義父「嫁なら俺に従え!」威張る義父を一瞬で黙らせた義弟嫁の提案とは!?

私は夫と6歳の息子と暮らす、32歳の主婦です。義母が亡くなったことをきっかけに、義実家にひとりで暮らす義父の様子を頻繁に見に行くようになりました。しかし、義父の言動に私はひどく悩まされていたのです……。
定年退職したばかりの義父は、ほとんど1日中家にいる生活をしていました。家事は一切せず、リビングでテレビを見ながらゴロゴロ。そして、私が来ると決まって「メシはまだか?」と言ってきます。ごはんにはまだ早い時間でも、平気で催促してくるのです。
さらに、料理にも必ず文句がつきました。洋食を作れば「こんな脂っこいものは胃もたれする」、和食にすると「俺を年寄り扱いするな!」……何を出しても文句を言われるので、私は次第に料理を作るのが怖くなっていきました。
男尊女卑の義父
義父は昔ながらの考え方が強く、「家のことは女がやるものだ」というタイプでした。私が座って休んでいるのを見かけると、「嫁なんだから働け」「主婦は暇だろ」という言葉を平然と口にします。
夫も義父の態度にはうんざりしていましたが、反論すると長時間怒鳴られることになるため、なかなか強く言えないようでした。結果として、私たちはいつも我慢するしかなかったのです。
さらに困ったことに、義父は外出の際に必ず私を呼びつけました。
「車出してくれ」
買い物や用事があるときの運転手はいつも私。こちらに予定があってもお構いなしでした。
そのころの私は、「この生活がずっと続くのだろうか」と本気で悩んでいました。
義弟夫婦から同居の申し出が…
そんなある日、夫の弟が結婚することになりました。そして新婚にもかかわらず、「今まで兄さんたちに親父の世話を任せきりだったから」と、義実家での義父との同居を申し出てくれたのです。
私は正直、複雑な気持ちでした。義父の性格を知っているからこそ、お嫁さんになる女性が心配だったのです。
そして数カ月後、ついに義弟夫婦が義父と同居を始めました。義妹は小柄で、やさしそうな雰囲気。普段は介護職員として働いているそうです。
「大変なお仕事ですね」と言うと、「いえいえそんな」とはにかみながら答えてくれた義妹。そんな義妹に対して、義父はさっそくこんなことを言い出しました。
「そんな仕事なんか辞めて、これからは俺の世話をすればいい」
相変わらずの横暴さですが、せっかくお嫁さんに来てくれた女性にそんなことを言うなんて……。思わずむっとしてしまった私の横で、義妹はにこやかにこう答えました。
「わかりました。お義父さんの言うこと、ちゃんと聞きますね」
私はその様子を見て、「無理して合わせているのでは」と心配になりました。義父のいないところで「あのお義父さん、なかなかクセの強い人だから……無理しないでくださいね」と伝えたのですが、義妹は笑顔のまま、「大丈夫です」と答えたのでした。
義妹からの静かな反撃
私の心配をよそに、実際に同居が始まってしばらく経つと、状況は少しずつ変わっていきました。
義父が何かを頼んでも、義妹はすぐには動かないのです。
「お義父さんに連れて行けって言われたお店、今日は臨時休業みたいですよ」
「お義父さんに買ってこいって言われたもの、売り切れてました」
そんなふうにやんわり断ったり、話をかわしたりしていたのです。もちろん、言う通りに動かない義妹に、義父のいらだちはどんどん強くなっていきました。その矛先が私たち夫婦に向かうこともありました。
そしてある日、私たち家族もいる前で、ついに義父は義妹を怒鳴りつけたのです。
「嫁なら俺に従え! ここでは俺が一番偉いんだ!」
家の中が一瞬で静まり返りました。その空気を打ち破ったのは、義妹の落ち着いた声でした。
「お義父さん、一度病院で検査を受けてみませんか?」
突然の提案に、虚を突かれた義父。
「お、俺が病気だって言いたいのか!?」
義父はさらに顔を真っ赤にして怒鳴りましたが、義妹は穏やかに続けました。
「怒りっぽくなったり、感情のコントロールが難しくなったりするのは、誰にでも起こりうることです。でも、認知症や脳の病気が関係していることもありますから」
「もし何もなければ安心できますし、一度相談してみるのもいいと思うんです」
