「看病なんて無理、離婚して」重病の夫を捨てた妻→3年後、元夫が現れ「ありがとう」その手に握っていたものは…

幼いころに両親を亡くし、苦労の多い人生を歩んできた夫。それでも夫は、誰かを恨むことなく、困っている人がいれば自然と手を差し伸べるやさしい人でした。つい最近も、散歩中に落とし物をしたお年寄りを放っておけず、川沿いを一緒に探して泥だらけになって帰ってきたことがあります。夫から日々そんなエピソードを聞くのも、私の楽しみの一つでした。
そんな夫が、ある日突然倒れてしまいました。診断の結果、告げられたのは重い病気。治療を受けるには高額な費用が必要で、その治療は保険適用外だとわかりました。しかし、夫には頼れる親族がおらず、私たちにも十分な貯金はありませんでした。
それでも私は、「お金がないから治療をあきらめる」そんな結末だけは、どうしても受け入れられませんでした。
高額な治療費と、苦しい決断
途方に暮れていた私に手を差し伸べてくれたのが、学生時代からの友人・Tさんでした。Tさんは「足りない分は僕が用意する」と言ってくれました。けれど同時に、昔から私に好意を寄せていたことも打ち明けられたのです。
「ただし、彼と離れる覚悟があるならの話だよ。そのときは、僕と一緒に生きてほしい」
私は夫を愛しているし、そばで支えたい……。でも、このままでは治療費を用意できない。夫に本当のことを話せば、きっと治療を拒むはずです。悩んだ末、私は夫の命を救うため、あえて嫌われる道を選びました。
夫の病気を治すために私ができること
病室で、夫は弱々しく笑いながら言いました。「病気のこと、ごめんな……」本当は抱きしめて「一緒に頑張ろう」と言いたかったのですが、私はあえて冷たく告げました。
「私、看病なんて無理。それなら離婚して」
夫は驚きながらも、「そうだよな。俺と一緒にいたら苦労ばかりかけるもんな……」と、静かに受け入れました。「幸せになってね、絶対に」と夫。これ以上涙を我慢できなかった私は「治療費はあなたの保険と、私が用意したお金で何とかなると思う。これは、離婚する私にできる最後のことだから」と伝え、そそくさと病室を出ました。
本当は、そのお金の多くはTさんの援助でした。けれど、それを知れば夫は治療を拒む。そう思い、私は最後まで真実を隠したのです。その後、必要な手続きを済ませ、私たちは正式に離婚しました。そして私はTさんと再婚し、夫は治療に専念することになりました。
3年後、元夫が返しに来たもの
それから3年。Tさんとの生活に不便はないけれど、夫を忘れられない私は幸せな気持ちになることもありませんでした。そんなある日、元気になった元夫が、Tさんと私が暮らす家を訪ねてきたのです。
あとで聞いたところ、元夫は治療後、共通の知人を通じて、私が用意した治療費の多くがTさんからの援助だったことを知ったそうです。そこで初めて、私が夫に治療を受けてもらうために真実を隠して離婚したことに気づいたのだとか。
そして、Tさんの前に封筒を置き、深く頭を下げました。「本当にありがとうございました。時間はかかりましたが、あのとき助けてもらったお金を返しに来ました」さらに元夫は、私を見て言いました。
「俺を捨てたんじゃなかったんだな。俺を生かすために、ひとりで全部背負ってくれていたんだな」その言葉を聞いた瞬間、私は涙が止まりませんでした。
夫婦として再出発
元夫は、Tさんに向き直り、もう一度深く頭を下げました。「勝手なことを言っているのはわかっています。でも、もう一度、彼女と向き合う機会をください」Tさんはしばらく黙っていましたが、やがて穏やかに笑いました。
「何年一緒にいても、彼女の心の中にはずっと君がいた。君のその行動力と愛情を見せられたら、僕の負けを認めるしかないよ」そして、「2人で幸せになりなよ」と私たちの背中を押してくれたのです。
その後、Tさんとは話し合いの末に離婚し、私は元夫と再婚しました。現在は、彼の活動を手伝いながら穏やかな毎日を送っています。もちろん、私たちが今こうして一緒にいられるのは、Tさんのおかげです。この恩を、私たちは一生忘れることはありません。
つらい人生を歩んできても、人にやさしくすることをやめなかった夫。そんな夫だったからこそ、私はどうしても夫を救いたいと思ったのです。Tさんの助けもあり、結果として夫の命と、私たちの未来がつながったのだと思います。
◇ ◇ ◇
