡くなってから、母とはあまり連絡を取っていませんでした。母は昔から自分の考えを曲げない人で、旅館の経営について私が意見をしても、「若い人にはわからない」と聞き流すばかり。私も次第に距離を置くようになっていたのです。
一方で、私と妻には、いつか自分たちの宿を持ちたいという夢がありました。私は会社員として働きながら、終業後にはセミナーに参加したり、知り合いに話を聞いたりして、経営や予約管理について学んでいました。妻も、空き時間を見つけては旅館やレストランを訪れ、接客や料理、地域の食材を生かした宿づくりについて学んでいました。
休日には、2人で候補になりそうな土地や古い宿泊施設を見に行くこともありました。その中には、「ここなら自分たちらしい宿が作れるかもしれない」と思える場所もありました。すぐに購入できるわけではありませんでしたが、資金計画を立て、少しずつ準備を進めていたところだったのです。
実家は旅館を営んでいましたが、父の死後、旅館の土地と建物は母が引き継ぎ、母が旅館の運営を担うようになっていました。母とは経営方針が合わず、私たちは実家を継ぐというより、自分たちの力で新しい宿を作るつもりでいました。
そんなある日、母から突然電話がかかってきました。
「久しぶり。実家に戻ってこられない? 旅館が大変なの」
話を聞くと、土日や繁忙期でも予約が埋まらず、資金繰りもかなり厳しい状態になっているとのことでした。
母は、こう続けました。
「あなたたち、宿をやりたいって言っていたでしょう?」
「まずは1年だけでもいいから力を貸してほしい。あなたたちなら、この旅館をもう一度立て直せると思うの」
自分たちの開業準備を止めることには迷いがありました。それでも、父が大切にしていた旅館をこのまま見捨てることはできませんでした。
妻とも何度も話し合い、私たちは実家の旅館の経営改善に関わることにしたのです。私は勤めていた会社を退職し、妻も当時の仕事を調整して、実家近くへ移ることにしました。
母とは、1年間を目安とする経営支援の契約を交わし、業務内容や報酬、私たちに任される権限についても書面で確認しました。
夫婦で取り組んだ経営改善
旅館に戻ってみると、想像以上に課題は山積みでした。予約サイトの情報は古いままで、館内の案内もわかりづらく、料理の評判も以前ほど良くありませんでした。従業員たちも疲れ切っていて、現場にはどこか諦めたような空気が漂っていました。
経営が苦しかったこともあり、当初の母は「立て直すためなら、しばらくはあなたたちに任せる」と話していました。
私は予約管理や料金設定、経費の見直しを担当しました。妻は料理や接客面の改善を中心に、現場のスタッフと一緒に動いてくれました。
妻は料理長と相談し、地元の食材を使った新しいメニューを考えました。仕入れ業者さんや庭の手入れをしてくれる職人さんにも丁寧に接し、「この旅館を、もう一度地元に愛される場所にしたい」と話していました。
最初は戸惑っていた従業員たちも、少しずつ協力してくれるようになりました。
「お客さまから料理を褒められました」
「予約サイトの口コミも少しずつ良くなっています」
そんな声が増え、旅館の雰囲気も明るくなっていきました。
すぐに大きな利益が出たわけではありません。それでも契約期間が終わる少し前には、週末の予約が戻り始め、リピーターのお客さまも少しずつ増えていました。旅館そのものが完全に立ち直ったわけではありませんが、現場には少しずつ前向きな空気が戻っていました。私たちは、ようやく再建の入り口に立てたのだと思っていました。
一方で、私たち自身の開業準備は後回しになっていました。以前から新たな旅館の候補地として気になっていた古い宿泊施設も、実家の旅館に集中している間に別の買い手に渡ってしまいました。
正直、悔しさがなかったわけではありません。それでも、父の旅館を守る助けになれたのなら、この遠回りにも意味がある。そう思うようにしていたのです。
持ち直した途端に告げられた言葉
しかし母は、予約が戻るにつれ、再び細かな経営判断に口を出すようになりました。そんなある日、母は信じられないことを口にしたのです。
「もう十分持ち直したし、あなたたちはもう必要ないわ。いつまでも口を出されると、かえってやりづらいのよ」
母が契約を終えたいと考えること自体は理解できました。納得できなかったのは、私たちが費やした時間や、後回しにしてきたことを、まるでなかったことのように扱う言い方でした。