介護の仕事をしている彼女の言葉には、説得力がありました。それに、彼女は義父を本当に心配しているようでした。
「私、仕事柄そういう相談を受けることも多いので。良い病院を一緒に探しませんか?」
その言葉を聞いた義父は何も答えず、しばらく黙り込んでいました。
それ以来、義父の態度は少しずつ変わっていきました。以前のように怒鳴ることは減り、義妹や、時々顔を出す私に命令することもほとんどなくなったのです。
どうやら義父は、「また怒ったら、本当に病院に連れて行かれるかもしれない」と気にしているようでした。そのおかげで、義妹も私も義父から解放されたのです。
◇ ◇ ◇
息子の妻だからといって、義理の親に対して何もかも我慢する必要はないのだと思います。家族になったからこそ、お互いを尊重しながら暮らすことが大切です。
義妹のおかげで、私はようやく穏やかな生活を取り戻すことができました。今では一緒に買い物に行くほど、仲の良い義理の姉妹になっています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、結婚後、嫁は自分の世話係だと言わんばかりに傲慢な態度を取る義父に振り回されてきました。食事の支度や外出時の送迎を当然のように求め、何をしても文句ばかりの義父。そんな横暴な態度に悩まされるなか、義弟嫁の存在が状況を変えるきっかけになります。介護職員として働く義弟嫁の冷静な提案に、義父は思わぬ反応を見せるのでした。
続く2つ目のエピソードでは、家族を長年放って自由気ままに暮らしてきた義父が登場します。義母を気遣い、帰宅を促した嫁に対して、義父はよそ者扱いするひどい言葉を返しました。何を言っても戻ろうとしない義父を前に、嫁と義母はついに腹をくくります。やがて嫁から届いたある知らせをきっかけに、義父は数カ月ぶりに帰宅することになるのですが……。
私「お義母さんが亡くなりました」自分勝手な義父が逆ギレ→残酷な現実を暴露した結果

私は数年前に結婚し、夫の実家で義両親と同居生活を送っていました。しかし、同居といっても、義父が家にいたことなどほとんどありません。
義父は若いころ研究者として全国を飛び回っていた影響なのか、退職した今でも「放浪癖」が治りません。一度家を出ると数カ月は帰らず、連絡も一切ないのです。夫曰く、外に愛人もいるようでした。
一方の義母は、おっとりとしていて気が弱い性格でした。「あの人は昔からそうなの」と諦めたように笑うばかりの義母ですが、その裏ではボロボロになった家の修理代を年金から工面し、義父の身勝手な振る舞いに何十年も耐え続けていたのです。
ある日、私は意を決して放浪中の義父に連絡を入れました。「お義母さんが心配しています。そろそろ帰ってきてください」と。しかし、返ってきたのは「よそ者が口を出すな」という罵倒でした。
義父は、自分が家を空けている間に屋根が壊れ、雨漏りがしていることさえ知りませんでした。それどころか、「住まわせてやっているんだから、修理代はお前たちが出せ」と豪語する始末。
私が「いずれ子どもも考えているので、この家を出るつもりです」と伝えると、義父は激怒しました。「母親を捨てるのか」「忍耐力がない」と私を責め立てましたが、義母を放置して好き勝手する義父に言われたくはありません。
義父をこのままにしていて良いものか、私の中でモヤモヤが膨らんでいました。
義母の訃報
1カ月後、私は再び義父に連絡をしました。もちろんこの1カ月、義父は1日も帰ってきていません。
「お義母さんが亡くなりました……。最期にお別れをして、喪主を務めてくれませんか?」この言葉に、それまで余裕ぶっていた義父は豹変しました。
翌日、血相を変えて数カ月ぶりに帰宅した義父は、誰もいない家を見て、私に連絡をしてきました。
私が「用事があって出かけています」と返信すると、義父の怒りは頂点に。「義母の葬儀より自分の用事が優先か! 夫の実家をなんだと思っているんだ! お前のような気の利かない嫁は、今すぐこの家から出ていけ!」と荒々しいメッセージが次々と届きました。