困っている人がいれば、自然と手を差し伸べる。言葉にするとシンプルですが、見返りを求めずにそれができる人は、案外少ないものです。誰かを思って動いた優しさは、思わぬ形で自分や大切な人の未来を支えてくれることがあります。
しかし、人にやさしくすることと同じくらい、自分が苦しいときに「助けて」と言えることも必要です。大切な人を守りたいあまり、ひとりで抱え込んでしまうこともありますが、ときには素直に本音を打ち明け、家族で寄り添いながら支え合うことも大切かもしれませんね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
1つ目のエピソードでは、夫の命を救うため、妻があえて離婚を選びます。真実を隠したまま別れた妻でしたが、3年後、元気になった夫が思いを知ることになるのでした。
続く2つ目のエピソードでは、夫の検査結果をきっかけに、妻が離婚を決意します。かつて自分が倒れたときに見捨てられた妻は、夫を支えないと決めて……。
夫「余命宣告されるかも…一緒に闘病頑張ろう」→私「そう、頑張ってね!」妻の冷たい返事に隠されていたのは…

最近、「なんとなく夫とうまくいっていない」と感じることが増えていました。仕事を理由に夜遅くまで帰ってこず、休日もスマホばかり。お出かけや外食に誘っても、面倒くさいと言って断られてしまいます。
それでも、私なりに折り合いをつけながら日々を過ごしていました。そんなある日、思いもよらない連絡が届いたのです……。
夫とのメッセージのやり取りは、「今日遅くなる」「夕飯はいらない」といった夫からの連絡に、私が「了解」「気をつけてね」と返すような、いつも同じ内容ばかりでした。
ところがその日は、「検査で気になる結果が出たんだ。医師からも精密検査が必要と言われていて……重い病気かもしれない」と、久しぶりに長いメッセージが届いたのです。私は驚き、しばらく言葉が出ませんでした。
闘病は夫婦二人三脚で
後日、精密検査の結果を聞くため、私は夫と一緒に病院へ行きました。夫の病気は今すぐ余命宣告をするようなものではないものの、入院治療に加えて、かなり気を使って日常生活を送る必要があるとのこと。どうやら夫は、病状を重く考えていたようでした。
診察を終えたあとも、夫は不安を拭えない様子で「余命宣告されるかも……」「一緒に闘病頑張ろう」と口にしたのです。私は「そう、頑張ってね!」「私は、支える気にはなれない」と返しました。
夫は驚いたように固まり、「え……? 2人で乗り越えようって話じゃなかったのか?」と戸惑いを隠せない声で言いました。その言葉を聞いて、くすぶっていた記憶が鮮明によみがえってきたのです。
5年前、高熱で私は救急搬送され、そのまま緊急入院になりました。突然の入院で気持ちの整理が追いつかず、誰かにそばにいてほしいという思いから、夫に何度も電話をしたのです。
けれど、返ってきたのは冷たい言葉でした。「俺を頼られても困るよ」「自分の体調くらい自分で管理してくれよ」
結局、夫は一度もお見舞いに来ませんでした。子どももママ友に頼み込んで数日預かってもらい、なんとか入院期間を乗り切ったのです。
退院して家に戻ると、家の中は足の踏み場もないほど荒れ放題。ゴミ袋と空き缶の山、その中からは夜のお店の名刺やレシートがいくつも出てきました。
その光景を見て、「夫とは終わったんだ」とはっきり自覚したのです。夫とは子どもを一緒に育てる共同体。子どものためにも収入源は多い方が良い……そう割り切りました。
「私が倒れたときのこと、覚えてる?」と、当時のことを持ちかけた私。「だからね、あなたの闘病を支えるつもりは、もうないの。闘病生活、頑張ってね」そう伝えた私に、夫はうろたえるばかりでした。
義母の身勝手な言い分
翌日、義母から電話がありました。「どういうつもりなの? 息子がこんな状況なのに……。嫁として支えてあげたいと思うのが普通じゃないの?」電話口の声は強い怒りに震えていました。
「私たちの夫婦関係はもうずっと前に終わっているんです」そう言うと、義母はますますヒートアップ。 「籍があるうちは家族なのよ! 夫が闘病で大変になるときに突き放すなんて、ありえない!」
そこで私は、あえて一歩踏み込むことにしました。「それを言うなら、私が入院していたときのこと、覚えてますか?」
義母は一瞬、言葉に詰まったようでした。私は続けます。「あのとき、夫は一度もお見舞いに来てくれませんでした。お義母さんもあのとき、『病気なんて気分の問題でしょ?』『夫に迷惑をかける妻なんて、離婚されても文句言えないわよ』ってメッセージを送ってきましたよね?」
