妊娠中の私に浴びせられた義母の冷たい言葉
義父母との同居生活が始まると、私はすぐに「こんなはずではなかった」と後悔することに……。
つわりがひどく、起き上がることさえつらい日にも、義母は「妊娠は病気じゃない」「つわりくらいで家事をサボらないで」と容赦なく言ってくるのです。
夫ならわかってくれると思い相談しましたが、返ってきたのは「母さんがいるおかげで助かっている部分もあるだろう?」という言葉だけ。義母の言動を止めてほしかっただけなのに、夫が私の気持ちを理解してくれることはありませんでした。
精神的にもつらい毎日でしたが、おなかの子と自分の体調を最優先に考え、できるだけ無理をしないように過ごしていました。
そんなある日、義母から義姉が結婚することになったと聞かされました。
義姉たちは以前から希望する式場のキャンセル待ちをしていたそうで、空きが出たため、急きょ3カ月後に結婚式を挙げることになったとのこと。
ところが、伝えられた結婚式の日付を聞いて驚きました。その日は、私の出産予定日だったのです。
もちろん、予定日はあくまで目安です。当日に必ず出産するとは限りませんが、予定日前後はいつ陣痛や破水が起きてもおかしくありません。
そのため私は、義姉には申し訳ないと思いつつ、結婚式への参列を辞退することに。すると夫は、不満そうな顔で言いました。
「“予定日”なんだから、その日に絶対生まれるわけじゃないんだろ?」
さらに、私が欠席することが気に入らなかったのか、「お前が自分の都合で姉さんの結婚式に出ないなら、俺も出産には立ち会わない」とまで言い放ったのです。
出産を「お前の都合」と言われたことに、私は耳を疑いました。
まるで私がわがままで結婚式を欠席するかのような言い方でしたが、それまでの生活ですっかり疲れ切っていた私は、言い争う気力さえ残っていませんでした。「わかった」と答えるのが精いっぱい。
その後も義父母から結婚式を欠席することについて嫌みを言われ、私は出産まで落ち着かない日々を過ごすことになってしまったのです。
義姉の結婚式当日に始まった陣痛
そして迎えた、出産予定日と義姉の結婚式の日――。
夫と義父母は朝から結婚式へ出かける準備をしていました。
私は予定日を迎えていたこともあり、何かあったときにすぐ連絡が取れるようにしてほしいと夫に頼みました。しかし夫は面倒そうな表情を見せただけで、そのまま義父母と家を出て行ったのです。
ひとりになってしばらくすると、おなかに張りと痛みが……。最初は間隔が空いていましたが、次第に痛みが規則的になっていきました。
「もしかして、陣痛……?」
不安になった私は病院へ連絡し、指示を受けながら自宅で様子を見ることに。同時に夫にも何度か電話しましたが、式の最中だったためか連絡はつきませんでした。
その後、痛みの間隔が短くなったため再び病院へ連絡すると、入院の準備をして来院するよう指示されました。
私は事前に登録していたタクシーを手配し、荷物を持って玄関へ向かいました。すると、ちょうどそのタイミングで夫と義父母が帰宅したのです。
義母の言葉に我慢の限界
帰ってきた義母は、私が荷物を持っている理由を尋ねるより先に、結婚式を欠席したことへの不満を口にしました。
「結局、予定日になっても生まれなかったじゃない! 結婚式に参列できたでしょう?」
そして、さらに信じられない言葉を続けました。
「親族の結婚式を欠席するなんて非常識よ! そんな嫁なら、この家から出て行きなさい!」
私はそのとき、すでに陣痛の痛みに耐えていました。それなのに義母は、私の様子を見ることもなく責め続けてきたのです。
これまで何を言われても、おなかの子のためだと思って耐えてきたのですが、その瞬間に私の中で何かが切れました。
「わかりました。私も、もうあなたたちと家族として暮らしていくつもりはありません」
そして、夫と義父母を見ながら続けました。
「ただ、この家を出て行くことになるのは、私ではありません」
私の言葉を聞いた夫の表情が変わりました。夫には、私が何を言おうとしているのかわかったようです。力ない声でこうつぶやきました。
「出ていくのは、俺たちのほうだ……」
この家は、婚約中に私が自分のお金で購入した家で、名義も私だったのです。
家の持ち主を知った義父母の態度が一変
義父母は、それまでこの家を「息子夫婦の家」、もっと言えば夫が購入した家だと思い込んでいたようでした。
私は陣痛に耐えながら、なんとか事情を説明しました。
「この家の名義人は私です。婚約中に、私が自分のお金で購入しました」
さらに、夫には独身時代から浪費癖があり、結婚当初はほとんど貯金がなかったことや、結婚後は私も収入を家計に入れていたことを伝えました。
初めて知ったようで、驚いた顔をした義父母。それまで強気だった義母も、急に口数が少なくなりました。
慌てて、「今そんな話をする必要ないだろ。とりあえず病院に行こう」と私を病院へ促した夫。しかし、私の気持ちはすでに決まっていました。
「出産が終わって落ち着いたら、これからのことを話し合うから。私は離婚も考えているし、同居も続けるつもりはないからね」
夫にそう伝えたところで、迎えのタクシーが到着。私は呆然とする夫たちを残し、ひとりで病院へ向かいました。
夫と義父母との生活に終止符を
病院に到着したあとは出産に集中し、無事に元気な男の子を出産。わが子の顔を見た瞬間、それまで抱えていた不安や悔しさよりも、「この子を守らなければ」という気持ちが強くなったことを覚えています。
退院後、私は夫と今後について話し合いました。
出産直前に口にした言葉は、その場限りのものではなく、私は本当に夫との生活を続けることが難しいと考えていました。義父母との同居を解消することについても、はっきりと意思を伝えました。
もちろん、家の名義が私だからといって、その場ですぐに夫や義父母を強制的に追い出せたわけではありません。
夫婦として暮らしていた家でもあったため、退去時期や荷物について話し合いを重ねました。その結果、義父母は別の住まいへ移り、夫も後に家を出ていきました。
離婚についても、財産や子どものことなど必要な話し合いを行ったため、すぐに成立したわけではありません。それでも、最終的には離婚が成立。私は息子と2人で、改めてこの家で新しい生活を始めることになりました。
妊娠中の不安に加え、義家族からの冷たい言葉や夫の無理解が重なり、当時の私は心身ともに疲れ切っていました。特に、出産予定日と結婚式が重なったことまで私の責任であるかのように扱われたことは、今でも忘れられません。
あのとき夫や義家族との関係を見直し、息子と自分が安心して暮らせる生活を選んだことは、私にとって大きな決断でした。それでも今では、あの決断が私たち親子にとって必要なものだったと思っています。
※本記事は、実際の体験談をもとに作成しています。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。