しかし、いつの間にか夫にとっても娘にとっても、私は「家族」ではなく、お金を稼ぎ、身の回りのことをしてくれる都合のいい存在になっていたようでした。
義祖父の死で生活が一変
夫は小さな会社に勤めていましたが、収入はそれほど多くありませんでした。そのため、会社を経営していた義祖父が、何かと私たちの生活を助けてくれていたのです。
当時住んでいた家も義祖父が所有していたもので、家賃を負担せずに住まわせてもらっていました。さらに、娘の学費の一部まで援助してもらっていたため、私はいつも申し訳なく思うと同時に、とても感謝していました。
ところが、その義祖父が急逝したことで、私たちの生活は大きく変わりました。
ある日、夫が突然、信じられないことを言い出したのです。
「俺、仕事辞めたから。これからはお前が働いて生活費と娘の学費を稼いでくれよ」
私は耳を疑いました。
「ちょっと待って。仕事を辞めるなんて聞いてないけど……」
すると夫は、義祖父から相続した財産があるから、しばらく働くつもりはないと言ったのです。それだけでも驚いたのに、夫はさらに、「今までじいちゃんが出してくれてた分は、お前が稼げばいいだろ」と言い放ったのです。
腹が立った私が「お義祖父さんには本当に感謝してる。でも、それと私があなたの分まで働くことは別の話でしょ?」と訴えても、夫は聞く耳を持ちません。
仕事を辞めてから夫は家でだらだらと過ごし、家事もしなくなりました。さらに、娘まで夫に同調するようになったのです。
「本当のお母さんでもないのに、いちいち口出ししないで」
反抗期だったとはいえ、その言葉には何度も傷つけられました。
それでも私は、「血のつながりがなくても家族になったのだから」と自分に言い聞かせていました。娘の生活や進学に影響を出したくないという思いもあり、仕事と家事をこなしながら、できる限り家庭を支え続けたのです。
私の財布にまで手を出した夫と娘
その後、生活費や娘の学費を支えるため、以前にも増して仕事に打ち込んだ私。一方、夫は義祖父から相続したお金をあてにし、娘にも欲しいものを次々と買い与えていました。
しかし、そんな生活がいつまでも続くはずはありません。相続したお金が減ってくると、夫と娘は私にお金を求めることが増えていきました。
そんなある夜のこと――。
寝室で眠りかけていた私は、ドアが開く音で目を覚ましました。薄目を開けると、夫と娘が私のバッグを触っていたのです。そして、夫が財布を取り出そうとしていました。
「ちょっと! 何してるの?」
思わず声を上げると、悪びれる様子もなく、「なんだよ、起きてたのか」と答えた夫。娘も不機嫌そうな顔をしています。
私は信じられませんでした。
「人の財布から勝手にお金を取ろうとするなんて、どういうつもり?」
すると夫は、「うるさいな! 今まで生活できたのは誰のおかげだと思ってるんだよ!!」と開き直ったのです。
夫の言い分にはあきれるしかありません。もちろん、義祖父から援助を受けていたことには感謝しています。しかし、それを理由に私の財布から無断でお金を持ち出していいはずはありません。
このとき、私は本気で離婚を考えました。ただ、娘の進学やこれからの生活を考えると、すぐには決断できませんでした。血のつながりはなくても、長く一緒に暮らしてきた娘です。
「せめて娘が自立するまでは」――そんな思いが、私をこの家庭につなぎとめていました。
ATM呼ばわりで離婚を決意
そんななか、実父から海外支社の立ち上げに関わってほしいという話を受けました。
以前、翻訳の仕事をしていた経験から、実父の会社に入ってからも海外とのやり取りを任されることがありました。そうした経験を評価してもらい、新しい拠点の立ち上げメンバーとして、長期出張の話が来たのです。
娘のことは気がかりでしたが、夫も家にいるうえ、娘自身も身の回りのことは自分できる年齢だったため、私は迷った末にその仕事を引き受け、約3カ月間、日本を離れることに……。
そして、3カ月後、久しぶりに自宅へ戻った日――。
キャリーバッグを引きながら玄関を開けると、リビングから夫と娘の声が聞こえてきました。
「お、ATMが帰ってきた」と夫が笑い、娘は「お金だけ置いて、また海外行けば? 本当のお母さんでもないんだし」と言ったのです。
3カ月ぶりに帰宅した私に、「おかえり」の一言すらありませんでした。その瞬間、私の中で何かが切れました。
私は何も言わず、玄関のドアを閉めました。そして、キャリーバッグを持ったまま、その日は実家へ向かったのです。
その後、離婚に向けて準備を始めた私。夫と話し合うために改めて家へ行き、「もう夫婦としてやっていけない。離婚したい」とはっきり伝えると、夫は「別にいいけど? 俺もお前なんかいらないし」と鼻で笑いました。娘からも引き止められることはありませんでした。
夫婦で離婚条件について話し合い、必要な手続きを済ませたうえで離婚届を提出。こうして、私たちの結婚生活は終わりました。娘は夫の実子であり、私とは養子縁組をしていなかったため、離婚後は夫と暮らすことに。
それからしばらくたったころ、元夫から電話が……。
「頼むから戻ってきてくれ。もう金がないんだ」
どうやら義祖父から相続したお金をほとんど使ってしまい、生活が苦しくなったようです。
「戻るつもりはないよ。私も自分の仕事と生活があるから」と断ると、電話の向こうから、娘の声も聞こえてきました。
「ごめんなさい。あんなこと言わなきゃよかった……」
あれほど「本当のお母さんじゃない」と私を突き放していた娘でしたが、生活が苦しくなり、これまで私が家庭を支えていたことを実感したことで、自分の言葉を後悔したようでした。
私は謝罪を聞いたうえで、「もう一緒に暮らすことはできない。これからどう生きていくかは自分で考えないといけないよ」と伝えました。
長い間、血のつながりがなくても家族だと思って接してきました。だからこそ、娘から言われた言葉は簡単に忘れられるものではなかったのです。
その後、元夫は再び仕事を始め、娘も自分にできることをしながら生活を立て直していったと聞きました。
一方、私は海外支社の仕事に本格的に携わるようになりました。家庭を守るために我慢していたころは、自分自身の人生について考える余裕などありませんでした。しかし、夫と離れてからは、仕事にも自分の生活にも前向きに向き合えるようになったのです。
家族だからといって、何をされても我慢し続ける必要はなかったのだと、離婚してからようやく気づきました。
◇ ◇ ◇
「家族だから」と我慢を重ねても、一方だけが支え続ける関係では、いつか限界が訪れてしまいます。
血縁の有無にかかわらず、家族として暮らしていくためには、お互いへの感謝や尊重が欠かせません。自分ばかりが犠牲になっていると感じたときは、その関係から離れて自分の人生を守ることも、大切な選択肢のひとつなのではないでしょうか。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。