痛いところを突かれたのか、義母は焦った様子……。しかし覚えていないとしらを切ります。
ですが、私は義母とのそのやり取りをスクリーンショットで記録しています。「あのときのメッセージは、きちんと保存してあります」あわてて言い訳を始めた義母の言葉を制し、私は淡々と続けました。
「病気の妻を突き放すなんてありえないですよね? 今、お義母さんが言っていることと同じことを息子さんはしていたんですよ?」
しかし何を言っても義母は折れず、私が「それならお義母さんが支えてあげたらいいのでは?」と言うと、義母は、ようやく本音を漏らしました。
「私も歳で、病院の付き添いや手続きは正直きついのよ……。だからあなたにお願いしたいの」――結局、“家族だから”という言葉は、私に負担を押し付けるためのただの口実。それが、はっきりと浮き彫りになったのです。
闘病と遺産をめぐる二重の裏切り
その後、夫と義母を交えて何度か話し合いましたが、平行線のまま数日が過ぎました。夫は意を決したように言いました。 「貯金も、父さんの遺産の残りも渡すから……離婚だけは考え直してくれないか?」
私は耳を疑いました。義父が亡くなったとき、遺産は残らなかったと私に言ったはず……。葬儀やお墓に必要なお金は、すべて家計で賄っていました。
私が険しい顔を向けると、夫はハッとした顔を見せました。そんな様子から、遺産について嘘をつかれていたことは明らかです。私が問い詰めると、夫はうろたえながらこう白状しました。 「母さんが言い出したんだ。『嫁には内緒にしておこう』って……。俺も断れなくて……」
義母も夫も、本当は十分な遺産があったことを私に隠し、「ほとんど残っていない」と嘘をついていたのです。娘にも我慢をさせながら必要なお金を捻出したのに……怒りよりも先に、深い虚しさがこみ上げてきました。
私の中で「夫と離婚したい」という気持ちが、「絶対に夫と離婚する」に強まったのです。
都合の良い嫁からの卒業
その日のうちに弁護士に相談し離婚の準備を進めることにした私。夫は何度も「離婚だけは勘弁してくれ」「一度だけでも会って話し合いたい」と連絡してきましたが、私は必要最低限の事務的なやり取りしかしませんでした。
義母は「こんなタイミングで離婚するなんて、人として冷たい」と非難しますが、病気がなくても離婚は時間の問題だったと思います。これまで私をないがしろに扱っていたのに、自分が困ったときだけ頼ろうとするのは虫の良い話です。
最終的に夫は離婚に応じ、婚姻中に夫婦で築いた預貯金などの財産分与についても合意が成立しました。財産分与の対象となる預貯金などを整理した結果、思っていた以上の金額を受け取ることになったのは、皮肉な結果だったと言えるかもしれません。
離婚からしばらくして、共通の知人を通じて、元夫の近況が耳に入ってきました。元夫は治療を続けており、仕事にも制限が出ているとのこと。相当なストレスをためているようで、周りの友だちに当たっていたのだとか。今ではみんなから距離を置かれているようです。
離婚後の生活は決して楽なことばかりではありませんでしたが、「自分の人生を自分で選び直した」というたしかな実感がありました。誰かに振り回されず、傷つけられず、静かな日常を積み重ねていけるだけで、心がどれほど軽くなるのかを知ったのでした。
◇ ◇ ◇
どちらか一方だけが我慢を重ね続ける関係は、いつか限界を迎えてしまうもの。夫婦のかたちはそれぞれですが、相手を思いやる姿勢が失われたとき、心はすり減ってしまいます。
本来「家族」とは支え合うための存在であり、重荷を背負わせる理由にはなりません。だからこそ、日々の小さな思いやりや、相手を尊重する気持ちを大切にしていきたいものですね。
※本記事は、ベビーカレンダーに寄せられた体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
いかがでしたか?
今回は、夫の病気をきっかけに、離婚という選択をした妻たちのエピソードをご紹介しました。
同じ離婚でも、夫を救うために身を引いた妻と、過去に自分を見捨てた夫から離れた妻では、その意味が大きく違います。病気や困難に直面したときこそ、それまでの夫婦の関係や、積み重ねてきた思いやりが表れるものなのかもしれません。
支え合う関係は、どちらか一方の我慢だけでは成り立ちません。大切な人を守りたい気持ちも、自分を守るための線引きも、どちらも大切にしていきたいですね。