たしかに、私たちには自分たちの宿を持つ夢がありました。けれど母を助けるために、その準備は後回しにしてきたのです。母だけを責めるつもりはありません。実家を優先すると決めたのは私たち自身です。ただ、その選択に対して何の理解も示されなかったことが、つらかったのです。
母は悪びれもせず、こう続けました。
「ここまで予約が戻ったなら、後は私のやり方でやれるわ。あなたたちも、もう自分たちのことをすれば?」
私はそこで、母に期待するのをやめました。
「母さんは、旅館を支えている人たちのことを見ていない。従業員も業者さんも、都合よく動いてくれる相手じゃないんだよ」
そう伝えましたが、母は「大げさね」と笑うだけでした。私たちは残っていた契約期間中に引き継ぎを進め、最終月分の報酬を受け取った上で旅館を離れました。
半年後、母から再び電話が
私たちが離れた後、旅館は少しずつ以前の状態に戻っていきました。その後も連絡を取り合っていた元従業員から、母は現場の意見をあまり聞かず、せっかく始めた改善策も「面倒だから」と元に戻してしまったと聞きました。妻と一緒に料理や接客の改善を進めていた従業員から、不満の声が出るようになったそうです。
もともと旅館は少ない人数で何とか回していました。私たちが離れて半年ほどたったころ、母から再び電話がありました。
「従業員が何人も辞めてしまったの。お願い、戻ってきて手伝って」
私は静かに断りました。
「もう戻らないよ。母さんが変わらない限り、同じことの繰り返しになる」
母は「親を見捨てるの?」と言いました。そして、「長年、自分のやり方で旅館を守ってきたのに、すべて否定されたようで苦しかった」と話しました。胸が痛まなかったわけではありません。けれど、また自分たちの人生を母の都合に振り回されるつもりはありませんでした。
それから数年後、母の旅館は人手不足と資金繰りの悪化など、いくつもの事情が重なり、最終的に営業を終えました。私たちが離れたことだけが原因だったとは思いません。施設の老朽化など、以前から抱えていた経営上の問題も重なっていたようです。
旅館が営業を終えることになった後も、母は「どうして私ばかりこんな目に」とこぼしていました。けれど私は、すべてが突然起きた不運だったとは思えなかったのです。
遠回りの先に見えたもの
一方、私たちは再び自分たちの宿を持つ夢に向き合うことにしました。候補地を逃したことで、計画は見直しになりました。それでも、実家の旅館で得た経験まで無駄にはしたくありませんでした。
私たちは、物件探しや資金計画を1からやり直し、数年かけて小さな宿を開業しました。地元の食材を使い、従業員や取引先とも無理のない関係を築くことを大切にした宿です。
開業後、私たちの宿は少しずつ評判になりました。派手な宣伝をしたわけではありません。ただ、料理、接客、清掃、予約対応など、一つひとつを丁寧に積み重ねた結果、口コミでお客さまが増えていったのです。経営が安定するまでには時間がかかりましたが、少しずつリピーターが増えていきました。
実家の旅館がなくなったことは、今でも残念です。父が大切にしていた場所でもあり、できることなら長く続いてほしかった。私たちも、その思いがあったからこそ、自分たちの準備を後回しにしてまで力を貸しました。けれど、母のやり方を支え続けることが、旅館のためになったとも思えません。
そして、家族だからといって、相手の時間や努力を当然のように扱っていいわけではないのだと思います。人を大切にしない経営は、どこかで行き詰まってしまうのかもしれません。今はそのことを、日々の仕事の中で強く実感しています。
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実家の旅館での経験を通じ、主人公は、家族間であっても相手の時間や努力を当然のものとして扱わないことの大切さを実感したようです。人が関わる仕事では、役割や条件を確認するだけでなく、日々の感謝や信頼を積み重ねる姿勢も欠かせないのかもしれません。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
※AI生成画像を使用しています
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