夫「子どもがいる人生は不自由だ」最低な理由で離婚要求…→20年後、元夫が急に現れた目的に絶句!

私は52歳。愛娘と暮らしながら幸せな毎日を送っています。今でこそ、私生活も仕事も順調ですが、娘が生まれてからシングルマザーになるまでは、本当に大変な思いをしました。
20年前、私には夫がいました。低賃金のサラリーマンで、貯金もありませんでしたが、亡き義祖父の家を義母から譲り受けて新婚生活がスタート。1年も経たないうちに妊娠して娘が生まれました。
近所に住む義母との関係は良好で、本当に助けられていたのですが、その義母が腰を痛めたことをきっかけに生活が一変したのです。
夫は育児にノータッチ
夫は「俺があやしても泣き止まないし」と、号泣する娘を横目にゲームをするような人でした。面倒なことに直面すると逃げてしまうところがあり、きっと娘のお世話も面倒に感じていたのだと思います。
しかし、義母が腰を痛めてからは、これまでどおりの育児のサポートは期待できません。私は夫に協力を求めました。ところが、夫から返ってきたのは耳を疑う言葉でした。
「わかった! じゃあ、離婚しよう」
夫はあきれるほど自分勝手な離婚理由を語り始めました。
「子どもがいたら20年以上自由がないってことがわかった! つまらない人生は嫌だ。だから離婚しよう。俺は離婚して自由になりたい」
どうやら、夫の辞書に『父親の責任』という言葉はないようです。こんな父親なら娘にはいらないし、私も一生を添い遂げる気持ちがなくなってしまいました。そのまま翌日には離婚届を提出。親権を持ったのはもちろん私です。
こうして私はシングルマザーに
事情を知った義母は夫と縁を切り、私と娘がそのまま義祖父の遺してくれた家に住めるように手配してくれました。正直、遠方の実家に帰ると仕事が見つかりそうになかったので、とても助かりました。そうして、私・娘・義母の3人は力を合わせて暮らし始めたのでした。
それからあっという間にときが流れ、娘は20歳になりました。私は娘が男性不信になってはいけないと思い、離婚理由を話さずにいたのですが、娘が元夫のような男性につかまらないように、いつかは離婚理由を説明しようと決めていました。
そんなあるとき、突然、元夫が家に現れたのです。
夫が突然現れたワケ
「また家族3人で仲良く暮らそう〜」と調子のいいことを言う元夫。20年が経ち、周りの友人が子どもから初任給のプレゼントをもらったり、孫が生まれたりしているのを見て、うらやましくなったようでした。
娘に離婚理由を打ち明けようと思っていた矢先の来訪。タイミングの悪さにガックリしてしまいました。
「感動の再会」を期待している様子の元夫に対し、娘がどんな反応をするのか、私は怖かったのです。
しかし、娘に目をやると、「私、全部知ってるから」と言い、元夫を冷ややかな目で見つめています。どうやら20歳の誕生日に、「もう大人だから真実を知る権利がある」と判断した義母から、すべてを聞かされていたようです。
変わらない夫
想像していたような涙の再会を果たすことができなかった元夫は、あからさまにがっかりしています。玄関先で必死に「なんだよ! たったひとりのお父さんだぞ? 家に入れてくれよ」とアピールするものの、娘は一歩も引かず「私に父親はいません。不法侵入で通報されたいんですか?」と静かに言い放ちました。
一蹴された元夫は、話し合いすらできない空気を感じ取ると、逆ギレして帰っていきました。面倒なことから逃げてしまう性格は20年経っても変わらないようです。実の母親である義母からも拒絶され、この先、誰からも相手にされず、寂しい老後を過ごすのではないでしょうか。
せっかく自分のもとへ生まれてきてくれたのなら、限られた時間しか体験できない子育てを全力で楽しむ人生もあったはず。自分から幸せな時間を放棄するなんて、元夫はもったいないことをしたと思います。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
家族の大切さに気づけず、孤独な末路を辿った元夫。しかし、身勝手な理由で妻を絶望の淵に追いやる夫はまだほかにも……。
続いてご紹介するのは、自分の希望で妻を専業主婦にさせておきながら、「専業主婦は社会的にゴミ以下」と暴言を吐き続けたモラハラ夫のお話です。30歳の誕生日の朝、突然「離婚届」を突きつけられた妻は、ただ悲しむのではなく”したたかな反撃”に?
