ケガによる、適応障害・パニック障害の発症
結婚前、私はケガの痛みによるストレスがきっかけで、精神的に不安定になり、適応障害とパニック障害を発症しました。
その後、原因となったケガが治癒するにつれてメンタル面も改善したため婚活を開始し、そして結婚しました。夫は子ども好きで、早く子どもが欲しいと言っており、私も子どもを持ちたい気持ちは一緒でしたが、一抹の不安がありました。それは「妊娠によってメンタルヘルスの問題が再発するのではないか?」というものです。
さまざまな情報を調べましたが、妊娠後の体調は個人差が大きく、結局妊娠してみないとわからないことばかり。しかし年齢的な焦りもあって、数カ月悩み、夫とも話し合った末に妊活を始めることにしました。
パニック障害が再発し、精神科に行くと…
そうして妊娠に至ったのですが、妊娠2カ月を過ぎたくらいから重いつわりに襲われ、妊娠悪阻と脱水症状で救急搬送される事態となってしまいました。点滴のために病院に連日通い、1日中船酔いのように気持ち悪く、立つこともままならない日々が続く中で、妊娠前の不安は的中。
過度のストレスにより危惧していたパニック障害が再発してしまいました。動悸が起こり、強い不安感に襲われ、息ができないような感覚に。パニックが押し寄せる発作に苦しみ、精神科にかかりました。
赤ちゃんのことを考え、薬を飲むか悩んでいると…
「妊娠中に精神科の薬が飲めるのだろうか?」と心配でしたが、このままの状態では妊婦である私本人の負担が大きすぎるとの判断で、医師と相談して投薬治療をすることになりました。その薬には、生まれてくる赤ちゃんが口唇口蓋裂になる可能性が上昇する副作用があると説明を受けました。そのことにとてもショックを受け、悩みましたが、先生から「お母さんの調子を良くしないと妊娠継続もつらいでしょう」と言われ、私は泣いてしまいました。
「赤ちゃんへのリスクを考え、薬を飲まないで発作を我慢することが母としての務めなのではないか」「自分がラクになりたいからメンタルの薬を飲むなんて私は悪いお母さんだ。おなかの赤ちゃんに申し訳ない」「でもこのままでは心も体もつらすぎて出産まで耐えられる自信がない」と、まとまらない思考とぐちゃぐちゃの感情で涙が止まらなくなってしまいました。
投薬治療初日から1週間程度は落ち込みが続き、胸がざわざわしてあまり眠れない日々を過ごしました。しかし2週間、3週間と治療を続けるうちに不安感が落ち着き、パニック発作も起こらなくなりました。同時期につわりもピークを越えて次第にラクになっていったこともあり、私の体調は心身ともに快方に向かいました。
破水後、まったく生まれる様子がなく…
その後、投薬治療と精神科への通院を継続したまま、臨月を迎えました。そして、出産予定日の3日前、私は深夜に破水しました。病院へ向かう道中「きっとこのまま陣痛が来て、今夜か翌朝ごろには赤ちゃんに会えるのではないか」と運転席の夫と話し合いました。出産への不安はありましたが、もうすぐわが子に会えるワクワクで興奮していました。
病院に到着して入院しましたが、まったく陣痛が来ず、そのままひとり病室のベッドで朝を迎えました。朝からはモニターを付けて病室で待機。赤ちゃんは元気にドンドンと心拍を鳴らしていますが、まったく陣痛はやってきません。お昼からは陣痛促進剤を飲むことになりました。陣痛促進剤の内服を2日続けても陣痛の兆しさえなく、入院3日目には点滴で陣痛促進剤を投与することになりました。
しかし次の日も陣痛のじの字さえ感じず、無反応。入院4日目、診察の際に「おなかの中が快適でまだ出たくないみたい」と主治医に言われて笑ってしまいましたが、いつまでもこのままでは笑っている場合ではありません。破水すると細菌感染の可能性が高まるとのことで、急きょ帝王切開での出産となりました。
帝王切開の手術中、パニックが起きそうになり…
「今から30分後に手術します」と告げられ、あまりに突然のことで怖がる間もなく同意書を書き術前検査を受けて、あれよあれよという間に手術室へと送られていました。なお夫には「帝王切開になった」と連絡だけはできましたが、コロナ禍で面会一切禁止のため会うことはできませんでした。
ひとりで、心の準備もないまま、手術台に乗せられた私の心臓はバクバクです。唯一の心の支えは「帝王切開なら出産自体は痛くないはず!」ということだけ。裸で手術台に乗り、横向きに寝て膝を腕に抱えて丸くなって注射を受けたのですが、私にとってはこれがとんでもなく怖くて、痛く……。1回目は痛みにビクンと動いてしまい失敗。看護師さんと医師の3人がかりで動かないようホールドされ、なんとか2回目で注射に成功しました。
