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転職先で心身不調に! つらい経験を経てたどり着いた無理のない働き方【体験談】

私は東日本大震災を機に好きな旅行関係の仕事から転職することになりました。しかも、今まで患者として通うことすら苦手ともいえる歯科医院に勤めることになったのです。そのときの私は41歳でした。私の仕事の変遷、働き方についてお話しします。

 

東日本大震災により退職を余儀なくされた

結婚を機に、東京へ引っ越した後からずっと憧れの旅行会社勤務でした。出産を機に仕事を辞めなければいけなくなったのは残念でしたが、娘が小学校へ入学してからは、旅行会社のコールセンターで約7年働きました。

 

しかし、東日本大震災後は長期休暇を余儀なくされました。いろいろと検討した結果、旅行会社は退職することになったのです。私にとっては、こんなに大きな人生の転機はありません。

 

東日本大震災は本当に怖かったですし、しばらくは旅行どころではない雰囲気でしたが、旅行業界から離れることが、本当に悲しかったのです。そんなとき、たまたま近所に歯科医院が開院しました。

 

自宅から近いという点に惹かれた私は、履歴書を手に歯科医院へ面接に行きました。自宅から近い点がよかったのは、愛犬が東日本大震災での経験をきっかけに臆病になったため、働くなら自宅からの近い職場が良いと思っていました。職場が近ければ昼休みにも様子を見に帰れますし、終わるとすぐに帰れるのも安心だと思ったからです。

 

歯科医院での仕事は、今まで経験のない初めての医療業務でしたが、その場で採用となりました。

 

苦手ながらも学んだ歯医者での勤務経験

歯ブラシイメージ

 

患者として通うのも嫌だった歯医者ですが、歯科助手として勤めながら勉強していくうちに、歯医者が苦手ではなくなりました。歯医者の独特な「キーン」という音や、独特な薬品のにおい、麻酔しているのに痛いのか?など、働きながらその理由や仕組みを学んだためです。

 

しかし、歯科助手の仕事は本当に大変な仕事でした。医師のアシストに付いたときは、少しも気が抜けません。

 

治療している場所を集中して見ているため、目も疲れます。また、立ち仕事なので、足もパンパンです。 朝から医師と二人だけの勤務で、受付から先生のアシスト、洗浄、消毒、最後の診療室の掃除機など、すべてひとりでおこなっていたために、ついに体調を崩してしまいました。精神的にも不調が続き、メンタルクリニックにも通い始めるようになりました

 

私が体調を崩してからは、午後から出勤にさせてもらっていましたが、それでも仕事が終わるのが、夜の9時や10時です。診療時間は夜7時までだったのですが、治療が終わってから2時間は洗浄、消毒に時間がかかりました。

 

 

ついに体も心も疲れ果てて

体調不良で額に手を当てている女性

 

歯科衛生士は、歯医者では必要不可欠な人材です。同じ過ちをしたとしても、同僚の歯科衛生士は許してもらえても、歯科助手の私はやり直しをさせられました。

 

歯科衛生士は時間が来ると帰ってしまいますが、私は仕事が終わるまで仕事をします。歯科衛生士との待遇の差もありますが、コロナ禍でさらに消毒の手間も増え、疲れ切ってしまいました。

 

休憩もままならないのですが、受付の方が休憩しているコーヒーのにおいを嗅いで、休憩した気分に浸るのが精一杯です。こんな生活に、本当に体と心が悲鳴を上げていたのです。

 

さらに追い打ちをかけるかのように、施設に入っていた祖母が入院したという知らせが入りました。状態も良くないとの連絡です。私はお休みをもらい、帰省しますが、コロナ禍で入院している病院に入れてもらえません。それでも祖母の容態が気になり、すぐに東京へは戻ることができませんでした。

 

祖母に会えないのなら、すぐに仕事へ戻れば良いのでは?と思われるかもしれませんが、私は幼いころから、祖父母に育てられたと言っても過言ではありませんから、会えなくてもそばにいたかったのです。

 

退職し、新たな生活に挑戦中!

パソコンを操作する女性

 

祖母のこともあり、私は51歳で歯科医院の退職を決意しました。大切な人とお別れもできない職場にいることも、悲しくなってきたのです。結局は祖母に会えないままでしたが、1週間は病院に毎日通い続けることができました。

 

退職後、祖母との別れを悲しむのを避けるために、すぐにWebライティング実務士の資格を取得し、持病を持っているわが家の老犬もいるので、在宅で仕事をすることにしました。

 

さらに、歯科助手経験を小冊子にして出しました。私自身が勉強になったことや、意外と歯医者選びに困っている患者さんも多かったので、役に立てればと思ったのです。1年間修行した歯医者の先生が受付に置いてくれています。

 

心は相変わらずで引き続きメンタルクリニックに通っています。いつもキャパを超えないようにと先生に言われてしまいます。

 

まとめ

私にとっては、東日本大震災が大きな人生の転機となりました。ずっと続けてきた大好きな旅行業界から、まさか患者として苦手意識を持っていた歯科医院に勤務するとは思っていませんでした。

 

でも今となっては、良い勉強と良い経験になったと思っています。歯科医院では薬について扱うことも多かったため、薬にも興味を持ち、「登録販売者」の勉強もしています。

 

気付けば、東日本大震災から12年たとうとしています。やはり昔ほど頑張りも利かず、心と体は悲鳴を上げていました。これからは、無理をしない範囲で仕事をしようと考えています。

 

※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。

 

 

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著者:takaramomo

2021年に歯科助手を退職し、現在はWebライターとして活動中。夫と生まれる前から反抗期の25歳の娘、宝物わんこの桃太郎くんが唯一の癒やし。好奇心旺盛なアラフィフゆえ寺・国内地理・城郭・日本茶・救急救命指導員・アマチュア無線など多数の資格を保持。

 

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