「専業主婦はゴミ以下」30歳の誕生日に離婚届を渡した夫→10年後、妻に勘違いLINEをした結果

結婚して5年間、私は専業主婦として家庭を守ってきました。もともとは仕事を続けるつもりでいましたが、夫の強い希望と義父母の意向を受け、悩みに悩んだ末に退職を決めました。
完全に納得していたわけではありませんでしたが、それでも家族のために選んだ道だと自分に言い聞かせ、料理や家事に丁寧に向き合ってきたのです。
最初は穏やかな日々でした。でも、いつのころからか、夫の態度が変わっていきました。ある夜、帰宅した夫が食事をしながら「最近お前の料理に飽きてきた。レシピが違っても、作る人が同じなら変わらない」と言ったのです。
私が「新しいレシピも試しているのに……」と答えると、「専業主婦を5年やって進歩がないなら、もう頭打ちということだ」と返します。料理の評価だけでなく、私という人間ごと否定されているような感覚でした。
それ以来、夫は夕飯が気に入らないと「外で食べてくる」と言って、手をつけずに家を出ていくようになったのです。夫と食卓を囲む時間は減り、会話らしい会話のないまま夜が過ぎる日が続きました。
妻を下にみる夫
私が傷ついたのは、料理の評価だけではありません。夫は「30歳を過ぎたらおばさんだ。女は歳を取るごとに価値が下がっていく」と私に向かって言いました。反論しても「男は年齢とともに魅力が上がる。そこをわかったほうがいい」と、絶対に折れません。
さらには「専業主婦は社会的にゴミ以下だろ」「社会に出ても通用しない」という、あまりに偏った主張まで……。「専業主婦になってほしいと頼んできたのはあなたでしょう」と訴えても、「辞めることを決めたのはお前だ。俺のせいにするな」と跳ね返されました。
どんな言葉を重ねても夫が考えを改めることはなく、この状況を変えなければという気持ちが、私の中で少しずつ固まっていったのです。
誕生日プレゼントの離婚届
それから3カ月が経った朝、目が覚めるとテーブルに離婚届が置かれていました。私の30歳の誕生日の朝のことです。差し出してきた夫は「早く書いてくれないか。まだすがりつく気なの?」と冷たく言いました。
しかし私がうろたえることはありませんでした。ここ2カ月、夫の行動に引っかかりを感じていたからです。残業が続いているはずなのに残業代はつかず、帰宅時間も不規則。その違和感を放置せず、私はある行動を取っていたのです。記録を残し、確認を重ね、証拠を手元に整えていました。
「サインには条件があります。不倫を認めて、慰謝料を払ってください」
夫の顔色が変わりました。「証拠はあるのか」と語気を荒げましたが、「たしかな証拠があるから言っています。あなたが残業だと嘘をついて、若い女性と会っていた日の記録も、写真もすべて揃っています」と返すと、夫はしばらく黙り込みました。
そして、侮辱的な言葉を並べながらも、最終的に「払えばいいんだろ!」と吐き捨て、事実を認めたのです。
夫との離婚
慰謝料の交渉は、専門家に相談しながら進めました。感情に任せて相手を責めることよりも、自分のこれからを整えることのほうが大切だと判断したからです。夫は金額をめぐって抵抗しましたが、証拠の内容を示すたびに反論できなくなっていきました。
離婚が成立したあと、私はすぐに仕事を探し始めました。ブランクは不安材料でしたが、専業主婦として積み重ねた段取り力と、退職前の経験を生かせる場を探し続けたのです。
そして、再就職から数年後、今の夫と出会いました。仕事とプライベートを両立させながら少しずつ信頼を積み重ね、やがて再婚。一方で、仕事では主婦の方々を支援する事業に携わり、経験を積んだ末、離婚から10年後に自分の会社を立ち上げるに至りました。
「お前なんて社会に出ても通用しない」と元夫から言い捨てられたあの言葉は、今も記憶にあります。でも今となっては、その言葉は私を動かした原動力でもあったのです。
妻の快進撃
あるとき、SNSのビジネスメディアに私のインタビュー記事が掲載されました。それを見たのか、元夫から突然SNSを通じてメッセージが届いたのです。
「記事見たよ」
「お前が社長とはな。俺が離婚して自立させてやったおかげだな!」
相変わらずの傲慢な言葉にあきれましたが、目的はすぐにわかりました。続けて「今、ちょっとした事業を考えていて資金が必要なんだ。元夫のよしみで出資してくれないか」と要求してきたのです。私が無視していると、今度は……。
「俺に感謝してるだろ? だったら少しくらい出資しろ!」
「あのとき慰謝料を取りすぎたんだから、少しは返すのが筋だろ」
「成功したからって調子に乗るな」
怒りに任せたようなメッセージが立て続けに送られてきました。
私は「そうね、ありがとう」とひと言だけ返し、すぐに今の夫に相談。すると夫は感情的になることなく「直接関わらず、冷静に。あまりにひどい対応をするなら専門家に相談しよう」と言いました。
元夫の末路
その後、共通の知人からの話や噂で、元夫の現状を少しだけ知ることになりました。私と離婚する原因となった不倫相手とは、結局金銭トラブルが原因で数年前に破局。その後も職場で人間関係のトラブルを起こして退職を余儀なくされ、現在は定職にも就かず借金を抱えているようでした。
私に連絡してきたのも、単にお金に困っての苦し紛れの行動だったのです。「そちらの出方によっては専門家に相談する」と伝えて以来、一切の連絡が途絶えました。おそらく、その言葉に怯えたのでしょう。
今の私は、再婚した夫と子どもたちとともに、穏やかな毎日を過ごしています。あの結婚生活で傷ついたことは事実です。それでも、あの経験があったからこそ、自分が本当に大切にしたいものを見つけられたとも感じています。
会社を作ったのも、主婦という立場で見下されてきた経験が根本にありました。同じように傷ついてきた人たちの力になりたいという気持ちが、原動力になっていたのです。
◇ ◇ ◇
家事全般から家族の健康、スケジュールの把握まで、家庭を守る役割は決して簡単なものではなく、多岐にわたるタスクをこなす立派で大変なマネジメント業ではないでしょうか。妻の陰の支えや価値に気づけなかった元夫は、結局仕事も信用も失い、成功した元妻にすがりつくという自業自得の末路を辿りました。人の労力を軽んじる人間は、自らのおこないで身を滅ぼすのですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
どちらも一番近くで支えてくれる家族を軽視し、身勝手な理由で離婚を突きつけた元夫ですが、最終的には孤独な結末を迎えました。一度自らの手で壊してしまった絆は、自分の都合のいいときだけすがりつこうとしても、決して元には戻りません。
配偶者とはいえ元は他人だからこそ、感謝の気持ちや尊敬する姿勢を決して忘れてはいけないと痛感しますね。理不尽な言葉で傷つけられるような状況に直面したときは、自分の未来を守るために「自立」や「離れる」といった選択肢も含めて、明るい未来をつかむための行動を取りたいですね。