夫「忘れっぽいだけだ!施設には入れない」認知症の義母の介護を私に丸投げ→もう無理…家を出た結果

私の夫は、いわゆるエリートサラリーマン。仕事に誇りを持ち、毎日遅くまで働いていました。私は少しでも夫が仕事に集中できる環境を整えてあげたいと思い、専業主婦として家事全般を担い、夫をサポートしてきました。
夫は決断力がある半面、私に相談せず物事を決めてしまうところがありました。結婚当初は「頼りになる」と感じていたその性格も、ある出来事を境に私を苦しめることに……。
突然の同居と義母の異変
ある日の夕食後、夫は当たり前のように「明日から母さんもこの家で暮らすから」と言いました。義母は数年前に病気をしてから足腰が弱り、それまでは私が週に数回、義実家に通って生活のサポートをしていました。
「同居すれば通う手間が省けるし、お前もラクになるだろう」と夫は言いましたが、四六時中気を使う生活に不安しかありません。しかし、夫はすでに義実家を引き払う段取りを進めており、今さら反対できる状況ではありませんでした。
こうして始まった義母との同居生活。最初はなんとかうまく立ち回っていたものの、次第に義母の様子に異変が現れ始めました。同じことを何度も聞いたり、さっき食べた食事を忘れたりするようになったのです。病院を受診すると、認知症と診断されました。
症状が進むにつれ、義母は自分の探し物が見つからないと「あなたが隠したんでしょ」と私を疑い、激しい言葉をぶつけるようになりました。
私ひとりでは手に負えないと感じることがだんだんと増えてきて、真剣に施設への入所を相談しても、「ただ忘れっぽいだけだろ? 施設はダメだ! 入れたくない」と、夫はまったく聞く耳を持ちません。世間体をひどく気にする夫は、「周りから親を見放したと思われるから絶対に嫌だ」と言うのです。
介護を丸投げされ、限界の私
それなら、せめて2人で協力して介護をしようと約束しましたが、残念ながらその約束が守られることはありませんでした。「仕事が忙しい」と毎日深夜に帰宅し、休日は「仕事が残っている」と自室にこもりきり。
一方、義母の症状は進行し、夜中になっても家の中を歩き回るようになりました。義母は要介護認定を受け、ケアマネジャーが作成したケアプランに基づいて、週に数回デイサービスを利用するようになりました。しかし、利用時間以外は昼夜を問わず見守りが必要なため、私は睡眠不足と精神的な疲労で限界を迎えていました。
ある晩、疲労困憊の私は「もう少し手伝ってほしい」と涙ながらに訴えました。しかし、夫から返ってきたのは耳を疑う言葉でした。
「介護なんて余裕だろ! 大げさだな!」
このあまりに無責任な言葉に、私はあぜん。同時に、私の苦労を一切見ようとせず、すべてを私に押しつける夫に、これ以上付き合いきれないと悟ったのです。
翌朝、私は夫が仕事に出かけた後すぐに自分の荷物をまとめました。デイサービスのお迎えが来て義母を送り出し、そのまま実家へ帰ることにしたのです。冷静に今後のこと、そして離婚について考える時間が欲しかったからです。
仕事中の夫に電話をして「これ以上、私ひとりでの介護は無理です。実家に帰ります。お義母さんのデイサービスは17時までです。あとはお願いします」と伝えました。夫はいつものように「仕事がある」「忙しい」と渋りましたが、私は「もう無理」だと何度も伝え、その日は必ず17時までに帰宅し、義母を迎えると夫に約束させました。
たった3日でSOS
私が実家に戻って3日目のお昼ごろ、実家のインターホンが鳴り、玄関を開けると、そこには目を真っ赤にして憔悴しきった夫が立っていました。夫は会社を休み、義母がデイサービスに行っている間に実家へ訪ねてきたのです。
夫は私を見るなり、ぼろぼろと涙をこぼし、その場に泣き崩れました。聞けば、私が家を出てから仕事と介護をひとりでこなそうとしたものの、夜間に何度も起きて混乱する義母への対応に追われ、ほとんど眠れず、仕事にも行けなくなってしまったとのことでした。自分が「大げさだ」と切り捨てた介護の現実を前に、また、認知症が進行した自分の母親の姿に直面し、たった3日で心が折れてしまったようです。
老いて変わっていく親の姿を直視するのは、誰にとってもつらく苦しいものです。泣きじゃくる夫の姿を見て、私は義母が施設に入所できるよう準備を進めることを条件に、家に戻ることにしました。
その後、夫婦でケアマネジャーや地域包括支援センターに相談しました。義母の状態や要介護度、本人の意向、施設の空き状況を踏まえて入所先を探し、数カ月後、認知症のケアに対応した施設への入所が決まりました。
