手術を境に父が車椅子生活に…母による介護が始まる
父は、股関節の手術をする前までは、特に大きな病気もなく元気に過ごしていました。しかし、手術を境に自力で歩くことができなくなり、退院後に自宅に戻った父には、在宅介護が必要となりました。
車椅子がなければ移動できず、ベッドで過ごす時間が多くなった父。顔の表情にも体格にも昔の面影はほとんどなく、全介助が必要な状態になるなんて……。その現実を受け入れる間もなく、母にとっては怒涛の介護生活が始まったのです。
家中の段差を改善し、父のベッドやトイレの手すりなど、家の中はすべて介護仕様に変えていました。母はつきっきりで父の介護をする日々。私もできる限りの手伝いはするものの、日中のほとんどを2人きりで過ごす母の肩には、最初から重圧とストレスがのしかかっているようでした。
過酷な介護に募るストレス…父の認知症が拍車
在宅介護において、最も母の体力と精神力を削り取っているのが、1日に何度も訪れる「排泄介助」という大仕事。
自分よりも体重のある父の体を抱え、車椅子に乗せてトイレへ連れて行き、用を済ませてベッドへ戻す。そこからさらに、慎重に新しい紙おむつを当ててズボンをはかせるという一連の作業は、すでに腕や腰を痛めている80代の母にとって、体に大きな負担がかかる重労働でした。
母は毎日気を張り詰め、体の痛みをこらえながら介護を続けていたのです。もう車椅子を見ただけで、拒否反応が出るほどになっていました。
さらに母のストレスに拍車をかけたのが、認知症と診断を受けている父の症状が進んだことです。会話がかみ合わなくなったり、伝えたばかりのことを忘れてしまったりすることが増えました。家中重苦しい空気が停滞しているように感じました。
体の痛みと、父との意思疎通が難しくなっていく不安。母の心と体には、目に見えないストレスが限界近くまでたまっていったのです。
父が突然失禁…ついに母の感情があふれて
その夜も、母は満身創痍の体で父の排泄介助を終えたばかりでした。トイレを済ませ、「もう出ない」という父の言葉を信じて新しい紙おむつを当て、シーツも敷き替えた直後のことです。
「……え?」。母の短い悲鳴が聞こえ、私が寝室へ駆けつけると、父のパジャマのズボンだけでなく、替えたばかりのシーツや敷布団まで尿で濡れていました。
「ちょっと何で今するのよ!」。母の怒りは、近所にまで響き渡るような雷鳴となって爆発しました。
「さっきトイレ行ったでしょ!? なんで敷布団までべちゃべちゃにするのよ!」
しかし、認知症が進む父は状況を十分に理解できていない様子で、ただぼんやりと母を見つめるだけ。その反応を目にした母は、やり場のない感情をさらに募らせたようでした。
「もう嫌! 限界! 私はもうあなたの面倒なんか見たくない!」
それは、毎日の努力が一瞬で無駄になったように感じる徒労感。そして、認知症の症状に向き合い続けることへの深い絶望感……。それらが全部混ざり合った、心の底からの魂の叫びだったのです。
私は、激しい怒りに震え、顔は涙でぐしゃぐしゃにした母の背中を、ただ静かにさすることしかできませんでした。
まとめ
この大惨事の後も、何も起こらない日はありません。父が事実とは異なることを話す場面も増え、母は「自分にかまってほしいのではないか」と感じていました。母はとうとう、「私がいなかったら、あなたを世話する人はいないんだからね!! ごはんもトイレも自分でしてみなさい!」と声を荒らげるほど、介護を続けることに限界を感じていました。
その後、母は父の状況と家族の負担についてケアマネージャーに相談し、これまで悩んでいた施設入所をを進めることにしました。現在は、父が入所できる施設を探してもらっています。この経験を通して、家族だけで介護を抱え続けることの難しさと、限界を迎える前に周囲の支援につなげることの大切さを痛感しました。今後どうなるかはわかりませんが、父と母の双方にとって無理の少ない方法を探していきたいと思います。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:琥珀乃 たびと/40代独身女性。契約社員として働く。高齢の両親と3人暮らし。珈琲とパン、甘いものが好きな食いしん坊。
イラスト:おみき
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年8月)
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