長年うつ病を患い、休職や転職を繰り返すものの子ども2人の育児どころか、ひなこさんが働いているにもかかわらず家事もしない無職の夫。
「夫はATMだ……」と離婚を踏みとどまっていましたが、義母からお金の援助を断られたことで、夫と結婚している意義を見出せなくなり、離婚を決意したひなこさんの体験談をご紹介します。
別居中、「親を話し合いに介入させない」と約束していたのに、義母から怒りの電話が! 約束を破ったことで日ごろの不満をぶつけ、母親同士が罵り合う修羅場になってしまいました。
その直後、旦那さんから驚きのLINEが……!
▶前の話:「さっさと出てけ!」離婚に向けて話し合い中、義母から怒りの電話が!母と罵りあう修羅場に【体験談】
「別れたくないよー!」まさかの泣きの一手
この修羅場電話を切った1時間後、夫から「俺だけになったから話せる?」とLINEがきたので、しぶしぶ承諾しました。
夫「もう俺に何の魅力もないんかなぁ? 別れたくないよー! 涙」
私「私に愛情もなにもなかったやろ?」
夫「そんなことない。今でも愛しとるよ」
これまでずっと冷たい態度だったし、大切にされていると思ったことなんてない。離婚したいと伝えたあとも私が悪いと言い続けていたのに、今さらすぎる。10年間一緒に暮らしていたので「情」はあったけれど、私には「愛情」なんてとっくに無くなっていました。
「もう決めたことだから。離婚する意思は変わらん」
意思は固いことを伝えると、その後離婚することには同意してくれました。
離婚が決まったあとは大事な「お金」の話
その後、財産分与について話し合いました。貯金がほぼなかったので、車と家をどうするかという話になりました。ローンが残っていた車は、売却すると残りのローンより高く売れたので、お金を半分に分けました。
夫名義になっていた子どもたちの学資保険は、もし私が死んでしまったときに子どもではなく夫へお金が支払われるものだったので解約。違う保険に加入して貯めていくことにしました。
家は夫の単独名義でしたが、私の実家の近くだったので、私が夫から買い取ることに。養育費については、夫が無職だったので見込めず、保留のままとなっています。
私は自営業なので、住宅ローンを組むのがなかなか大変でした。夫から私へ名義変更に100万円ほど費用がかかってしまいましたが、私が考えてつくった思い入れのあるマイホームだったので、またこの家に住めることが本当に嬉しかったです。
「親権は私」ということが決まった状態で、離婚届を先に提出。夫は離婚後1カ月ほどで出て行ってもらい、マイホームに子どもたちと再び住めるようになりました。大好きな家で子どもたちと平穏に暮らせるようになり、毎日幸せを嚙みしめています。
離婚後、夫から「子どもの話」はナシ……
結果的に離婚で、夫を家から追い出すかたちになりました。愛情はなかったけれど情はあったので、少しだけかわいそうな気もしましたが、これまで家族を大切にしてこなかった自分の行動が全部自分に返ってきたと思ってもらうしかないですね。
離婚して半年ほど経ちましたが、夫から子どもに会いたいとか、面会について話し合いたいという連絡は一度もありません。せめて子どもたちには愛情を示して欲しかった……。でも、子どもたちを大切にしない夫と義母と縁が切れてスッキリしました。
離婚するまでたくさん悩みましたが、離婚した今は、子どもたちと幸せに暮らしています。あのとき決断してよかったと思っています!
「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。
著者:ひなこ
2児のシングルマザー。Instagram(@sweet_10_rikon)では、自身の離婚体験談やシングルマザーのための情報を発信している。