だんだんと麻酔が効いてきて、冷たい物を足に当てられても感覚がない状態になり、手術が始まりました。しかし、下肢がまったく動かない状態になり、急に強い不安感と息苦しさに襲われました。なんとここでパニック発作が起こしかけてしまったのです。執刀医に慌てて「発作が起きそうです!」と伝え、点滴から鎮静の薬を入れてもらいました。
パニックにならないよう集中し…
そこで少しだけ落ち着き、深呼吸して自分の呼吸数を数えることだけに集中してパニックが起こらないよう意識をそらしました。帝王切開術は麻酔が効いているのでまったく痛みはないですが、触られている感触だけは残るのでそちらに気が向いてしまうとパニックにつながりそうで、まぶしい手術室の明かりをじっと見つめて必死に呼吸だけを意識してしのぎました。
気が遠くなるほど長く感じましたが、実際は数分で赤ちゃんが取り出されました。「おめでとうございます!」と手術室のスタッフの皆さんに言っていただき、私の顔の横に赤ちゃんを連れてきてくれました。正直なところ私は「口は? 口蓋裂はどうなの?」とそれが気になっていました。動かせない体をなんとかよじって、赤ちゃんの唇と口の中を必死に覗き込みましたが、ぱっと見ただけではよくわからず、すぐに新生児処置のために連れていかれてしまい確認はできませんでした。
「でも、誰も何も言わないってことは大丈夫ってこと、だよね?」と思いながら、出産が終わった安堵感で一気にヘナヘナと虚脱状態になってしまったのでした。
出産後、赤ちゃんを見に行くと…
産後、胃の調子が悪いとのことで赤ちゃんは同じ病院内のNICU(新生児集中治療室)に入院となり、再会できたのは出産から3日目でした。麻酔の切れた術後の傷はすごく痛みましたが、ネットで知った「電動ベッドから起き上がるコツ」のおかげでなんとか立ち上がれるようになっていたため、NICUまで車椅子で連れて行ってもらい、面会しました。
わが子は、鼻にチューブ、手には点滴の管がついていて、かわいらしさを感じると同時に、痛々しさも感じました。近寄って、赤ちゃんのほっぺたをそっと触ってみると、温かくて柔らかくて、しっとりとしていました。全身フクフクして髪もフサフサで、手も足も何もかもが小さいのに爪もまつ毛もそろっている、赤ちゃんという生き物の神秘に私は感動しました。ようやくわが子を抱くことができ、搾乳した自分の母乳をあげるころには、「お母さんになったんだなぁ」という実感がしみじみと心に満ちて幸せな気持ちになりました。
頭痛に悩まされながらも、赤ちゃんに会いに行く日々
その後、赤ちゃんは順調に回復してGCU(新生児回復室)に移り、私もおなかの傷の痛みはだいぶマシになっていたのですが、術後5日目からものすごくつらい頭痛が始まりました。先生に相談すると、それは脊椎麻酔をした人に時折現れる「脊椎麻酔後頭痛」という症状とのことでした。
この頭痛は横になっているときは痛みがないのに、頭を上げた姿勢になると痛みが発生します。頭が痛すぎて動けず、処方されたロキソニンもまったく効果がなく、横になっているしかありませんでした。GCUにいる赤ちゃんとの面会にも行けず、どうしてこんな目に遭うんだろうと痛む頭を抱えて少しだけ涙が出ました。
脊椎麻酔後頭痛は日にち薬(時間の経過が治癒のための薬ということ)しかないようで、頭の痛みをこらえて歯を食いしばりながら退院までGCUに1日2回通いました。結局、退院を迎えても頭痛は消えず、激痛と闘いながらもわが子をしっかりと腕に抱いて私は病院をあとにしました。
赤ちゃんは退院当日にGCUを出たため、母子同室でお世話をした時間はほとんどありません。私の育児経験値は入院前に想定した「退院時にはひと通りできるようになっているだろう」という楽観的予測よりずっと低い状態でした。これからの自宅での育児は不安だらけでしたが、腕の中でスウスウと安心しきって寝息を立てているわが子の顔を見ると「この子のためなら何でもできるから大丈夫だ」と決意することができました。
退院から3日後には頭痛も解消しました。毎日あたふたしながらも、家族と力を合わせて育児に取り組んでいます。まだまだ心配事だらけで、ハラハラドキドキすることも多いですが、その何倍も何十倍、何百倍も、わが子のかわいさと愛おしさに癒やされています。
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監修/助産師 REIKO
著者:飯野みちる
2022年に男の子を出産したママ。