夫も、今では「施設入所を選ぶことは、親を見放すことだ」という偏見がなくなり、面会に行くたびに、丁寧にお世話をしてくださる職員の方々へ何度も感謝の言葉を伝えています。そんな夫の姿を見ると、あのとき思い切って実家に戻ってよかったと心から思います。
介護という重圧から解放され、私たち夫婦の関係も、少しずついい方向へ変わってきました。
◇ ◇ ◇
世間体を気にして認知症の親の介護を妻に押しつけていた夫。しかし、自ら過酷な現実を体験したことで改心し、介護という難しい問題にきちんと向き合えたのでしょう。パートナーにすべてを背負わせ、心身のSOSを無視するような態度は決して許されるものではありません。介護の現場では、きれいごとでは済まされない現実に、心をすり減らす場面も多いのではないでしょうか。自分ひとりで、家族だけでと抱え込まず、プロの支援を受けることも考えたいですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
介護を「余裕だろ」と言っていた夫でしたが、妻の家出によってたった3日で現実に打ちのめされてしまいました。介護の過酷さは、実際に経験してみないとわからないもの。この一件で、夫がプロの支援の重要性に気づけて本当によかったですね。
しかし、世の中には親の最期まで現実から目を背け、妻を裏切り続ける夫も存在します。続いてご紹介するのは、20年間も義父の介護をひとりで担ってきた妻に対し、義父の死後「介護ご苦労! 離婚届は出したから」と突然、宣言した夫のお話です。
若い不倫相手との再婚を夢見ていた夫でしたが……実は、義父と妻が周到に準備した衝撃の真実が!?
義父が亡くなり「20年介護ご苦労!」私を捨てた夫→「ありがとう♡」若い子との再婚を夢見た夫の末路

私たち夫婦はお互いにもう50代。結婚を機に義実家へ同居し、20年ほど前から義父に介護が必要となり、それ以来私がひとりでお世話をしています。夫は自分の親にもかかわらず、面倒を見る気はさらさらないようです。
「じいさんになった今、家に置いてやっているだけでも感謝してほしい」と言う夫ですが、この家は義父が建てたもの。何をえらそうにしているのだか……。
夫は私に対しても、「何の取り柄もない専業主婦なのだから、親の介護くらいしてもらわないと養っている意味がない」と言います。
結婚以来、家事に育児に孤軍奮闘してきた私。夫は、家のことを全部私に丸投げしてきました。手伝うことはなく、感謝の言葉すらありません。口を開けば文句ばかり。
義父の調子が悪く、眠れなかった日の翌朝、私は夫のお弁当に冷凍食品を入れたことがありました。すると「あの弁当は何だ!」と激怒。たまのことですし、義父の介護が原因となっているのに、そんな言い方しなくても……。
義父の最期にも帰ってこない夫
いよいよ義父とのお別れが近づいたとき、時刻はある平日の19時ごろでした。私は急いで夫に連絡しましたが、仕事中だと言って帰ってこようとしません。お別れのあいさつをしようと、孫である私たちの息子も仕事を調整し、遠方から駆けつけてくれたというのに、実の子である夫が帰ってこないなんて……。
仕事だと言いますが、夫が今いる場所は会社ではないと思います。私も義父も知っているのです。夫が今夜も不倫相手の女性と一緒にいることを。私がそう言うと、「何をばかげたことを言ってるんだ!」と夫はキレてきました。しかし、本当のことだからキレているのでしょう。
義父が倒れて20年。私はずっと介護をしてきました。加えて、家事や育児もして、本当に忙しい毎日でした。だから夫は、不倫に気づかないと思っていたのでしょうが、3年も前から知っていました。
いくら義父に暴言を吐いていても、さすがに最期くらいは……そう期待していましたが、私の考えが甘かったようです。
連絡の最後に、「お前は社会のお荷物で、俺に養われなきゃ生きていけない無駄な存在なんだ、これからはもっと言動に気をつけろ」と警告された私。「俺の気分次第でお前なんて簡単に捨てられるんだからな」とまで言われました。
介護が終わり、捨てられる用済みの私
結局、夫は顔を見せないまま、義父は最期を迎えました。それから1週間後、葬儀も終わり、遺品整理もひと段落したころ、夫が突然こう言いました。
「20年間介護ご苦労さん!」
「離婚届は出しておいたから、もう好きにしていいぞ」
そういえば昔、夫と喧嘩をしたときに離婚届を持ってこられて、記入したことがあったことを思い出しました。夫は、昔書いた離婚届を、私に確認もなく提出していたのです。もう夫婦でいる気はなかったので、別にいいのですが……。
「ありがとう♡ じゃあ今すぐ出てって!」
