DV男は最初はとてもやさしかった
職場で出会った彼は、お酒の席で上司のパワハラに耐えていた私に「外で話そう」と声をかけ、お店の外に連れ出してくれました。「あの人は呑むといつもあぁなんだよ、気をつけてね」と彼にやさしく心配され、私はとてもうれしく感じたのを覚えています。
それから私たちは仲良くなって何度もデートを重ね、私は、彼の細かい気づかいができるところや頼りがいのある雰囲気に次第に惹かれていき、恋人同士になりました。少し大げさな愛情表現や厳しめの束縛も新鮮で愛おしく、主導権を握りたがる彼を尊重して、自然といつも私が従う形に。いま思えば、主導権を握る彼に従ううちに、私たちの主従関係は少しずつ絶対的なものになっていったのです。
初めての暴力に愛を感じた私
恋は盲目とはよく言ったもので、彼に「元カノが俺から殴られたと共通の友人に言いふらしている」と聞いたときも、「元カノが暴れたから仕方なく押さえただけだ」という彼の言い訳をすんなり信じ、「ウソを広めるなんて迷惑な元カノだなぁ」くらいに思っていました。
しかし、付き合って3カ月ほど経ったとき、ある事件が起こりました。私が職場でほかの男性と話をしていたのを見た彼が烈火の如く怒り、人目のないところで、私に空のペットボトルを投げつけてきたのです! このときの私は「ごめんなさい、今後は気をつけるから」と彼に平謝りするばかりで、なんなら彼の強い嫉妬心に愛されている実感が湧き、喜びの気持ちまで抱きました。
振り返ればDVの兆候はたくさんあったのに、彼を理解したいという気持ちや、大前提として「彼に愛されている」という思い込みが、私自身が被害者であるという事実を覆い隠してしまったのです。
屈折した関係は愛ではない
彼の持つ一種の激しさを、情熱や愛だと捉えてしまった私は、それから3年に渡り、あらゆる暴力を許してしまいました。恐ろしいことにそのころの私は、体中に残った打撲痕を見ると彼の愛を再確認できるような気さえしていたのです。
青タンが黄色くなっていよいよ治ろうというころに、また新しい傷ができる。それがもはや当たり前で、感傷的な自分に浸っていたのも事実です。結局、この3年間で私が得たものなど一切ありません。
その後、彼から別れを告げられて私たちは別れました。彼と別れたあとの私に残ったのは、トラウマとしつこいフラッシュバック、あとは誰かを心底憎む激しい気持ちと、「彼を許せない」という禍々しい怒りだけでした。
現在の夫となる男性に出会ったころ、はじめは、温厚な人柄に「退屈そう」と思ってしまった私。でもそれは、元カレとの激しい恋愛には価値がなかったと否定してしまうのが、怖かっただけなのだと今では思います。現在の私は、真っ当で平凡な心安らぐ日々を夫に提供してもらっています。これこそが愛なんだろうと、過去の恋愛を振り返って私はしみじみ思うのです。
著者/つちやです
イラスト/マメ美
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