そのメッセージを見たあと、私は義母と一緒に家へ戻り、「言われた通り消えますね。お義父さんと縁を切ることに、お義母さんも賛成していますから」とスマホでメッセージを返信しました。
「何を言ってるんだ、母さんはもういないだろ!」
すかさず義父から怒りの返信が届いたその瞬間、私と義母は並んでリビングの扉を開けました。突然目の前に現れたお義母さんの姿に、義父は幽霊でも見たかのように絶句しています。私はスマホをポケットにしまうと、驚く義父に向かって告げました。
「……死んだなんて嘘ですよ。そうでもしないとお義父さん、一生帰ってこないでしょう? お義母さんはピンピンしています。ふたりで話し合って、こうするしかないと決めたんです」
義母の反撃
顔を真っ赤にして「縁起でもない!」と怒鳴り散らす義父。しかし、彼の怒声はすぐに止まることになります。呆然と立ち尽くす義父の前に、義母がすっと差し出したのは、署名・捺印済みの「離婚届」でした。
気が弱かったはずの義母は、これまでの数十年の恨みをすべてぶつけました。
「あなたまた逃げるでしょ? だから協力してもらったの」「あなたは妻である私を一度も大切にしなかった。だから今、はっきり言わせてもらうわ」
そこからの義母の言葉は、これまでのうっぷんをすべて晴らすような苛烈なものでした。義父を「卑怯者のクズ」と切り捨て、二度と戻ってくるなと言い放つ義母。義父は「一度話し合おう」と泣きつきましたが、もう取り返しはつきません。
家族という安全地帯は、もうどこにも残っていなかったのです。
未練がましい義父
後日、義父から義母のLINEにメッセージが届きました。これまで義母が何度連絡をしても返信してこなかったのに、今になっていわゆる、捨てられた男性が送りがちな「未練がましい連絡」をしてきたのです。
義母の代わりに返信した私に、義父はなりふり構わずすがり付いてきました。「放浪はやめる」「一緒に住まわせてくれ」と、あれほど見下していた嫁にさえ、懇願してきたのです。
「お断りです。お義父さんが『俺の家』と自慢していた実家で、おひとりで暮らしてください。私たちは、お義母さんと一緒に新居で暮らしますから」
雨漏りし、床が抜けそうな古い実家。貯金もなく、家事ひとつできない義父がひとりでそこで生きていくことがどれほど困難か、想像するまでもありません。かつて「嫁は男に従え」と威張っていた男の、あまりにも惨めな瞬間でした。
ひとりになった義父は…
その後、義父母は正式に離婚。義母は私たち夫婦と二世帯住宅で暮らし始めました。何十年もの重荷から解放された義母は、驚くほど表情が明るくなり、今では穏やかな毎日を過ごしています。
一方で、絶縁した義父の噂を耳にしました。ひとりになった義父は生活が立ち行かなくなり、家を手放したそうです。今はかつての余裕もプライドも見る影もなく、行き場を失って途方に暮れているのだとか。
大切な家族と向き合うことを拒み、自分の自由だけを優先し続けた代償は、あまりにも大きなものでした。
◇ ◇ ◇
家族だからといって、甘えてばかりではいられませんよね。一番身近な存在だからこそ、相手が何をしてくれているのか、どんな気持ちでいるのかを「知ろうとする努力」が、何よりも大切なんだと感じます。
「ありがとう」のひと言や、相手の顔を見て話す時間。そんな当たり前の行動を積み重ねることが、本当の意味での「家族」を作っていくのではないでしょうか。
失ってから後悔するのではなく、今隣にいてくれる人を大切にする。今回の出来事を通じて、相手を思いやるというシンプルで一番大事なことを、改めて心に刻みたいと思いました。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、とんでもない義父に振り回された嫁たちのエピソードをご紹介しました。
嫁を自分の世話係のように扱い、家族を顧みず自由気ままに振る舞ったうえ、嫁の思いやりまで蔑ろにする義父たち。自分の都合ばかりを優先し、相手への感謝や思いやりを忘れてしまえば、家族との関係は少しずつ壊れていきます。
嫁だから、家族だからといって、理不尽な言動を受け入れ続ける必要はありません。ひとりで抱え込まず、信頼できる人と力を合わせながら、自分を守るための距離を取ることも大切なのかもしれませんね。