夫の身勝手さにあきれつつ、私は夫に家から出ていくように伝えました。すると夫は「は?」と驚いた顔をして「なんで俺が?」 と言います。
「なんでって……」この家は私のものだからです。3年前、夫の不倫に気づいたころ、義父は弁護士に相談し、「この家はバカ息子ではなく、◯◯さん(私)に譲りたい」と言ってくれました。
その後、贈与税や登記のことも専門家に確認しながら、生前贈与として正式に所有権移転登記を済ませました。つまり、この家は義父が亡くなる前から、すでに私名義だったのです。
さらに義父は、夫を推定相続人から廃除する手続きも進めていました。相続廃除は簡単に認められることではありませんが、夫は以前、義父の通帳を盗もうとして、それを止めた義父に暴力を振るい、入院が必要なほどの大けがをさせたことがあります。その前後にも暴言を繰り返しており、診断書や当時の記録、暴言の録音などを証拠として提出した結果、家庭裁判所で廃除が認められていました。
そのため夫には相続権がありません。ただし、孫である息子には代襲相続(だいしゅうそうぞく:本来相続人となるはずだった人が、相続開始以前の死亡や相続権の喪失によって相続できない場合に、その子どもなどが代わりに相続人となる制度)の可能性があったため、その点も弁護士を通して整理が済んでいます。きっと義父は、何もしないどころか自分を邪魔者扱いし、罵倒していた夫に何も残したくなかったのでしょう。
相続廃除の手続きにも、私がこの家を譲り受けるための手続きにも時間は要しましたが、どちらも義父の強い希望でした。義父本人が弁護士に相談し、私は証拠集めや手続きのサポートをし、準備をしてきました。
若い女性との再婚を夢見た夫の末路
自分には一銭も遺産が入らないと知り、夫はがく然。「俺はお前らを養うために一生懸命働いてきた」と言いますが、夫ひとりだけで家庭が回っていたわけではありません。
それどころか、夫は不倫をして相手の女性にたびたび高価なプレゼントを送っていました。私は結婚して以来、夫からプレゼントなんてもらったことがありません。自分勝手で文句ばかりの夫に、私たち家族は嫌な思いばかりしてきました。いいタイミングで離婚ができてせいせいしているというのが、私の今の本心。
離婚届は夫によってすでに出されています。勝手に出されたので、本来なら無効を主張できる可能性もあるそうですが、弁護士に相談したうえで、離婚そのものは追認することに。同時に財産分与や不倫に関する慰謝料などについても弁護士に相談しました。後日、弁護士を通して話し合うことになりましたが、夫はその前に復縁を望んできました。
どうやら、介護問題が解決したらさっさと私と離婚して、20代の不倫相手と再婚しようと思っていたらしいのですが、あっさり振られてしまったようです。最後の最後まで身勝手で本当にあきれます。そもそも、勝手に離婚届を出したのは夫です。謝られても許す気にはなれませんし、復縁を求められてもやり直す気になれるわけがありません。
この年齢でひとりで生きていくのは大変だぞと夫は言いますが、まったく問題ありません。私はこの20年、時間を見つけては資格取得や在宅ワークに励んできました。収入もきちんと得ています。息子が巣立ち、義父の介護も終わったこれからは、もっとしっかり働く時間を取れます。
その後、弁護士を通して何度か話し合い、私は夫と不倫相手の2人に慰謝料を請求しました。最終的に夫は、すべてを諦めたような顔をして家からも出ていきました。今は会社の近くに安いアパートを借り、ひとりさびしく生活しているようです。
◇ ◇ ◇
家族だからこそ、心を許して本音で向き合いたいものですが、何を言ってもいい、してもいいということとは違いますよね。家族だからこそ、丁寧に接する必要もあるでしょう。どんな相手に対しても思いやりを持って接したいですね。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
妻の献身的な介護や日々の努力を当たり前だと軽視し、世間体や自分の欲望を優先した夫たち。親の介護という重責をパートナーひとりに押しつけるなど、許されることではありません。
介護とは、家族全員で向き合わなければいけない問題ではないでしょうか。介護をする人の心身の負担を軽視すれば、家族関係そのものが壊れてしまうこともあります。誰かひとりの役割だと決めつけず、家族で現状や負担を共有し、必要に応じて専門家や公的な支援を頼ることが大切です。自分の家族に介護が必要になったときは、抱え込む人をつくらないよう、早い段階から周囲と協力できる体制を整えたいですね。